2005年02月28日  中津川無理心中(?)事件の怪[ニュース]

昨日、岐阜県でおこった一家5人殺人+実行容疑者自殺未遂事件なんだけれど、こういうホットなことに触れるのは柄にはあわないと思うものの、何となくこういうことなのではなかったかと、考えることがないでもないので、ネタ切れ対策もあって書いてみる。勝手で無礼な当て推量になるのは避けがたいが、個別事情とは関係ないところでの一般的考察と言うことでお見逃しいただきたい。

私が注目するのは、妻が旅行にでる日を選んで準備していたと報道されていることと、飼っていた犬も殺しているという2点である。医療関連施設の事務長と言えば、反射的に「使い込み」と出てくるほど、業界的ストーリーで考えてしまいがちなのだが、今のところそういう話ではないようだし、犬を殺したという点で、不始末露見の恥を回避したという方向はないと思うのだ。

もし容疑者がそういう不始末をしでかしていて、年度末の監査かなんかでそいつがバレるという不安に怯えていたとして、犬を道連れにすることはないだろう。愛する家族を恥から守りたいという、えらく自閉的な論理があったとして、犬は関係なかろう。まして、妻がいなくなる日をわざわざ選んでいるのである。妻は守る対象でなかったってわけ?

私は最近、夫がもうじき定年を迎えようとしているという世代の主婦患者(もちろん、彼女たちが抱えている疾患はかなりのバリエーションがある)たちから、「夫が家にいるようになったら離婚する」という決意をよく聞かされる。マスコミでもよく取り上げられる熟年離婚というのは、ごく普通の家庭にかなり普遍的に存在する危機のようである。夫の価値観に縛られるのでなく、それなりに自分の生活を取り戻そうという、かなり切ない決意を持つ妻たちは数多い。

対する旦那連中というのは、こういう危機には全く無頓着で、家で濡れ落ち葉となっても、食事賄いと日常の世話は、今まで通りそのまま提供してもらえると思っているようである。妻たちは正しくも、自分たちの家内労働が夫の社会的成果の半分を支えてきたことを見抜いていて、社会価値をなくした相手に、いまさら忍従する意味を見つけられないのである。

夫たちには今の家族制度の常識の中で、逸脱をうまく合理化する道がたくさんあるので、と言ってせいぜい仕事への耽溺とか奇矯な趣味とか酒とか浮気程度ですけど、配偶者との価値観のずれを根本的に解決する手段を、そう真剣に考える必要はない。配偶者は自分の一部分なのであって、それ以上のものではないのだ。

それでも中には、自分の価値観を配偶者に強いて相手を服従させるほどの傲慢さには乏しい、細やかで優しい人もいるかもしれない。そんな人が自分の閉じた価値世界を独占しようとしたら、とる行動はそれらを破壊し尽くして、他者に触れさせないようにするということではないかなぁ、なんて考えてしまうのだ。

言うならば、配偶者との価値観のずれを自覚しつつ、相手にそれを強いることはできないので、お気に入りの相手なら殺してもいいと思ったという、いささか穴がありまくりの考察なので、まるきり固執はしない。でも、この「事件」を自分なりに了解しようとするなら、その辺をまず糸口にするだろうなと思うのだ。

ほかには、閉塞的な地域社会と、平均以上に有能な人の軋轢という視点で考えることもあるのだが、それはもう少し情報を得てからということで。

2005年02月27日  観光魚市場[日常]

医師国家試験を終えた娘が怒りとともに帰省してきて、アホな試験設定に関する愚痴を聞きながら大酒飲みの週末である。二日酔いの今日はすることもないので、海辺の町まで出かけて、夜のシーフードディナー材料を買い込もうという話になる。

正直言うと、海辺の町によくあるような観光系魚市場で、お得な買い物ができると思っているわけではない。ほとんど雰囲気の問題で、SF商法に近いような、漁港近く→身近に配るような特別の品が安価で手に入る→当然ここまで足を伸ばした観光客だって同じ恩恵にあずかれる、という幻想に依拠しているだけの商売だというのは、充分わかっているつもりなのである。

でも、その「幻想」は強力なんですな。人間というものは、自分を取り巻いている環境は、ほかの人とは違う特別のものだと思いこむ習癖があり、一般的な常識とは違う論理がそこには流れていると信じがちである。何度同じような幻滅を経験しても、この幻想に体よくやられるのが人間なんですわ。

まあ、取り立てて行きたい観光地もなく、近所に買い物行くのも結構大変なので、半分だまされるのも承知で出かけるのである。結局、近所のスーパーより多少安そうな生牡蠣なんかを見つくろって、どうも協定料金があるらしいアンコウ鍋なんぞを食って帰ってくることになる。しかし、酒飲まずに鍋物食うのはきついですな、ホント。

その市場がある町からの帰り道に、普通のスーパーがあるのだけれど、そこは地元の人たちがいっぱい集まっていて、先ほどの市場以上の大盛況であった。あの観光市場が本当にお買い得なら、ここがこんなに繁盛するわけがない。この手の幻想にそのまま乗っかって、既得権益を守ることだけに血道を上げる日本の食料政策というのが、なかなか打破できないのも当然ですな。帰宅してから、下らんハンカクメイに関与してしまったという悔悟の念に、駆られまくる休日の午後なのであった。

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2005年02月26日  過呼吸症候群[医学・科学関連]

神経内科医のドクター乱夢氏がブログを開設しておられるので、さっそく読ませてもらっているのだが、昨日の記事に「過呼吸症候群」が取り上げられていた。わかりやすくまとめられているのはいいとして、「紙袋で患者の鼻、口をおおい、ゆっくりと呼吸をさせることにより症状が改善」するという、きわめて常識化した対応法が書かれているのである。実際、過呼吸による呼吸性アルカローシスを改善させるための方法として、紙袋法は一応合理的であって、それなりに適切な対応法であるのは間違いない。

しかし、自分がこの発作を起こしたことがあったり、身近にこれを起こす人がいる人がいるなら気づいているかもしれないが、この紙袋法がスムーズに治療導入できることはそう多くない。過呼吸で苦しがって転げ回っている人に、どれどれ、こうやればすぐ改善するよ、などとこれを行おうとしても、まず「空気がなくなる。苦しいのでやめてくれ」と相手から懇願され、あえて強引にやろうすれば大暴れされて紙袋を引きちぎられるのが関の山である。

相手はパニックになって苦しがり、結果として呼吸性アルカローシスを起こしているのであって、呼吸性アルカローシスそのものによる身体変化について悩んでいる訳ではないのである。パニックそのものには紙袋なんぞ何の効果もなく、本人に身体的異常の機序について十分な認知がない限り、ただ有害なだけなのだ。

臨床に関与する人なら、その辺は気づいてもらわないとちょっと困る。そりゃ、過呼吸患者にたいして、無理矢理暴力的に紙袋を押しつけていたら、そのうち過呼吸自自体はおさまるだろうが、パニック過程の不安経験がさらに付加され、結果として治療への不信は増すばかりであろう。

救急場面ならどうせ点滴でも打つだろうから、早めにセルシンでも静注し、パニックそのものを押さえるのが先決で、よけいひどい不安経過を与えるようなことは有害なだけである。どうしても呼吸性アルカローシスに対処したければ、リザーバー付きの呼吸マスクでも当てて、酸素は投与しているふりだけで済ませるというのも一方法。バレないように工夫する必要があるので、私はこういう時に使う酸素チューブ栓をいつも隠し持っております。

とにかくその場は何とか押さえ、パニックの成因経過についての認知をちゃんと得てもらう余裕を作る必要がある。同じような発作ばっかり起こしていたら、ますます古典的条件反射やオペラント条件づけ反射の要素も加わり、難治化が進む一方となるのだ。

某やんごとない人のお妃様の場合、こういった配慮はなされているのだろうかと、とっても心配。いい加減にSSRIとマイナーだけ飲ませて、カウンセリングと称する、つまらんプレッシャー負荷だけしているのではあるまいか。私の経験をいえば、パニック発作で元の生活レベルに戻れない人は、まず器質的なハンディがある人に限られ、普通は治らん人なんかいないぞ。

かのお妃がその公務に結局復帰できず、そのおかげで本朝万世一系の美しい伝統が途絶えるようなことがあれば、それは100%今の侍医団内精神科医の無能によるものだと、ここで警告しておきたい。

注:間違われると困るので追加しておくと、紙袋法そのものが無効だといっているのではなく、過呼吸状態に対するそれなりの認知を得た上であれを悪化防止法として行うのは全然問題ない。あれを根本的解決法だというのはウソだよ、と言っているだけ。

2005年02月25日  カバが小人を食べちゃった[ニュース]

[バンコック発:1999年7月15日付]

サーカスでトランポリンの曲芸を披露していた小人が、あやまってカバの口の中に落ち、飲み込まれて死亡するという事件がタイ北部で起こった。オドという名の小人は、トランポリンから予期せぬ方向に跳ねとばされ、たまたま次の出し物のために舞台後ろで待機していたカバの口の中に飛び込んでしまった。カバはその時、まんの悪いことに、ちょうどアクビをしていたのである。

