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2005年02月02日  「ふるさと」はそんなに大事なものか [社会・歴史]

火山活動のために出されていた三宅島島民への避難命令が解除され、帰島第一陣が島についたという報道である。避難時に4000人近かった住民は、死亡や転出などで3000人強に減り、そのうち2000人ほどが帰島を望んでいるのだと言う。

先の中越地震で全村民が避難した地域でも、住民総ぐるみでの帰村ということに世間のコンセンサスがあるような報道がされており、この三宅島でもそれは同様である。だからこんな事いうと袋叩きにあうかもしれないが、私には元の住民たちのそういう希望を、行政が税金使って支えなければならない理由が理解できない。

毒ガスたなびく地域で暮らしたいのも人の勝手だろうし、人里はなれた村で小さなコミュニティをつくり、助け合いながら暮らすのも美しいことかもしれない。でもそんなの、「趣味」の問題ではないのか。都市住民の税金使って支えるべきことだろうか。どうぞ御自由に、でも金はそちらで工面してね、というのが近代国家の立場だと思うんだが。

大体、昔ながらの人間関係がガチガチと出来上がったようなムラで暮らすのがそんなに楽しいのだろうか。私なら、火山活動や地震で暮らせなくなったら、まずラッキー♪、と感じるだろう。どっかにさっさと引っ越すいいチャンスじゃないか。補償金が出ればもっとラッキーだけど、そこまで贅沢もいえないだろう。

島や山の中は自然に戻り、やがて人間以外の生物たちはそれなりの生態系を獲得するだろう。自然保護的観点からも結構なことではないか。いや、自分は生まれ育った故郷を守るのだ、という考え方自体を否定している気はないので、そうしたい人はされればいいのである。でも、それは趣味なんだから、行政におんぶしてもらおうというのは、虫が良すぎると思うのだがなぁ。

(報道をみている限り、中越地震の被害者に対してはやたらに『援助』が話題になる一方で、三宅島のほうは安全性の問題が優先し、援助のことはそれほど触れられていない。だから、三宅島に関しては、あくまで自己責任が貫徹されているのかもしれない。これはやはり、地方と、曲がりなりにも都内であるということの違いなのかも。)

「自分が田舎だから、田舎なのはもうしかたないんだって考え方とか、自分はまったく完璧に田舎じゃないから、田舎は許さないんだって考え方、――― これは両方ともいけないんだよ」 「よく判んないな」 「自分は絶対に田舎じゃないって思える神経は、もうむちゃくちゃに田舎じゃないか」 「あっ、そうかぁ!」ケンタは顔中でぱっと笑い、両手を叩きあわせた。

「前の田舎がイナカモンで後ろの田舎はファシズムだ。――― いいかい、ケンタ。君はいつか大きくなる。パパとママのお家から出て行く。そのとき、パパが出て行かないでくれ、このままいつまでもいつまでも三人で暮らそうといったら、パパはとっても田舎で反革命なんだよ。ミドリの党とか、ああいうエコロジー運動と同じようにだ」
「うん」何だか、とても心細く、困ったみたいにケンタは頷いた。
「共同体を解体するヘゲモニーに反旗をひるがえすのは悪いことなんだよ」
         
              「スズキさんの休息と遍歴」(矢作俊彦)より

投稿者 webmaster : 2005年02月02日 15:55

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コメント

世間は常に美談とやらを求めているものなのです。

投稿者 小狸工房 : 2005年02月06日 05:35

考えさせられる問題提起ですが、都市住民の税金云々、を言い出すと、我々貧民は「大部分を払ったのは我々だろうが」という、一部の高額納税者のクレームを受け入れなければならなくなります。
要は、コスト対効果の問題だと思います。
島民の生活基盤を確保するための対処として、今回の措置はコスト的に合理的であったのかどうか。
島民に我慢してもらうことで、もっと多くの国民を救えるのであれば、そっちの方が良かったと言うことにはなります。

投稿者 一ノ瀬 : 2005年02月05日 23:08

中学の地学の授業で、火山の脅威を描いた外国製のドキュメンタリーを見ました。「大噴火を繰り返す火山を抱えた島、しかし、その島をも故郷とし、脅威にさらされながら、暮らしつづける人々がいる……。」
その島とは「日本」でした。結構ショックだったことを、久しぶりに思い出しました。

投稿者 風鈴’ : 2005年02月04日 23:13

これは文化的ヒエラルキーからこの国の経済構造にまで及ぶ問題なので対等には扱えないのです。

トーホグ六県が独立宣言をして帝都への食料供給が断たれるのは西村寿行の「蒼茫の大地亡ぶ」。

投稿者 小狸工房 : 2005年02月03日 03:30

大都市が被災した場合の事を言い出すのは違うような気がしますね。
あえて言えば、都市の復興に費やす公的費用の大部分は都市生活者の税金でしょうし、そういう意味では税金投入も結局「自助努力」ということになるとは思いますが。

そもそも理解しておくべきは、そのことの是非はともかく、「近代国家は『大を生かして小を殺す』で成り立ってる」って事なんじゃないでしょうか。
今ここにある社会を否定するつもりならば、「地震で都会が壊滅し云々」のロジックもありだと思います。

投稿者 厭離浄土欣求穢土 : 2005年02月02日 23:46

神戸の地震のときはまさに、自助努力で復興したわけですが、その件については忘れましたか?

投稿者 Webmaster : 2005年02月02日 23:39

「田舎」の反対は「都会」でよいと思うのですが、さて地震で
都会が壊滅した場合、全く同じ文脈で語られるんですかねぇ?

田舎に移住すればよいのに都市生活が送れないほどぶっ壊れた都会にわざわざ税金つぎ込んで復興するなんて・・・けしからんですよね。
全て自助努力でやるべき、ということになるんでしょうねぇ。

投稿者 ところてん : 2005年02月02日 21:36

これに関しては遠慮無く発現させてもらう。

田舎者というのは単に無知な集団なのではなく、ごく特殊な文化圏に属する独立した民族なのである。
彼らは極めて独特な法解釈に基づいて生活している。日本人とは根本的に異なる文明の中に生きている。

彼らは異質なものを極端に嫌う、なぜならそれが自分たちの安寧を常に脅かし得るエネルギーを孕んでいるのを本能的に感じ取っているからである。

今、彼らの前にネット社会という新たな敵が立ちはだかっている。
それは不可逆的な変化として文明の均質化を強要する。
そして彼らのレーゾンデートルそのものを破壊しかねないのだ!

彼らがどこまで持ちこたえるのか、生温かく見守ろうではないか諸君!

投稿者 小狸工房 : 2005年02月02日 20:25