VPSレンタル契約も済み、必死で設定中なんだけれど、これがなかなかに難物である。かなり使いやすいコントロールパネルはあるものの、Apache自体の設定になると直接confファイルを書き直さなければいけないようだし(機能を見逃しているだけかも)、大体操作方法をいちいち検索で調べながらやっとこさいじっているレベルで、サーバー丸ごと自分ひとりで管理、なんていうような芸当がうまくいくはずがない。
本当は今夜にでも引越しを済ませるつもりだったが、この調子ではあと2~3日かかりそうである。なんでそんなにかかるのかというと、サポート係の人とのメール交換が律速過程になっているというわけ。えーと、CGIをどこのディレクトリでも実行出来るようにするには、どこを書き換えるんだったかな。昔々に同じことしたような気がするんだが、まるっきり学習効果が残っておりません。
例によってこちらからの情報。
向こうのクイズ番組に"Who Wants To Be A Millionaire"というのがあるそうで、それには時々やたらに易しい問題が出るのでも知られているそうな。左に示したキャプチャーイメージは、その手の問題が出たときの例。地球に一番近い星はどれかという問題に、答えは(A)アンタレス(B)太陽(C)ベガ(D)シリウス、以上四っの中からの選択。
コーネル大学で化学を専攻しているという回答者は、この問題に「ライフライン」を申し入れたのだそうだ。「あまり簡単すぎるので、引っかけだと思った」というのが回答者の弁だそうだが、それにしてもなぁ、と思わざるを得ない。
なんであれ、この番組は画面の構成まで、かの「みのもんた」がやっている「ミリオネア」と同じである。回答者が詰まったときの救済手段まで、まるっきり同じであるようだ。昔、某所でアメリカのTVクイズ番組をみていたら、「クイズ100人に聞きました」と全く同じ視聴者参加番組(たしか"Family Feud"という名前だった)が始まってビックリしたことがあったものだ。司会者の仕草まで同じ(といっても、もちろん文化的差は考慮してあるものの)だったので、かなり脱力した。
TV局が自分で言うような番組企画のソフト能力なんてのは、結局この程度のパクリということだ。私は今後、海外サイトの引用をするとき、あまり良心の呵責は感じないようにしようと思う。なお、本家ミリオネアでは、回答確認の決まり言葉は"Are you sure?"であるらしい。「ファイナルアンサー」ってのは、少なくとも日本オリジナルのようですな。
一週間前に書いたような事情がまだ続いているのか、転送量は増えるばかり(といって、アクセス数はそう変わらんのだけど)。そこで色々とセコイ工夫をしてトラフィックを削る作業をしたのだけれど、このままでは毎月基本料金の数倍の超過料金を取られる羽目になる。思い切って基本プランをアップグレードしてみたりしたのだが、ほとんど節約にはならないのである。
そんなわけで、もっと安くて転送量制限のないレンタルサーバーがないかと物色していたものの、なかなか適当なところがない。今借りているところはかなりの自由度があるので、すぐに移転再開が可能な、同じレベルのサービスをうまく提供してくれるところが見つからないのである。
最近、共用サーバーであっても、マシン上に複数設定した仮想マシンを個々のクライアントに貸し出す、ヴァーチャル・パーソナル・サーバー(VPS)というサービスが主流になりつつあるという話を聞き、設定が自由に出来るというのもあるが、それ以上に新しもの好きの血をそこそこ揺さぶってくれたので、早速某社のサービスに申し込んでしまう。
明日にはそちらのサービスが使えるようになるはずなので、設定とかデーター移転のために、一時的に接続不能になるかもしれまへん。ROOT権限が与えられて、自由に設定できるというのだけれど、考えてみれば遊び以外でUNIXをきっちりいじったことなんかないわけで。