カバは強い嚥下反応を引きおこされ、オドを完全に飲み込んでしまった。団員たちが駆け寄って、オドをカバから引き出そうとしたが、度を失ったカバを落ち着かせることは不可能であった。1000人以上の観客たちは、これがショーの一部だと思って喝采を続けたが、やがてこれは恐ろしい事故であることが明らかになったのである。

サーカスの獣医は、カバは草食動物であり、自分から人間を飲み込もうとしたようなことは一度もなかったと、カバを弁護している。警察はトランポリン台を押収し、不備がなかったかを調査する予定である。
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なくなった小人(ポリティカル・コレクトの視点からは、『垂直方向にハンディのある人』というべきか)のかたはお気の毒なのだが、諸行無常の響きを帯びた本源的滑稽さを感じてしまう事件である。オド氏はこの事故のために、たくまずして極楽浄土転生がかなったのではないかと思いたい。合掌。

ニュースといいつつ、これは数年前からDarwin Awardsに掲載されていたが、このたび別のところで現地の新聞記事が紹介されていて、事実であるのを確認できたため、今更のように紹介する次第。ついでに、この事件にヒントを得たのか"Hippo Eats Dwarf "(カバが小人を食べちゃった)という名の、ニュージーランドのロックバンドのサイトにもリンクをはっておく。そこでは彼らの曲を無料ダウンロード(WMA形式。約3MB)できるのだが、ほとんど高校の文化祭レベルなのが残念。歌の内容もこの事件とは関係ないようだ。

2005年02月24日  びまん性レビー小体病[医学・科学関連]

3ヶ月ほど前に、女性老人患者が他病院からの紹介状をたずさえて私の外来を訪れた。2年ほど前から幻視を中心とする幻覚に悩まされるようになり、軽度痴呆症状の進行も見られるという。抗精神病薬を何種類か試したが、激しい薬物性パ-キンソン症状を示し、薬物コントロールが困難であったが、結局抗痴呆薬であるアリセプトでそこそこの改善が得られたという。紹介状によれば、診断名は「びまん性レビー小体性痴呆」とある。

正直言って、聞いたことのない病名であった。レビー小体というのは知っていて、こいつはパーキンソン病のとき、変性した神経細胞に増加している封入体である。そいつが脳全体に増えているような病気ということなのだろう。当然、死後の脳細胞を顕微鏡でみて初めて判るのだから、生きている間の診断にそんな名前がつくのも面妖だ。

そんなわけで、目の前の患者も無視して外来中にネット検索である。どうもこの疾患は95年ごろに確立したばかりで、それも日本人研究者によって提唱されたもののようだ。パ-キンソン病のときに見られるレビー小体が、脳全体に増えるような病理所見を示すらしいが、死後の病理所見を待たずに診断がつくのは、これがかなり特異な臨床症状を示すのが理由だという。

この病気では、早期から幻視を中心とする幻覚が目立ち、次第にパ-キンソン症状と痴呆が進んでくるという特徴があるそうだ。特にその幻視が、極めてリアリティのある等身大の人物群が登場することが多いのだという。脳器質的な幻覚には幻視が多い傾向があるのは事実で、分裂病のような機能的な異常にはもっぱら幻聴が目立つのと対照的である。しかも、これは一般的な痴呆性疾患の2割程度を占める可能性があるともいうのである。

大脳脚あたりの脳血管障害のとき、脳脚幻覚症という幻視症状が時折みられ、こいつは私も結構みた事があるが、微視幻視とでもいう、「小さい動物や人物」が出てくるのが特徴的だ。机の上に小さい子供や動物などがあるいていたりして、アルコール中毒のときに見られる小さな虫の幻視にまで広がるスペクトルがあるように思える。

私のみたあるお婆さんは、「神棚に小さい天狗さまが座っている」のが見えるという幻視が続いていたが、少量の抗幻覚剤ですぐに改善した。はっきりとした幻視がありつつ、批判性が保たれるのも特徴である。後は脳血管障害で普通に使われるような薬を併用しながら、経過観察ということになり、予後もそう悪くはない。

その点、このびまん性レビー小体病の場合は、等身大の人物がどかどか出てくるという特徴がある。はじめの紹介状患者の場合は、死んだはずの母親が寝床に出てきて、旦那の布団に入り込んでくるのが毎夜つづき、旦那がそれをそう嫌がっていないのに腹を立てていた。その一方で、そんなアホな、という違和感は充分維持されていたのである。

アルツハイマー病と確定診断されていて、その経過中にかなりはっきりしたパ-キンソン症状を示すことはそうまれではない。ケッタイな幻覚様の訴えもそう珍しくはないのだが、そういうのはせん妄だとか、先の脳脚幻覚症の類なのだろうと、いい加減にごまかしてこういう状態を見逃していたのであろう。

薬物療法で、一般的な向精神薬が使いにくいこともあり、もっと意識的に鑑別すべき状態といえるが、今までそんなのに気づいたことはなかったなぁ。そう思っていたら、数日後の外来に救急担当医から老人が紹介されてきた。その人は前日の深夜、様子がおかしいといって救急受診したのだった。

その人の言うには、寝ていたら部屋に突然ガス工事の職人たちがいっぱい入ってきて、なぜかその辺のおばさんや子供たちもそれについてきたのだという。ガス工事という話だったのが、自分が寝ている寝室をそのまま家から切り離してトラックにのせ、大雨の中を町中走り回り、眠らせてくれない。工事の連中の隙を見て部屋から這い出し、家族をたたき起こして助けを求めたため、変調に気づかれたというわけである。

本人も自分の体験にかなりの矛盾があるのに気づいているのである。「トラックに乗ってるはずなのに、家族の部屋まで行けるのはおかしいですよねぇ」なんて頭をかいている。でも、あの工事人や女子供連中がわさわさと部屋に入ってきたのは、ハッキリ覚えているのだという。

身体症状にも軽度のパ-キンソン症状が認められ、どうもこれは「びまん性レビー小体病」経験の第二例のようである。MRIにもたいした異常はなく、脳血管障害からきたせん妄とも思いがたい。そう痴呆は目立たないが、えいやっと思い切ってアリセプトを処方してみると、あら不思議、翌週の受診時には「いやー、楽になりましたわ」と笑顔であらわれる。

病気についての知識がつくと、突然その疾患が見えるようになる、というのは時々あることではあるが、こんなに劇的にある疾患を認知できるようになるというのは珍しい。不思議なことに、その数日後にも同じような幻視症状を訴える人が私の外来を初診したのである。

確信的に「びまん性レビー小体病」という診断名をカルテに書き、「何なんです、これ?」と不思議がる事務職員に、「キミ、こんなのを知らんのかね。こいつはいまトピックなんだよ」と、この疾患のエキスパートのような顔をして見せたのは当然のことである。しかし、これもしかしたら環境要因かなんかによる新疾患じゃないのかと、かなり気にならないでもない。

2005年02月23日  日本海軍、米本土攻撃[今日は何の日]

1942年の今日、日本海軍の潜水艦、イー17号はカリフォルニア州サンタ・バーバラ近くの街、ゴレータを艦砲射撃した。これは郊外のオイルタンクを狙った攻撃であったが、そのとき放たれた25発の砲弾は、かろうじてタンク周辺の階段を破壊した程度におわり、幸いに人的被害もまったくなかったのである。この事件はスピルバーグの監督映画、「1941」のヒントにもなっていると言われ、当時の米国内には結構なインパクトを与えたらしい。

この潜水艦は米本土の人心かく乱効果作戦を意図していて、本来はサンフランシスコ中心部への砲撃を意図していたが、射程の問題もあってゴレータ郊外のオイルタンクに攻撃対象を変えたのであった。

そもそも米本土近くまで作戦行動を広げるということ自体、いくら潜水艦であっても当時の日本軍の軍事能力からすればほとんど無茶苦茶であったので、彼ら潜水艦のりたちはビクビクもので攻撃対象を選び、ぶっ放した後、ほとんど背に帆かけて逃げ帰ったというのが実際らしい。

この攻撃を行った日本軍の指揮官は30年代にアメリカを訪れた事があり、その時住民とトラブルをおこし、砂漠のサボテンのとげに叩きつけられるという屈辱を味わったという都市伝説があるそうな。ビン・ラディンがアメリカ留学した時、女性とデートしてペニスが小さいのをバカにされ、その恨みのためにあのテロに走った、というタイプと同じもののようだ。

神聖なホームランドを攻撃するような奴なのだから、なにか特別な理由があるに違いないという発想が、こういう伝説を生むようである。似たものには、かのヒットラーが、画家になろうと研鑽していたときに、ユダヤ人評論家に酷評されたためにその後の政治姿勢を決めた、なんて話もある。個人的な動因がないと、人は歴史的に残るような行為をすることはないという一種の信仰なんでしょうな。

