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ご乗客の皆様、本日は台湾華信航空を利用いただき、まことに有難うございます。ただいま機は離陸準備のため、滑走路進入路で待機いたしております。そのまましばらくお待ちください。
えー……、なお……、機の右側座席にお座りの乗客の皆様、その……、右前方にあります、えー……、わが社の航空機の、その……残骸にかんしましては……、無視していただくよう……、お願い申し上げます。
1999年8月22日、バンコックから香港に向かった華信航空642便は、おりから接近していた台風による横風で、着陸寸前で右に傾き、エンジンが滑走路に触れて右主翼が離断、機は完全にひっくり返った状態で滑走路右側の緑地に突っ込み、そこで火災をおこした。乗員乗客315名のうち、3名が死亡するという、事故の規模にしては比較的軽い被害に終わったのは幸いであった。
写真は事故当日、その事故現場を、同じ華信航空の旅客機が滑走路に向かっているところ。機内放送のほうは単なる想像。でも、普通こういう事故があったら、空港はしばらく閉鎖されるような気もするが。写真はAirDisaster.comより。
引用はこちらから。
アナウンス内容は上のサイトのパクリなので、オリジナルのアナウンスを別館にアップして置きました。
投稿者 webmaster : 2005年01月20日 21:37
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http://med-legend.com/mt/mt-tbcba.cgi/324
古い記事は右の「サイト内リンク」から、「旧表紙」を選び、そこで「医学都市伝説」のメニューに行って選択していただければ読めます。わざわざそこまでするほどの物でもありませんが。
投稿者 Webmaster : 2005年01月21日 23:20
成年後見人の鑑定書のテンプレート探していてたまたま見つけました。プロフィール見て2000年のを見ようと思いましたが見れませんでした。レッドスキンズファンですね。一緒です。たぶん同じような病院で働いてると思います。また覗かせていただきます。
投稿者 nao : 2005年01月21日 22:24
昭和41年、カナダ太平洋航空機が羽田空港に着陸失敗、BOAC(英国航空)に搭乗の乗客がその残骸を離陸時に撮影、その後富士山でBOAC機が墜落した事故を思い出します。この年はわずか一ヶ月の間に、全日空羽田沖事故から始まりこの二つの事故と羽田中心に事故が多発した年であったと思います。たしかBOAC機から撮影したフィルムは回収されていて公開されたような気がいたします。
きっと当時の機内アナウンスも同じようなことを言っていたかもしれません。この頃は機長の裁量で乗客サービスとして富士山上空コースを取ったり、全日空・日航の大阪~羽田間スピード競争をしていたようです。
知人のXX電車の運転手はJRと並行区間ではやはり血が騒ぎバトルをしているようです。(ただしJR車両の方が馬力があるので並行区間が無くなる寸前で追い抜かないと抜き返されるようですが)
投稿者 kimi : 2005年01月21日 14:01