どないにもならなくなった時は、別館のほうで進捗状況を報告するので、そちらを参照して頂きたい。
西暦243年に書かれた"Des Pascha Comutus"という書物によれば(この意味は『美しきイースター』というようなものではないかな、多分)、4世紀にローマ帝国が制度として定める前までは、イエス・キリストの誕生日は3月28日とされていたそうだ。
向こうのサイトを検索すると、同じ書物を論拠にして、この日は神が太陽と大地を作った日とされているとも書かれてあったりする。結局どうなんだよと言いたくなるが、要は昔のヨーロッパでは、天地創造の日というのが今頃だったとされていたらしい。だから、イエス様だって生まれたのは今頃なんだよ!と勢いで決めてたんでしょうな。
キリスト教なんぞよりよっぱど古い、誕生と死の円環という神話があって、それに初期のキリスト教も乗っかっていたが、やっぱりイースターという古来の祭りのエネルギーのほうが高いため、バッティグで目立たなくなってはイカンと、エスタブリッシュ側に成り上がったあと、冬至あたりに移動したということなのかも。陰の極に始まりを見るか、命が萌え出でる頃を始まりと見るかのセンスの違いということなのかもしれないが。
今でも、四月に始まる新年度というのと、一年の始まりというのはずれているわけで、この辺の円環感覚のずれが影響しているということになるのかも。というわけで、昔は今日がイエス様の誕生日だったわけ。メリー・クリスマス。
NASAのアポロ計画は偽りで、本当は人間が月に行ったことなんかないという陰謀論があるのは有名であるが、それよりももっと驚くべき宇宙計画の秘密があったことを示すビデオが公開されている。題して「黒人宇宙計画」。これによれば、NASAのアポロ11号が月に到着する3年前に、この黒人宇宙計画による人類初の月上陸が成功していたのだという。
黒人には公民権も認められず、公的施設は白人用と有色人種用に分けられていた50年代、NASAによる宇宙開発事業は白人によって独占されていた。そんなNASAに対抗して、黒人たちによってNASSA("The Negro American Space Society of Astronauts")が組織され、独自の宇宙計画を進めていた。
彼らは少ない予算で大胆に計画をすすめ、本家NASAもソ連との競争以上の危機感をもって彼らを意識していたのである。低予算のため失敗も数多く、沢山の犠牲者も出た。ビデオは宇宙から帰還できずに死を迎えた黒人宇宙飛行士の妻への手紙を紹介しているが、その崇高な姿勢には涙を禁じ得ない。
彼らはバスとキャデラックを改造した宇宙船と月着陸船を使い、本家より3年はやく月上陸を果たした。しかし、公民権運動の高まりで各地に人種暴動が起こっていた当時、ケネディ政権は黒人による月着陸ニュースが黒人たちを鼓舞することをおそれ、事実の隠蔽を図ったのである。彼らの英雄的な月旅行事業は、こうして忘れ去られていった。
このビデオはNASSA事業の研究家や、当時の黒人宇宙飛行士の証言、わずかに残っている写真やフィルムを編集したものだが、10分ほどの短編にもかかわらず、人種差別にめげずに独自の宇宙開発を進めたNASSAの奮闘を、今日によく伝えるものとなっている。昨年度のファーストサンデイズ・フィルムフェスティバルで、最優秀賞を取ったのも当然であろう。
ビデオはこちらのページからストリーミングで見られる。それはいいんだけれど、せっかくここまで作り込んでいるんだから、「衝撃の−しかし事実ではない−黒人宇宙飛行士物語」って書いてしまうのはイカンのではないかな。
ファイル保存を望まれるなら、こちら(WMV形式。約10Mb)から。
なんだか自分でも理由が不明ながら、またも出かけた流山児★事務所の芝居である。「夢の肉弾三勇士」というのは、70年初頭のアングラ芝居全盛の頃、まだ23歳だった流山児祥が、「演劇団」という劇団を旗揚げしたころの芝居で、その当時はそれなりに知られた演目だったのである。