それにしても、当時の軍部は米本土の疑心暗鬼状況をもう少し理解していたら、この手の奇襲攻撃をうまく使って米世論の不安定化を図って、早期講和に持っていくことも出来たろうになと思わざるをえない。その辺、事前調査が甘いんだよね。日本の支配層というのは。かの「菊と刀」を軍事予算でサポートしたような才覚に欠けるので、ちょっといかんと思うのですぜ。

私、そういう調査研究ならいくらでもやってもいいなと思うので、一度ゆっくり相談しませんか、コイズミ総理。一応、北朝鮮敵視政策をどこまで徹底するか、というのとアジア-アラブ親和路線と米国すりより路線のどちらが有効か、というあたりが研究対象でしょうかね。

2005年02月22日  ガジェットNO.100[アートとかグッズなど]

検索の鉄人経由の情報。

この百年の間の注目すべき小物、基本的には商品化されているもの、を紹介するサイト

素敵なガジェットがいっぱいあるのには感心したんだけど、一番気になるのが、あの100選のうち、自分が所有したことがあるものが4分の1ほどあったということでしょうかね。それも、今は昔のアップルの商品がやたらに多い、というのが妙に気に掛かるのですけど。なんか、お前の人生は結局ガジェットを追ってはそれに飽きることの繰り返しだったんだよ、と言われているみたいな気がする。たぶんそのうち、Mac Miniなんかもあそこに加わるんだろう。やだなぁ。

2005年02月21日  津波の奇跡[都市伝説・デマ・トンデモ]

親愛なる友人の皆さん、私はいまインドネシアから届いたばかりの素晴らしいニュースをお聞かせしたいと思います。それは昨年12月25日、インドネシアのアチェ州にあるムラボーという町に住むキリスト教徒たちに起こったことでした。彼らは町のイスラム教徒たちに、合同でクリスマスのお祝いをすることを提案しましたが、多数派のイスラム教徒たちは、もしキリスト教徒がクリスマスを祝いたいのなら、町の外でやるようにと告げたのです。

400人のクリスチャンはその求めに応じ、町外れにある丘の上に上り、自分たちの行事を行うことにしました。私たちが皆知っているように、その翌朝、大規模な地震と津波が町を襲い、ムラボーの町の大半は破壊され、ほとんどの住民は死んでしまったのです。ただ400人のキリスト教徒たちだけは町外れの丘の上にいたため助かりました。

ムラボーの生き残りたちは気づきました。キリスト教徒たちの神が自分たちをを罰したのだと。何故自分たちの大半が災害で死に、キリスト教徒たちが無事にすんだのかという理由を。もし400人のキリスト教徒が始めの計画通り、町の中でクリスマスのお祝いをすることに固執していたら、彼らもまた滅ぼされたのです。彼らは、これが主がそのしもべを救うために、直接その手を下されたしるしなのだということを知ったのでした。

主に光栄あれ。
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そこそこのバリエーションを示しつつ、チェーンメールで循環しているという「神の奇跡」の物語なのだという。お前ら、山の上でクリスマスを徹夜で祝ってたのかよ、というようなツッコミも可能なのだが(その辺に関しては、つじつまあわせしたものもある)、全体にあまりにもセコいキリスト教中心の価値観に鼻白む内容である。

ブッシュさんの強力な支持層であるという、保守派キリスト教信者というのは、たぶんこの程度の作り話で、単純にいい気分になるのだろうなと思わせてくれる。実際、ムラボーの町で、少数派のキリスト教徒が、津波の前日クリスマスを祝っていたのは事実らしい。しかし大津波の前には、キリスト教徒もイスラム教徒も平等にその災いを受けざるを得なかったということだ。

セコい人間の考えるような狭量な自己価値観中心主義など、自然の営みというか、神の御意思ともいうべきものの前には、まったくお呼びでないらしいという、深遠な真理がうかがえる物件と言えますか。

引用はこことかここから。

2005年02月20日  フローレンス・フォスター・ジェンキンス[本とか映画とかTVとか舞台とか]

思わぬところで、フローレンス・フォスター・ジェンキンスというソプラノ歌手のことを知った。1868年、アメリカはペンシルバニアに生まれた不世出の有名歌手である。彼女は幼い頃からピアノと声楽を学んで育ったが、ヨーロッパでさらにキャリアを深めたいという彼女の希望をその父親は認めなかった。彼女はフランク・ジェンキンスという医師と駆け落ちし、フィラデルフィアで暮らした(後に離婚)。彼女は教師やピアニストとして生計を立てていたが、1909年に父が死に、幾ばくかの遺産を受け継いだ後、幼い頃からの夢の実現に乗り出すのである。

彼女はベルディ・クラブという団体を設立し、自分のリサイタルを開く。初めてそれが開かれたのは1912年のことであった。彼女はその両親や別れた夫に、音楽の道で暮らすことを阻まれ続けて来たのだが、自分の音楽的才能を確信しており、それを世に示すことを自分の使命だと考えていたのである。

しかし、彼女にはソプラノ歌手としては若干の−ただし致命的な−欠点があった。音程が定まらず、テンポも著しくずれ、何よりその声域が狭いのである。彼女の音楽面の雇われ後見人、コスメ・マックムーン(ピアニストで、彼女のために何曲か楽曲を提供している。どうも偽名らしい)は何度か矯正を試みたが成功しなかった。しかし彼女はその音楽的能力の欠除とはうらはらに、全米に知られる歌手となったのである。

彼女は同時代の有名ソプラノをいつも意識していて、自分のリサイタルを聴いて笑い出す観客は、その有名歌手たちが嫉妬のために送り込んだ手先だと信じていた。もっぱらNYのリッツーカールトンを借り切って行われていた彼女のリサイタルのチケットは、彼女自身の団体だけを通じて売りさばかれ、一般にはなかなか手に入らないようになっていたが、1944年、彼女が76歳の時に、カーネギーホールで大々的に一般公開されることになった。そのチケットは数週間前に売り切れたという。

そのリサイタルが開かれてからわずか一ヶ月後、彼女は他界する。一説によればリサイタルへの酷評がその死の原因であるとされるが、実際にはその最期の床にあっても彼女は幸福だったらしい。人は明らかな能力の欠除などとは無関係に、自信に満ちた人生を送ることができるのである。卑小な観念にとりつかれ、一生を棒に振る人々にとっては、よき人生の指針になる人であろう。

彼女の歌はCD化されて、今もきくことができる。「 人間の声の栄光???? 」とか「3点ハ音の殺人」などというかわいそうな題が付いているが、それとは別に「オペラCDこの一枚」などというベスト集大成ものにもちゃんと収録されているのである。

日本のアマゾンでは視聴できないが、本家の方では一分近く聞くことができるので、是非訪問してほしい。「魔笛」の「夜の女王のアリア」なんて、ホント鳥肌ものですぜ。また、この人の人生は舞台化され、昨年はじめからつい先頃までNYのヨーク劇場でロングランされていたという。映画化されることでもあったら、見てみたいものですな。

参考:Wikipedia,"Florence Foster Jenkins"

追加:Amazonの一分足らずの視聴ではやはりこの人の魅力を知るのは難しいので、あまり感心しないものの、著作権もとっくに切れているだろうから、夜の女王のアリア全曲をこちら(mp3形式約3.4MB)にアップしておいた。彼女の雇われピアニスト、コスメ・マックムーンは、彼女の歌を評して「私は正確さへの確かな希求をそこに聞いた」と言ったらしいが、その気持ち、ほんとによくわかります。

2005年02月19日  医師国家試験始まる[医学・科学関連]

自分の娘のことなので話題にするのも気が引けるのだが、医師国家試験が今日から始まっているのである。あれを受けたのはもう30年近くも前なんだけれど、今も夢に見るぐらいで、あれほど人を陥れるコトだけを考えたテストというものも珍しいと、今も怒りを抑え切れない。

似たようなもので一般的なのは、例えば運転免許の学科試験である。あれには単なるひっかけのための実に無意味な問題が結構含まれている。私が受けたとき、「雨の日は運転が難しいので、安全運転に勤めなくてはいけない」という問題があった。そりゃそうだ、と思ったら負け。いつだって安全運転には勤めなければいけないので、この設問は×なのだ。雨の日が夜間になっていたりするバージョンもある。「二輪車はバランスを取らないといけないので、四輪車より運転が難しい」なんて問題もある。もちろん、四輪だって内輪差のこともあり、難しさは同じ、つまり設問は×なのである。

医師国家試験というのは、実にこうした引っかけだけで成立している試験と言っていい。医学的対応なんていろんな切り口があるわけで、何が最優先なんて「ケースバイケース」としか言えない。さすがに30年も仕事していると、せこい引っ掛け何ぞは見抜くことが出来るようななるのだが、残念なことに基本的な知識のほうはあやふやになるので、そう自信を持ってこれが正解だといいにくいものも多いが、そんなこと気にせぬ雰囲気で、問題のための問題が幾多も作られているのである。。

