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2005年02月10日  永遠の今を生きる [ネタ]

日曜日だと言うのに、まだ日も昇らぬこの時間に玄関のほうで物音がする。隣で寝ている夫を起こそうかと思ったが、その安らかな寝息を聞くと気の毒なようにも思え、何より夫との間に寝ている3歳の長男を起こしてもいけないと、そっと布団から出て玄関をのぞく。そこには、大きなリュックを背負って出かけようとする父の姿があった。
「どうしたの。こんな早くに」
「いあね、ちょっと多摩のへんを回ってこようと思うんだ」
父は屈託なくそういう。戦争で九死に一生を得て、定年前にようやくこの東京で一家を構えたところに、転がり込んできた長女の家族をいやな顔ひとつせず受け入れてくれ、しかも皆を飢えさせまいと買出しに精を出す父。あのリュックの中には、子育てがやっと終わったと思えば戦争、戦争の後には高年出産とまた子育ての生活で、着ることもなくなってしまった母の若いころの着物が詰まっているのだろう。そんな父母に甘えて、安穏と暮らしている自分がちょっと恥ずかしいような気がする彼女だった。

茶の間では、小学生の弟と妹が目を輝かせてやってきたばかりのTVに見入っている。結構あたらし物好きの父が、かなり無理をしてこの町内でも何軒目かというTVを買ったのだ。勉強をさぼることと、楽をすることにかけては天才的なずる賢さを発揮するものの、成績はさっぱりの弟がこれでますます怠惰になりそうだ。妹も間違えば彼の二の舞である。夜遅くなれば放送が終わってくれるからいいようなものの、これでずっと放送を流されたら大変だ。まあ、TVを一日中放送するようなことはいくらなんでもないだろうが。ラジオみたいに、レコードを流しっぱなしにしておくわけにも行かないのだから。でも、映画を流しておいたらいいのか、と気がついて彼女はすぐにそれを打ち消した。映画がTVで流されるわけがない。商売敵なんだから。

縁側では、父と夫が将棋板をはさみ、真剣な顔で対峙していた。バブル崩壊といわれて久しい昨今ながら、父は定年間近ながらリストラにあうこともなく現役で働き、夫は忙しそうにしているところを見たことがないが、会社はそこそこの業績を維持しているようだ。考えてみれば、彼女には経済的な苦労の経験がない。ちょっと楽しすぎなのかもね。でも、みんな幸せに暮らしているんだもの。そうつぶやいて、彼女は庭掃除をおえた。さあ、日曜日なんだから、夕飯はすこし奮発して豪華にいこうか。不景気といったって、たまには贅沢しないとね。

彼女は3歳の長男を連れて買い物に出かけ、公園に寄ってそこで沈みつつある夕日を見つめた。その夕日は暗い赤に染まり、見慣れた大きさをはるかに超えたものになっていた。あれが地平線に沈んだら、もう朝日となって昇ってくることはない。科学者たちが予想したよりもずっと早く、太陽はそのエネルギー源を失い、大爆発も起こさずに寿命を迎えようとしていて、この地球も、そこに住む生物すべて、そしてもちろん彼女やその家族たちも一緒に運命をともにせねばならないのだ。永遠とも思えたつましい幸せの後に、こんなあっけない幕切れがくるのも必然なのかもしれない。さあ、買い物をすませて家に帰り、最後の団欒をやろう。すき焼きでもやって、肉の取り合いをする弟と妹を叱り付け、そのあと皆で笑いさざめいて終わりを待とう。でもこんな日に肉屋さんは開いているかしら、そう考えながら彼女、フグ田サザエは、長男タラオの手をひいて商店街に向かうのだった。

こちらの文章に触発されて書いたのだけれど、出来の悪さにいささか呆然というところ。

投稿者 webmaster : 2005年02月10日 23:13

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コメント

読みながら時間感覚の奇妙な違和を感じていましたが,
なるほど,本歌と異なり,こちらは段落ごとに時間が数十年ワープ(古い!)しているのですね.

投稿者 同業者 : 2005年02月11日 21:38

質問「どうして春休みがあったのにチエちゃんは五年生のままなんですか?」
答え「マンガやから」

はるき悦己作、「じゃりん子チエ」より。

これも作中の張り紙にさり気なーく書かれていました。

投稿者 小狸工房 : 2005年02月11日 19:49