もちろんそれは、アングラ芝居というようなものが共通の話題になるような、ほとんど学生によって構成される狭い世界の話であって、まあ人間の数にして日本全国かき集めても1~2万程度というマーケットの中のことなのである。そして当時そういうところに中途半端ながら属していた私にしても、彼らのこの芝居は見ていなかった。唐十郎や寺山修司ほどメジャー(?)でもなく、といって田舎に巡業にくるほどの三番手四番手というほどでもない、という彼らの位置のせいである。
まあそんなわけで、多少は気になっていた彼らの芝居を見る機会を今得て、それをズルズルと享受させていただいているというわけ。もっとも、今回の公演は当時の戯曲(そんなもんあったんかねぇ)そのままというわけではなく、かなり改変されているようだが。
内容を紹介しようと思っても筋などはないに等しく、ほとんど自動書記、自由連想みたいな形で展開するが、そこで発せられるのは反帝国主義、反侵略戦争の政治プロパガンダの氾濫である。当時のアングラはみんなこんなものであったが、それをそのまんま再現して人に見せるというアナクロを堂々とやるところが、彼らの真骨頂なのだろう。しかもなんと、これをひっさげて韓国中国を巡業公演する計画まであるそうな。
当然政治的有効性なんかを考えているわけもなく、こうした意味を失った言葉を掲げて肉体を乱舞させるというパフォーマンスがすべてなのである。そこに、彼らが70年当時はかなり本気で叫んでいたであろう政治スローガンなどよりも、よっぽど強力な批評性が見られるのが、同時代を生きてきたものとして感じる皮肉であろうか。
一週間後に迫ったエイプリルフールに関する話題。
ニューヨーク・エイプリルフール協会は、本年度のエイプリルフールパレード実施要項(PDF)を発表している。1986年に始められたこの催しは、年々その規模を広げ、今年は第20周年記念と言うこともあり、さらに権威ある行事になろうとしている。
要項によると、パレードは4月1日の正午に、ニューヨーク五番街の59番通りからワシントン・スクエア公園にむけて出発する。いささか胡散臭い形ではじまった行事が、20年の間に市当局にも公式的に認められることになった。このパレードの模様はタイム・ワーナー・ケーブルTVがリアルタイムで実況中継することになっている。
この催しは、1986年に、それまでの少数民族の祭りや休日を統合する形で始まった。人類が決して失うことのない自らの愚かさを讃え、その愚かさを通じて人々のふれあいを取り戻そうという意図である。毎年、パレードに参加した人の中から、もっともそれらしい「阿呆王」が選ばれ、戴冠される。
今年のキーワードは「離れていても、我らは一つ」である。人々が多大な財貨を浪費しながら、政治、宗教、個人どのようなレベルにあっても、その愚かさパワーを保つ努力を続けていることへのレスペクトである。
今年の名誉実行委員長は元CBSアナウンサーのダン・ラザーである。テーマソング、「主を讃えよ、そして武器を配れ」はブッシュ大統領自身によって歌われる。参加希望者はパレード順路のどこからでも飛び入り歓迎とのことだ。ただし、大きな山車での参加は、開始時間30分までに出発地点に集合することが義務づけられている。
有名人の参加予定は、ドナルド・トランプ、アーノルド・シュワルツネッガー、ハワード・ディーンなど。英国からはハリー王子がナチの制服姿で参加すると言うことだ。到着地のワシントン広場では、ウクライナ民族料理のダイオキシン・ボルシチや、大リーガーたちがふるまうステロイド料理も楽しめる。(以上、要項より)
その他にも、日本人には背景事情がよく判らない人物や団体が、それなりの寓意ある催しを予定しているようなので、興味ある方は是非現地を訪れてみてはいかがだろう。一週間の猶予があるので、航空券やホテル予約の問題も少ないのでは?