ちょっと当事者である子供と電話で話して見たのだが、なんせ本人はほとんど舞い上がっていて、明日明後日の試験に、今日みたいな引っ掛けバカ問題が頻発しないかということだけが気になるようである。明日以降は必修問題系らしいので、そこでこういう引っ掛け問題ばかりが頻出するようだと、それに受かる連中の信頼性にもかかわるのではないかと思えてしまう。いわゆる「ドボン問題」、そいつを間違えると点数が高くても落ちる問題にしても、今回の試験には結構仕込まれていたらしいが、「うつ病に対しては『励ます』のが正しい」なんてレベルをそのドボンにするのは少々問題である。

永遠ド素人系の精神科医が、この「励ましてはいけない」という錦の御旗のために、どれだけ回復可能な抑うつ状態の社会復帰を阻害して来ただろうか。そんなもの、「臨機応変」としかいえないのに、つまらん素人対応がこういう経緯で絶対的に正しいとされて行くのである。普通、大学の教官なんて、基本的には臨床の素人なんですぜ。そいつらが考えた問題のための問題を、医師になるための最終関門にするなんて、少々意味不明である。

どうすればいいかなんて建設的な意見を言うほどの見識はないが、今のアホみたいな引っ掛け問題をやめにして、基本的な臨床能力を問うものにしたらいいのではと思うのですがね。つまらん引っ掛けクイズをクリアした連中に医師免許を与えて、個別病院にその免許をエサにして受け入れさせ、格好をつけるなんてセコいまねするのは、ちょっと恥ずかしいような。ちゃんと金出して研修させ、そこでの評価を元に最終的な判断するようにしたほうがいいと思う。個人的な希望としては、「精神科医だけはダメ」という限定免許制度を作ってほしいというのが、一番切実なもの。

2005年02月18日  猫からバレンタイン・チョコ[日常]

職場の机の上が多動性障害っぽい混乱を呈していたので、昼休みをつぶしてお片づけ。そうしたら、隅っこの方からリボンつきのチョコが出てきた。貼られたポスト・イットに書かれているのはカタカナ2字の名前である。はて、こんな人知らんがなぁと考え込んでしまったが、そういえばこれは老人病棟で飼っている猫の名前であるのに気付く。

痴呆性疾患専門病棟で猫を飼うようになった話は以前書いたことがあり、大多数の患者さんがあまり関心を持ってくれないことから、なにか痴呆性疾患の本質にかかわる問題がそこにあるのではないかという、いささかトンデモがかりの発想にまで至ったことがある。

もっとも、そう積極的に関心を持ってくれないとはいえ、猫がウロウロ歩き回っているのをそう露骨に嫌悪する人もおらず、淡々とした関わりは保たれているようではある。面会にきた家族の人たちにはまことに評判がよく、なによりそこで働く職員たちの心を和ませる効果は高いようだ。自発的申し出による統計ではあるものの、業務上のミスは明らかに猫が来てから減少しているのである。

そこそこの存在意義をえて、猫の方ものんびり暮らしているわけであるが、実は今年初め、この猫はかなりの危機を迎えていたのである。それは衛生行政機関による医療監視の折りのことであった。係官は病棟フロアを悠々と歩いている猫をみてしばらく凍り付き、もしかしたらこの猫はこの病棟で飼っているのかと尋ねてきた。

そうだという答えを聞いて、この係官は突然監査用のマニュアルをひっくり返しはじめた。しばらくそれを続け、出先機関にまで電話をかけて問い合わせしていたが、「病棟に猫が住んでいる」ということにたいする直接的指導の根拠を見つけられなかったようだ。

彼は渋い顔をして、「法的根拠は今のところ見つけられないが、猫を病棟で飼うことには問題があると思うため、後日連絡する」といって帰って行った。何日かして、その係官から電話があり、「具体的な規制項目はないが、猫にはトキソプラスマ症媒介の危険があるので、病棟で飼うことは自粛してもらいたい」と「口頭指導」をしてきた。

それを受けた主任さんはえらく困ってしまったようだ。私なら、セコイ役人風吹かすんじゃないよ、お前なんぞ、お茶でも飲みながら新聞広げて爪でも切ってろ、と言い返すところだ。トキソプラスマとはよくインネン付けを考えたもので、確かにそれに免疫のない若い女性が妊娠中に感染すると、子供に先天性トキソプラスマ症というやっかいな状態を来すことがないではない。

でもね、ここは「痴呆性老人専門病棟」なんだよ、お役人さん。妊娠中の若い女性なんか患者にはいやせんのだ。仮に役所が妊娠可能性のある職員のことまで考えてくれているというのなら、日本中の若い女性のいる職場や家庭から、猫を放逐するキャンペーンも当然やってるんだろうね。公園に猫がウロウロすることなんか、決してないんだろうね。

役人のそのいちゃもんを聞いたとき、ほとんど気分はポルポト派になり、世が世なら三下役人なんぞみんな粛清だ、電信柱にこの手のクズ役人どもを一人ずつぶら下げてさらし者にしてやるぞと、凶悪な衝動が湧いてきたものだった。でも、そんな風に怒ってみたって仕方ないので、ここは日本社会独特の対応、畏まってお受けし、まるきり無視するという方針で対することにした。

勿論、一応理事長レベルには報告しておいて、いざとなったら知事あたりと直談判するという「水戸黄門」式交渉の道も確保はしておいた、というのがちょっとハンカクメイであったかなとは思うものの。

ともあれ、猫はこの寒空の下、棲家を追い出されることもなく、何とか生き延びることができたのである。ま、バレンタインディにチョコをくれるぐらいの礼をしてくれても当然であろうと、早速そのチョコをむさぼり食ったのであった。

2005年02月17日  Cummingtonite[ネタ]

タイトルを見ていささかでも劣情を覚えた人がいたら、さらに詳しい情報をえるべく、こちらとか、こちらを訪問して知識を極めていただきたい。こちらの記述によれば、産出地の地名から命名されたらしいが、名づけた人は妙な読まれ方をする可能性を、一度も考えなかったのかね。

本日は一発ネタでおしまい。

そういえば、www.cummingfirst.comなんてサイトを紹介した事があったな、なんて今思い出した。

2005年02月16日  BBSの誕生日[今日は何の日]

1978年2月16日、アメリカのWard Christensen と Randy Suess は世界で始めて、電話線を用いたデータ転送プロトコールを利用したコンピュータ掲示板システムを完成させた。このシステムは8ビットOSであるCP/M上で動き、300ボーのモデムを介して通信を行うもので、メールシステムも兼ねた、現在の掲示板システムの機能を基本的に備えたものだった。

二人は翌年には一般に公開されたBBSホストを開き、次々とそれに続く連中が現れて、パソコン通信全盛時代に至ったのはご存知のとおり。それがやがてネットが一般化していく際の、強力な助走路になったわけである。幾多の有為の若者たちを、廃人の道に追いやる結果になったのも、また事実。

そんなわけで、壷に巣くう厨たちをはじめとするネットフリークスたちは、人々に情報共有の利便性を提供しようとした先人たちの苦闘に敬意を払い、よりよき世界を実現する道をともに歩まれんことを願うばかりである。って、お前はどうなんだよと言われたら、言葉もありませんが。

2005年02月15日  「タイタンの妖女」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

タイタンの妖女」(カート・ヴォネガットJr:ハヤカワ文庫)

殊能将之さんのサイトで紹介されていたので、非主体的読書家としては読まんわけにはいかんだろうと購入。カート・ヴォネガットJrには、昔ちょっとはまったことはあるのだが、そのころこれは絶版だったか品切れだったかで、読まないままだったのだ。

SFでは古典に属するらしく、ちょっとネットを一回りするだけでも感想文を山ほど目にすることができる。プロットを一口でまとめると、ある宇宙人(というか、その連中が残した文化)がその気まぐれを実行するために、地球の文明への干渉を行っていた、という内容。こう書くと半村良あたりの大伝奇ものみたいに聞こえるが、そこはK・ヴォネガットJr、おどろおどろしさなどとはまったく無縁なのがありがたい。

もっとも、そういうプロットのまとめ方はむしろメインの筋立てに対するオチともいえるので、本筋は「ヨナの受難劇」をヴォネガット流の無神論で再構築したものといったほうがいいのかもしれない。それだけではあまりにあざとすぎるので、オチのほうも追加されたという感じなのかなと思ったり。

ヨナの受難というテーマは、作者自身によって物語のはじめのほうにヒントが出されているが、あまり人の関心は引かないようで、その点に触れている感想にお目にかからないのがむしろ面妖ともいえる。もとの聖書物語は、絶対的な神によるかなり理不尽な試練と、割に合わない恩寵を押し付けるもので、私ならこんな神様と付き合うのはいやだなと思うだけなのに、ありがたい話として読みつづけられているのが不思議である。

K・ヴォネガットJrはこの小説の中で、神と人間の絶対的な非対称性を拒否する神学を提示していて、それはかなり手の込んだものである。正直言ってよくわからない筋運びの末、「徹底して無関心な神の教会」という、プロテスタンティズムの極致みたいな無神論的宗教が地球を席捲することになり、その教義が長々と解説されるのである。しかし、それを本気でやりたいのか、オチに持ち込むためのギャグなのか今ひとつわからない。

たぶん作者にその点を質問しても、帰ってくる答えは「そういうものだ」であろう、というのが最終的感想。

2005年02月14日  Mac Miniその後[PC・MT]

職場で使うメインPCをMac Miniにして、OSXで運用するという壮大な計画を進行しつつあるのだが、正直言ってなかなかそれは難しいと言わざるを得ない。細かなアプリケーションがないと言うのもあるのだが、使うソフトとしては98%ぐらいを占めるブラウザの使い勝手が、やっぱりそうよくはないのである。もちろんそれはアップルのせいではなく、世界標準がMSIEなので、ほとんどのサイトがそれだけに対応しているという事情があるのだが。

それでも出来る限りカスタマイズしようと、昨日の日曜当直まで自分から申し出て、作業に集中しようとしたのだけれど、夜半から突然、嘔吐、下痢、発熱患者が山ほど訪れてきて寝る間もない忙しさ。結局ほとんど何も出来ずに夜が終わってしまう。

大体、OSXの標準ブラウザであるサファリは、普通に他ブラウザのブックマークをインポートする事も出来ない。IEがあれば頼まなくても取り込むらしいが、そもそもMac MiniにはIEがインストールされていない。かなり面倒な手段で、今まで見ていたサイトのURLをいちいち登録するしかない。

サファリも出たころの不安定性も見せず、ソコソコ使えはするのだが、それでもしょっちゅう異常終了するし、映像やPDFファイルとのつなぎこみはそうスマートとはいえない。これではちょっとねぇ、というのが正直なところである。

つまらぬところでは、Mac Miniの電源コネクタは妙にゆるく、ちょっと動かすとOFFになってしまったりする。サウンド入力もUSBを介するしかないし、Skype使うのも手間である。いま標準となっているPCの使い方にさっと近付ける手順が用意されていないと、ちょっと一般化するのは難しそう。

なんであれ、一番の障壁はコマンドレベルでOSXを使いこなせる人たちに見られる、奇妙なまでの排他主義というか、ド素人には決して理解させないような態度なんだろうなというのが正直な感想。Linuxなんかでも同じようなことが見られますが。

2005年02月13日  謎の「皮膚寄生虫」疾患[医学・科学関連]

いま合衆国のベイエリアで、奇妙な疾患が拡がりつつあり、ちゃんとした診断がつかず治療もままならない現状に、患者たちの不満は高まる一方なのだという。その疾患については、すでに患者とその家族による解説サイトまで立ち上げられているのだが、医学界の主流はその疾患の実在性を疑い、一種の集団妄想とすら考える傾向にある。こちらの報道を抄訳して、この奇妙な疾患について概略をおってみよう。

医師を困らせる謎の疾患、患者の不満はたかまる一方

[サウサリート発2月6日]知られざる疾患がベイエリアを襲っているのか、単なる集団妄想なのか?ICUに勤務する看護婦であるシンディ・ケーシーなら、謎の疾患とは現実のもので、苦痛に満ちたものだというだろう。ケーシーさんは、ベイエリアに少なくとも150人はいるこの疾患に冒された住人の一人だ。この疾患は無数の傷とそこから生える奇妙な糸のような物体で特徴付けられる。

「とっても奇妙だから、人が信じないのもわかるのよ」、そうケーシーさんはかたる。「痛みのある打ち身みたいな傷からはじまったの。ちょっと腫れた打ち身ね。そして、糸みたいなのが生えてくるのがとても不気味なの」。彼女が医師にかかった時から、イライラは高まるばかりだ。彼女が勤務する病院の皮膚科医達は、彼女は精神疾患だというのである。「彼らにはこの状態が理解できなかったので、手っ取り早い結論に飛びついたってわけよ。『こんな事はありえない。あなた、自分でこの傷を作ったんでしょ』とね」。(以下略)

この状態の苦しみだけでなく、まともに医療に対応してもらえないことから、うつ状態になってしまった人が自殺したケースまであるそうだ。奇妙なことに、1200人ほど確認されているこの状態を持つ人の多くが医療関係者であるという。

医師の中には、この状態はダニによって媒介されるライム病を背景にした免疫低下状態なのではないかという説を唱えている人もいるらしい。その場合でも、傷口に多数見られるという糸状物質が一体何なのかというのは、全くわからないそうだ。別報道によれば、患者や家族が集めてくる糸状物質は、単なる糸くずでしかない場合もあるというし、何らかの生物学的構造を認めるという報告もあるようだ。

そういえば、昔々、日本でも「傷口から綿がでてくる奇病」というのが報告されたことがあるが、あれは患者の詐病だと片付けられていたはずだ。これについても、今のところそれと同じ見方をしているのが医学界の主流というところらしい。なお、自助グループはこの疾患を「モルジェロン病」とよんでいるが、これは300年以上前に記述された小児疾患から取られたもののようだ。参考サイトは正直いってあまり実証的な主張をするつくりになっておらず、医学者が訴えを認めてくれないうらみつらみが先立ちすぎているきらいがあるのが残念。

全然身体症状を欠きながら、なお「皮膚の下に何らかの虫が這いまわっている」と訴える人は今まで沢山みましたがね。こういうのはまだみたことがありません。もっとも、訴えのかなりの部分は、「慢性疲労症候群」とか「線維筋痛症候群」と呼ばれる人々とカブる部分がありそう。ってな事いうと「お前も精神疾患とみるつもりか」と怒られそうだが、まあ、人間というのは精神機能と身体機能をそうきっちり分けられるものでもないので、治療するにしても、そうハイテク医療技術が出る幕のなさそうなこういう疾患は、まずよく話を聞いて病型をきっちり現象学的に記述分類するところから始めるべきだな、と職業的な経験が告げているのだといいわけしておこう。

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2005年02月12日  ジェーン・グレイの処刑日[今日は何の日]

jane_s.jpg16世紀、嫁さんを次々取り替えてはその首を切っていたことで知られる王様、ヘンリー八世の息子、エドワード六世が9歳で即位するものの、親父の梅毒をたっぷり受け継いでいたこのエドワード、とても長生きできそうになかった。1553年、予想通り16歳で早世したエドワードの後、ヘンリー八世の女関係のだらしなさをごまかすため、プロテスタントを選んでいた王室の利権関係者は、カソリックへの復帰を恐れ、王位後継に有力視されていたメアリーをさけて、後継準位の低いジェーン・グレイ(ヘンリー7世の曾孫)を即位させた。

これはイマイチ底の浅いクーデターであったため、ジェーンはわずか九日で王位を追われ、その黒幕、ジョン・ダッドレーと共に逮捕拘禁され、翌年の今日、死刑が確定する。即日処刑されたという話と、首を切られたのは19日だ、という話が混在しているのでよくわからんが、とにかく、その運命が決したのは今日らしい。

彼女は当時の社交界でインテリとして知られていて、その教養と美貌には一目置かれていたらしい。メアリー女王から、カソリックへの改宗を条件に助命を提案されたが、信仰をコロコロ変える訳には行かないといって、死を選んだ。その後、メアリーがタガが外れたようにプロテスタントの粛清に走り、300人以上を処刑して、「ブラッディ・メアリー」と呼ばれるようになったこともあり、ジェーンの人気というのは、その後数百年たった後も続いているということだ。一種の判官びいきというやつですな。

リプトンが昔からの紅茶配合であるアール・グレイをもう少しフルーティにした、レディ・グレイという紅茶を商品化していて、ティーバッグでしか飲んでいない私もこれはなかなかのお気に入りである。なんせ、ノートパソコンにたっぷり注いでぶっ壊したのがこれだったぐらいで。こういう軟弱なフルーツ系のお茶に、こんなに運の悪い女性の名前をつける発想というのがもひとつ判らんが、まあ、ソコソコうまいからいいのかな。

なんか、この話をマクラにして、別の展開をするはずだったような気がするんだけど、書いてるうちに忘れてしまった。思い出したらまた書くことに。

2005年02月11日  湘南へお出かけ[日常]

某私用で湘南地方へお出かけ。東海道本線なんて、生まれて初めて乗ったんではないだろうか。子供のころ読んだ、「乗り物絵本」を思い出した一日でありました。「早いぞ、すごいぞ湘南電車」なんて書いてあって、かなたに海が見える野山を走る、緑とオレンジの電車に笑顔の子供たちが手を振っているような、そんな絵柄だったな。

でも、考えてみればあの絵はおかしかった。向こう側に海があって、電車は左に向かっていたから、東京方面に向かっているはずなのに、「浜松行き」になってたような気がする。今は東京発浜松行き、なんて東海道本線の電車はないだろう。昔々は直通で名古屋や大阪まで行く電車がなかったものだから(もちろん、新幹線もないのですよ)、浜松あたりで乗り換えないといけなくて、そのためなのか、ヒステリー性の記憶喪失の患者がしばしば浜松で発見されたそうな。

そんなことを考えながら、沿線を眺めていたのだが、正直言って、そう常磐線の周辺と変わりなく、知らず知らずのうちに「勝手にシンドバッド」などを鼻歌にしながら目的地に向かっていつつも、まるっきり似合わない雰囲気ばかりが気になるのであった。大体、海ってどっかにあったのかしら。少なくとも、絵本の絵柄みたいなところは、どこにもなかったな。

用事のほうはそつなく済んだのだが、長時間の電車移動というような慣れないことをしたものだから、家に帰り着いたら異様な眠気に襲われ、深夜近くまでコンコンと眠り続けてしまった休日なのだった。

2005年02月10日  永遠の今を生きる[ネタ]

日曜日だと言うのに、まだ日も昇らぬこの時間に玄関のほうで物音がする。隣で寝ている夫を起こそうかと思ったが、その安らかな寝息を聞くと気の毒なようにも思え、何より夫との間に寝ている3歳の長男を起こしてもいけないと、そっと布団から出て玄関をのぞく。そこには、大きなリュックを背負って出かけようとする父の姿があった。
「どうしたの。こんな早くに」
「いあね、ちょっと多摩のへんを回ってこようと思うんだ」
父は屈託なくそういう。戦争で九死に一生を得て、定年前にようやくこの東京で一家を構えたところに、転がり込んできた長女の家族をいやな顔ひとつせず受け入れてくれ、しかも皆を飢えさせまいと買出しに精を出す父。あのリュックの中には、子育てがやっと終わったと思えば戦争、戦争の後には高年出産とまた子育ての生活で、着ることもなくなってしまった母の若いころの着物が詰まっているのだろう。そんな父母に甘えて、安穏と暮らしている自分がちょっと恥ずかしいような気がする彼女だった。

茶の間では、小学生の弟と妹が目を輝かせてやってきたばかりのTVに見入っている。結構あたらし物好きの父が、かなり無理をしてこの町内でも何軒目かというTVを買ったのだ。勉強をさぼることと、楽をすることにかけては天才的なずる賢さを発揮するものの、成績はさっぱりの弟がこれでますます怠惰になりそうだ。妹も間違えば彼の二の舞である。夜遅くなれば放送が終わってくれるからいいようなものの、これでずっと放送を流されたら大変だ。まあ、TVを一日中放送するようなことはいくらなんでもないだろうが。ラジオみたいに、レコードを流しっぱなしにしておくわけにも行かないのだから。でも、映画を流しておいたらいいのか、と気がついて彼女はすぐにそれを打ち消した。映画がTVで流されるわけがない。商売敵なんだから。

縁側では、父と夫が将棋板をはさみ、真剣な顔で対峙していた。バブル崩壊といわれて久しい昨今ながら、父は定年間近ながらリストラにあうこともなく現役で働き、夫は忙しそうにしているところを見たことがないが、会社はそこそこの業績を維持しているようだ。考えてみれば、彼女には経済的な苦労の経験がない。ちょっと楽しすぎなのかもね。でも、みんな幸せに暮らしているんだもの。そうつぶやいて、彼女は庭掃除をおえた。さあ、日曜日なんだから、夕飯はすこし奮発して豪華にいこうか。不景気といったって、たまには贅沢しないとね。

彼女は3歳の長男を連れて買い物に出かけ、公園に寄ってそこで沈みつつある夕日を見つめた。その夕日は暗い赤に染まり、見慣れた大きさをはるかに超えたものになっていた。あれが地平線に沈んだら、もう朝日となって昇ってくることはない。科学者たちが予想したよりもずっと早く、太陽はそのエネルギー源を失い、大爆発も起こさずに寿命を迎えようとしていて、この地球も、そこに住む生物すべて、そしてもちろん彼女やその家族たちも一緒に運命をともにせねばならないのだ。永遠とも思えたつましい幸せの後に、こんなあっけない幕切れがくるのも必然なのかもしれない。さあ、買い物をすませて家に帰り、最後の団欒をやろう。すき焼きでもやって、肉の取り合いをする弟と妹を叱り付け、そのあと皆で笑いさざめいて終わりを待とう。でもこんな日に肉屋さんは開いているかしら、そう考えながら彼女、フグ田サザエは、長男タラオの手をひいて商店街に向かうのだった。

こちらの文章に触発されて書いたのだけれど、出来の悪さにいささか呆然というところ。

2005年02月09日  デル・シャノンが死んだ日[今日は何の日]

1961年、デビュー曲"Run away"を引っさげて彗星のごとく登場し、全米No.1を長らく維持したことで知られるポップ歌手、デル・シャノンが1990年の今日(現地時間2月8日)、自宅で猟銃自殺する。享年56。日本で"Run away"というと、シャネルズのヒット曲を思い出してしまうが、あれはこの曲へのオマージュなのである(想像)。

私にとって、いわゆるポップスというものの原体験になっているのがこの曲だった。たしか日本での曲名は「悲しき街角」で、その後出る曲も、みんな「街角」がくっつけられていた。今ではどんな曲だったか全く覚えていないが、「花咲く街角」とか、「さらば街角」なんてのも出てたのではないかな。ちょっと検索すればわかることだとおもうが、なんとなく直接的な記憶を大事にしたくて、調べる気になれない。

自分のヒット曲に恵まれなくなった後も、この人は作曲やプロデュースでも結構活躍したはずである。日本でも某女性歌手が"Show me"というカバー曲を歌ってそこそこヒットしたが、あれはたしかこの人が作曲したはずだ。もしかしたら同名曲の勘違いかもしれないけど。

なんで自殺したのかという事情はよく知らない。けっこうなビッグネーム達とグループを組んで、音楽活動を活発にやっていた時期であったので少々不思議であった。フロイトのいう、「成功した時に破滅する人間」というタイプに入る人なのかもしれない。たまたまのラッキーなら受け入れられても、色々組織的かつ地道に成功を目指すのは苦手というやつ。

正直言って、政治的な発言が目立ったジョン・レノン殺害のときより、私には衝撃が強かった事件でありました。大多数の人は「デル・シャノンって誰だよ」と思うだろうから、彼の最大のヒット曲にして、その運命を暗示していた"Run away"(悲しき街角)の視聴版(mp3型式、約550Kb)をアップしておいた。若い人でも、聞けばああこれかと思うだろう。それにしても、昔の曲というのは単純ですなぁ。

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2005年02月08日  Mac mini到着[PC・MT]

結局Mac miniをアップルストアに注文してしまい、そちらの案内によれば2月末ごろの納品ということであったが、幸いにして本日納品される。ちゃんと無線LANカードとメモリ造設もされていて、まことにそつのない対応。当たり前の事なんだけど。何であれ、手に入れたオモチャをいじるのはまことに楽しいもので、今日はデータ移行やらなんやらと、やることがありすぎてしょうもない文章を考えている余裕はとてもありまへん。

ネットを見回しても、Mac mini人柱報告はあまり見当たらず、結局自分でやることになると言うのがちょっと悲しい。ひとつだけトラブルを紹介しておくと、画面の大きさを調整しようとして、自分の持っている安物LCDディスプレイに適合しないレートを選んでしまうと、まったく何も表示されなくなって、元に戻しようがなくなるというのを発見した。WINみたいに、具合の悪い設定をした場合は、自動的に元に戻ると言うことがないようだ。おかげで一日目からOS再インストールする羽目に。多分、もっとスマートな方法があるとは思うのだけれど。

2005年02月07日  ペニス増大術へのQ&A[医学・科学関連]

British Medical Jornal最新号のQ&Aコーナーに掲載されていた記事。

【質問】ペニス増大術ってのは可能なんですか?(フランク・マーティン[学生])

【回答】君は多分、EDのことではなく、勃起したペニスのサイズを増やす方法について尋ねているのだと仮定して話を進めるけど、いいよね。手術で勃起した(そりゃ、そうでないときも含むけど)ペニスのサイズを大きくすることは不可能というわけではない。でも、その処置を受けるのはそう簡単なことではないし、人が望むような結果が必ず得られるというものでもないんだ。

ペニスの長さってのは、それを恥骨弓に吊り上げている靭帯を部分切除すれば少しは追加できるんだ。それは簡単なことの様に思えるかもしれないんだが、覚えておいたほうがいいのは、その靭帯は何のためにあるのかってことなんだね。靭帯を部分切除すれば、ペニスは恥骨からはなれて、その長さは幾分増える(まあ、1~2cmってとこかな)。でも、勃起したときの「角度」は失われるよ。それに、ペニス周りの皮膚の長さまで伸びるわけではないから、皮膚はペニスに引っ張られて、毛だらけペニスになってしまうのは覚悟しないといけない。

別の外科的解決には、あちこちから集めてきた脂肪組織を注入することで、ペニスの周径を増大させるという方法がある。でもこいつには、ペニスがデコボコになって、とっても見苦しくなるという危険がついて回るんだ。これを受けた人が、必ずしも満足するという保障はないんだな。

一番覚えておかないといけないことは、ペニスのサイズ-その長さとか、太さ両方とも-には、ほかの生理的な特徴と同じように、元来かなりの変異があるということだ。小さすぎると思っていても、多分それは正常なんだよね。いろんな美容外科的処置でもそうなんだけど、外科的な手段というのは、結果がどうなるか、それほどハッキリいえるものではないんだ。それを受けた人は、しばしばガッカリすることになる。

雑誌の裏表紙に載ってるような広告を信じちゃいけないし、「自分でやれる」なんて方法も同じことだ。そんなものは絶対うまく行かない。ボクはそういう努力の結果、大変なことになった人たちのために、幾晩も救急呼び出しを喰らって、かなり面倒な夜を過ごしたものだ。彼らのペニスは、一時的に腫れることはあったけど、大きくなることはなかったよ。(ジョン・F・ボルトン[ブリストル王立病院泌尿器科医師])
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2005年02月06日  コメント・トラックバックスパム対策[PC・MT]

久々にコメントスパムがいくつか入っていたので、今までのユルい対策に加え、メインインデックスに表示されなくなった記事には新しくコメントできないように改変した。もちろん、全部エライ人が考えてくれた方法で、私が編み出したわけではない。

これのおかげで12日たつと、それまでのコメントは表示されても、コメント入力欄そのものが表示されなくなる。たぶんCGIに直接引数をいれてデータをぶっこむことも出来なくなっているはずだが……、そこまではよく判らん。もし過去の記事に突っ込みを入れたくなられた場合は、直接メールしていただくか、掲示板の方に書き込んでいただきたい。

いわゆるトラックバックスパムもいくつか入っていたので、そちらのほうにも対策とされているものをほどこしたのだが、これはちょっと根本的対策にはならないように思える。要は、半角英数字だけの入力をはじくというもので、スパムの本場となりつつあるあたりから来るようになれば、そんな対策など、4000年の歴史の知恵さえ使わず回避できてしまう。

滅多にトラックバックなんかされないし、そもそも未だにトラックバックという奴の積極的意味がわからないこちらにしてみれば、TB受け入れ中止にすればいいだけのことなんだけど。なんとなく、それではよく理屈も判らずにMTを使っているのがバレてしまうような気もして、ほとんど見栄だけで受け入れるようにしているわけ。

なんか、コメントとTBの部分はサーチエンジンが無視するように設定して、SEO対策とやらにスパムを入れる努力を無にするプラグインもあるとのことで、そいつも探し出して付け加えておいた。それにしても、こういうものは具体的な設置法を書いてくれるだけでいいのに、ほとんどの対策指南サイトはもっぱら薀蓄をたれることが主要目的らしく、どこからダウンロードするのか見つけるのすら至難の業、というのがちょっと面白い。

何であれ、二重三重の対策をほどこしたので、 スパマーの皆さん、無駄な努力をこのサイトには投下しないようにお願いしたい。

ついでとばかりにsix-apartが提供してくれている、Blacklistなるプラグインも利用させてもらうことにした。常習スパマーのメールアドレスやURLのデータベースを自動更新してくれて、それらが入ったコメントやTBをはじいてくれるというものである。なんか、副作用も大きいような気がするが、当分使ってみるつもり。
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2005年02月05日  携帯電話バッテリーエンハンサー[アートとかグッズなど]

携帯電話というものが普及し始めたころ、地方に住んでいるとその限られたカバレッジのため、実用にはまだ一歩で、またその弱点に付け込んだ妙なインチキすれすれの商品が売られていたものだった。よくあったのが、電波の到達範囲を広げると称する変なシールアンテナ。なんか一時話題になった白装束集団が車に貼りまくっていた、電波よけのシールを思わせるもの。内部アンテナと対応して、八木アンテナの導波素子か反射素子の働きをすると主張するつもりだったと思うのだけれど、そこまでのメカニズムは説明されていなかった。

さすがに今のようにデジタル化され、あちこちに中継局が造設されているので、この手の電波増強グッズというのはお目にかからないような気がする。もっとも、私はほとんど携帯電話グッズを売っている店に近寄る事がないので、そう実情を知っているわけではないけれど。

だから、と言うわけではないのだろうが、最近欧米で売られている携帯電話用怪しげグッズがこれ、BatMaxという名の携帯電話用バッテリー強化グッズ。「ナノセラミック」技術を応用した製品で、携帯電話のバッテリーにそのサイズに合わせて貼り付けておくと、通話時間、待ちうけ時間を30%延長でき、充電時間も40%短縮した上で、バッテリー自体の寿命も30%延ばせるというふれこみである。確かに、今の携帯電話の問題はほとんど電池の持ちだけですからな。

「ナノセラミック」なんていう怪しげな技術を自称するだけで、あ、こりゃインチキだわといいたくなり、あちこちでこの製品への疑義が表明されているらしい。例えばこことかこことか。でも、この製品を買って効果を検証したと自称するサイトもあり、そこによれば広告ほどではないものの、数%から15%の機能増強効果が見られたという。ここがメーカーから鼻薬を効かされていない保証はないものの、一応尊重すべき意見ではあろう。

「ナノセラミック」というのがどんな技術を指しているのかよくわからんが、多孔質のセラミックを貼り付けるということは、放熱作用はあるはずだから、その辺から何らかの効果を示すのかもしれない。そのうち日本でも売られるだろうから、充分眉に唾つけて実際の効果を見極めて頂きたい。実際の製品は携帯電話に限らず、充電可能な電池を使うすべての製品に応用できるとのことなので、ホントなら使う価値はあるかも。

でも、この製品の宣伝サイトのどこを見ても、肝腎の「値段」が書いていないんだよね。200円以下ぐらいのものなら、別に騙されても腹は立たんのだけれど。

情報はこちらから。

2005年02月04日  2004年度ステラ賞[都市伝説・デマ・トンデモ]

毎年2月は「ステラ賞」が発表される季節である。この賞は毎年選定されるもので、一年の間、一番バカバカしい訴訟を起こした人に捧げられる。以前は完全な都市伝説が「ステラ賞」として、チェーンメールで流通していたりしたもので、かの「電子レンジの中のペット」などもその材料となっていた。少し前からStellaAwards.comというところが、ちゃんと公判記録を取り寄せて内容を吟味し、その上で毎年この季節に発表されている。

昨年度は拳銃とスタンガンを間違えて、容疑者を射殺してしまった婦人警官と彼女が属していた市警がこの賞を得た。市警は、拳銃と間違うようなスタンガンを作った会社の責任を問う訴訟をおこしたのである。これはなかなかインパクトのある訴訟であったが、今年のステラ賞ははっきり言って、いまひとつといわざるを得ない。

今年は1位から6位までが発表されているが、なんか妙に常識的というか、訴えるのはなんぼなんでも、というようなものというより、妙に企業の論理が目立つようなものが多く、判決が出ているものもえらく当然な日常感覚に基づいているように思えるのだ。まあーよく訴えたもんだよ、という訴訟に対して、何でそんな判決出るの?というようなものでないと、こういうのは面白くありませんな。

1位になったのはマリー・ウバウディというイリノイ州マディソン郡に住む女性。彼女は乗用車に同乗していて事故にあい、その車のメーカー(マツダだそうな)に15万ドルの賠償訴訟を起こした。その理由は、「メーカーはシートベルトの安全かつ適正な使用法を説明する手段をとらなかった」と言うもの。車に乗るとき、例えば飛行機の離陸時のような説明が流れるように作っておくべきであるという主張であった。判決はまだ下りていないが、原告は今まで一度もシートベルトをしたことがないと法廷で告白してしまったので、勝訴の可能性は乏しいらしい。

読んでいて一番面白かったのは、3位になったニューヨーク州に住むタニシャ・トーレスと言う女性のケース。彼女は"Wyndanch"(ウィンダンチと読むのかねぇ)という町に住んでいるのだが、あるとき携帯電話会社からの請求書の住所が"Crimedanch"と書いてあるのに気付いた。彼女は「自分は犯罪者ではない」と、怒りと当惑を感じざるをえず、訴訟に踏み切ったという。何でもこの町は犯罪多発地帯で、"Crimedanch"という冗談めかした呼び方がしょっちゅうされるらしいのだが。

今年のステラ賞にいまひとつのものが多いということは、アメリカがいくら訴訟社会とはいえ、やはり常識から逸脱したような裁判結果が得られるようなことは、だんだんとなくなってきたということなのかもしれませんな。一部は伝説にもなっている一連のアホな裁判は、人々の関心をひきつけて法曹関係者が自分たちのせまい世間だけで通用するような論理を振り回せなくしたという、結構ポジティブな効果があったといえるのかも。

2005年02月03日  鎌倉まで御出掛け[日常]

私用で休みをとって鎌倉に御出掛け。止むに止まれぬ用事であって、決して遊びに行ったわけではないが、せっかくそばまで行ったのだからと鶴岡八幡宮にお参り。たまたま、節分の行事と重なっていて、えらい人出でありました。はじめは気が付かず、なんで平日にこんなに観光客がいるんだ、と怪訝な思い。もしかしたら、NHKの「義経」の影響かとも思ったが、あんまり関係ないよね。

用事を済ませて帰ってきたら、もう夜の八時過ぎ。仕事してたほうが楽だったかと思うぐらいの疲労困憊。2月2日予定稿を別館にアップしてあったので、それで今日はおしまい。

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2005年02月02日  「ふるさと」はそんなに大事なものか[社会・歴史]

火山活動のために出されていた三宅島島民への避難命令が解除され、帰島第一陣が島についたという報道である。避難時に4000人近かった住民は、死亡や転出などで3000人強に減り、そのうち2000人ほどが帰島を望んでいるのだと言う。

先の中越地震で全村民が避難した地域でも、住民総ぐるみでの帰村ということに世間のコンセンサスがあるような報道がされており、この三宅島でもそれは同様である。だからこんな事いうと袋叩きにあうかもしれないが、私には元の住民たちのそういう希望を、行政が税金使って支えなければならない理由が理解できない。

毒ガスたなびく地域で暮らしたいのも人の勝手だろうし、人里はなれた村で小さなコミュニティをつくり、助け合いながら暮らすのも美しいことかもしれない。でもそんなの、「趣味」の問題ではないのか。都市住民の税金使って支えるべきことだろうか。どうぞ御自由に、でも金はそちらで工面してね、というのが近代国家の立場だと思うんだが。

大体、昔ながらの人間関係がガチガチと出来上がったようなムラで暮らすのがそんなに楽しいのだろうか。私なら、火山活動や地震で暮らせなくなったら、まずラッキー♪、と感じるだろう。どっかにさっさと引っ越すいいチャンスじゃないか。補償金が出ればもっとラッキーだけど、そこまで贅沢もいえないだろう。

島や山の中は自然に戻り、やがて人間以外の生物たちはそれなりの生態系を獲得するだろう。自然保護的観点からも結構なことではないか。いや、自分は生まれ育った故郷を守るのだ、という考え方自体を否定している気はないので、そうしたい人はされればいいのである。でも、それは趣味なんだから、行政におんぶしてもらおうというのは、虫が良すぎると思うのだがなぁ。

(報道をみている限り、中越地震の被害者に対してはやたらに『援助』が話題になる一方で、三宅島のほうは安全性の問題が優先し、援助のことはそれほど触れられていない。だから、三宅島に関しては、あくまで自己責任が貫徹されているのかもしれない。これはやはり、地方と、曲がりなりにも都内であるということの違いなのかも。)

「自分が田舎だから、田舎なのはもうしかたないんだって考え方とか、自分はまったく完璧に田舎じゃないから、田舎は許さないんだって考え方、――― これは両方ともいけないんだよ」 「よく判んないな」 「自分は絶対に田舎じゃないって思える神経は、もうむちゃくちゃに田舎じゃないか」 「あっ、そうかぁ!」ケンタは顔中でぱっと笑い、両手を叩きあわせた。

「前の田舎がイナカモンで後ろの田舎はファシズムだ。――― いいかい、ケンタ。君はいつか大きくなる。パパとママのお家から出て行く。そのとき、パパが出て行かないでくれ、このままいつまでもいつまでも三人で暮らそうといったら、パパはとっても田舎で反革命なんだよ。ミドリの党とか、ああいうエコロジー運動と同じようにだ」
「うん」何だか、とても心細く、困ったみたいにケンタは頷いた。
「共同体を解体するヘゲモニーに反旗をひるがえすのは悪いことなんだよ」
         
              「スズキさんの休息と遍歴」(矢作俊彦)より

2005年02月01日  思わぬ再会[日常]

パート先の病院で、救急担当医たちが深刻な顔をして症例検討をしているので、何を話しているのかと立ち聞きしていたら、何日か前に火傷で入院した救急患者が、思わぬ急変で死亡した例についての討議であるという。事故で下半身に30%の火傷を負い、当初は標準的な火傷管理手順で良好な経過を示していたものの、入院後それほど間をおかずに不整脈が出現し、心停止にいたったという。

年齢は40台、それで急変したというのは確かに不思議だと思っていたら、担当医の一人が私にたいして、「この人は長い間精神科治療を受けていたので、その投薬内容などを検討してくれないか」との依頼。カルテを受け取ってみて驚いた。その人は、私が10年ほど前、別の病院で見ていた人だったからである。

その人は「慢性分裂病」ということで入院を依頼された。行動が落ち着かず、徘徊や衝動的行為が頻発して、家庭では管理できないということだった。しかし、入院時の面接では、分裂病というよりは陳旧性の自閉性障害と思われた。かなり退行的ではあるものの、分裂病に特有の接触性の障害もなく、思路にも乱れはない。固執傾向と、一方での集中困難の同居というアンバランスさが、一見分裂病性の思考障害と思わせるのだろう。

落ち着かないからという理由で、彼には向精神薬大量投与がなされていたが、その行動が問題になって投薬量が増えるほど、彼の行動異常は悪化して行ったということであった。「この子の面倒をみるのは疲れ果てました」と肩を落としている母親の反応も、分裂病の家族にみられるものとは微妙に違う。

入院後も、彼はちょっとしたことでパニックになり、突然テーブルの上で頭を抱えて地団太を踏んだり、みなで散歩をしていて突然車道に飛び出そうとするような事がしばしばみられた。それで薬を追加すると、眼球上転などの非特異的な錐体外路症状が出現し、行動はますますまとまらなくなるのだ。どうも薬を増やすと意識もうろうになるだけらしいと、思い切って神経遮断剤を中止し、その多動傾向に注目して「リタリン」の投与に切り替えてみる。全く逆の方向に切り替えたわけだが、こういう大胆な事が出来たのも、度重なる大騒ぎのおかげで、長らく保護室収容をしていたからである。

かなりバーバリックな方針転換であったが、これは彼に劇的な効果を示した。彼はパニックを起こさなくなり、かなり持続的な会話も可能になったのである。彼がしんみりと、「ボクももう30なので、いつまでも母に負担をかけている訳には行かないのです」と、内省するところを見るのは信じられない思いであった。

面会に来た母親もその変貌には驚き、彼は自宅に帰ることになったが、問題は自宅近くの病院への紹介であった。慢性分裂病と1年前まで言われていた病院に、リタリン4錠を飲んで落ち着いたという紹介書を書いても、「うちはこんな冗談のような処方は出来ない」といわれ、彼は片道2時間をかけて私のいる病院に一年近く通院することになった。

彼は引きこもりがちではあるものの、一応家族をそう困らせる事も無く生活していたようであるが、ある事情から彼をそれ以上見ることは出来なくなり、何とか受け入れてくれる病院を見つけて転院となった。それからほぼ10年、彼はそう変わらぬ引きこもり生活を続けていたらしい。彼の服薬内容をみると、以前ほどの大量投与ではないものの、一般的な神経遮断剤と、抗てんかん薬の中等量多剤投与に切り替えられていた。

リタリンは多動性障害に結構効果はあるものの、だんだん効かなくなる傾向はあるので、おそらく行動がまとまらなくなる度に、昔ながらの鎮静系薬剤に切り替わって行ったのだろう。なんで火傷を負ったのかという事情はカルテからはよくわからなかったが、タバコをすっていて着衣に火がつき、3度近くの火傷を負ったということだった。彼がちょっとしたことでパニックをおこし、頭を抱えて足を踏み鳴らしているところを思い出した。きっと着衣に火がついて、適切に対応が出来ず衣服が燃えるまま、そんな風にパニックを起こし続けていたのかもしれないな、と思った。

悲惨な最期に終わった彼の人生に、私はなにか意味ある手助けが出来たのだろうか。当時、半分ヤケクソの薬物療法方針転換が思い掛けずヒットして、私は半分有頂天であった。ほら、惰性的診断に惑わされずに、ちゃんと症候をつかんでいけば今の薬物療法の限界の中でも、ソコソコの安定は得られるものなんだ。そんな自慢げな話を後輩医師にしていたことを思い出す。やっぱ、浅知恵だったんだなぁ。その浅知恵投薬はあっさり変更されていたとはいえ、一応再入院は防げていたようではあるが。

少量であるとはいえ、多剤投与されていた向精神病薬剤は、すべて心毒性の恐れが何がしかあるものばかりであったが、急に来た心合併症の原因を追究している同僚たちには、そのことをあまり強調しなかった。彼の死因について、変に落とし所を提示することになってしまうのも気の毒に思えたのである。せめて、その救急治療経過を真摯に討議することが、彼への弔いになるような気もした。

その一方で、当時からさらに老境に達しているであろう彼の母親にしてみれば、この事故はある意味救いになったかもしれないかなという、不謹慎な思いもしないではないのだった。