この20年間のパレードについての概略を読むと、毎年なかなかの工夫を凝らした催しをやっていたようだ。個人的には、94年度のパレードの先頭に立ったのが「トーニャ・ハーディング・パイプバトントワラーズ」だった、というのにえらく感動。
元情報はこちらから。
ちょっと心配になったから追加しておくけれど、ニューヨーク・エイプリルフール協会というのは、ジェイ・スキャッグスというパーフォーマーがでっち上げたもので、この人は色々と人を喰ったようなパフォーマンスを実際に行っているのだが、このパレードに関しては完全に脳内行事であるようだ。
題名からすれば、学生のバカ行為記録の投稿サイトとおもえるCollegeHumor.comで、最新映像として紹介されていたのがこの映像(WindowsMediaFile、約2.5Mb)である。
大学の学生寮らしき部屋で、コンピューターに向かうGeek系の学生に、いかにもアホそうな筋肉系のアンちゃんが霧吹きを使って嫌がらせする。切れたGeekは手元のハサミをアンちゃんに向かって投げると、アンちゃんの左上腕にそれが深々と突き刺さっているという映像。
それなりにうまく作られているんですけどねぇ。出血していないし、刺さっているところが今ひとつ不自然なので、ビックリおもちゃを使った仕込みなんでしょうな。こういう予備軍がいるから、向こうの特殊映像系はそこそこ見られるものが多いのかも。
可愛がっていたペットが死んでしまっても、、いつまでもその思い出と一緒に暮らしていきたいと願う人たちのために、こちらの会社、「ジャネット剥製」が世に提案するのが、この「ペット枕」である。この枕は、死んだペットから毛皮を取って、それを枕というか、クッションに仕立てるというサービスを提供してくれる。
この枕の表側はペットの毛皮で表装され、裏側は好みの色合いのファブリックになっていて、一つずつが丁寧な手作りで仕上げられた至高の品である。しかし、そのまま剥製にするよりは比較的安価に作ることが出来る。柔らかく、抱えやすいこの枕にふれるたびに、かって共に暮らしたペットの思い出がよみがえってくるのは間違いないであろう。
制作を依頼するためには、ペットが死んだ後すぐに冷凍する必要がある。この際、毛の脱落がないようにするのと、冷凍焼けにならぬよう、保存には十分な間隔を置くように注意しなければならない。「ジャネット剥製」に送るときは、何らかのトラブルがないよう、必ず月曜日に発送するようにしてほしいとのことである。ま、クール宅急便を使って、到着期日指定すればいいわけですけど。
料金はネコが65ドル、犬が75ドルから125ドルとなっている。牛とか馬でも応じてもらえるようだ。前に飼っていたネコが死んだとき、火葬料などが結構かかったので、これを使えばむしろ安上がりかもしれない。そう考えながら、こいつで作った枕では、あんまりミバがよくなさそうだなと、うちのクロネコをしみじみ眺めていたら、そいつは不穏な雰囲気を感じたらしく、こちらを一睨みした後、そさくさとどこかに消えてしまった。
引用はこちらから。
なんか以前書いた、「巨乳を眺めると健康にいい」というチェーンメールを、医学的事実として取り上げたマスコミがあったようで、それに対するツッコミがこちらのサイト記事を参照していて、そのおかげで今月はトラフィックがえらいことになってしまった。
訪問者が多いにこしたことはないものの、過去記事は比較的大きいファイルにまとまっているので、それを多人数がみると大変な負荷になるのである。私が借りているレンタルサーバーは、内容についてややこしい制限はないし、CGIも全てのディレクトリィで使え、基本料金も安いのだが、基本トラフィックを超えると超過料金を取られるという欠点がある。
昨年ぐらいまでは、それを超えることはあまりなかったが、ここ最近は設定の倍ぐらいは平気で超えてしまうようになった。しかも今月のトラフィックだと、実に基本料金の5倍ぐらいの超過分を請求される可能性がある。
もっとも、そうなったってすぐにサラ金に走らなければならないほどの額でもないので、こういう道楽としてはそう浪費ともいえないのだが、やはり全く自分でコントロールできない要因で出費が増えるというのはあまり気分のいいものではない。ここはチビチビとトラフィックを削るセコイ工夫をしてみることにした。
さしあたって、トップページ(ここ)のエントリー表示を二週間分から10日分に減らし、その他、思いつくものから削って軽量化していく予定。MTのロゴなんか表示したって仕方ないですからな。そんなわけで、色々いじって表示が一次的におかしくなることがあるかもしれないが、お許しのほどを。
今日は「正御影供」、承和2年(835)、弘法大師、空海が高野山で入寂した日である。さすがに古代日本の知的ヒーロー空海のことなので、その命日も休日になっているのかと思えば、何のことはない春分の日の振り替え休日なのであった。
でも、私が京都で高校生だった頃、21日は毎月、御影供ということでお休みだった。この日は東寺の境内で大規模な縁日が開かれるので、そのまっただ中にある学校で授業なんかやりようがなかったのであろう。京都では私立の学校はほとんどお寺が経営しており、東寺なら空海の命日が休み、知恩院関係なら法然の命日である25日が休み、などという風になっていたのである。
本願寺は西と東、それぞれ別の学校法人を経営していたが、そこが親鸞の命日である28日を休みにしていたという話は聞いたことがないなぁ。単にそちらに知り合いがいなかっただけの話かな。機会があったら島田紳助にでも尋ねてみよう。
それはさておき、空海を「古代日本の知的ヒーロー」などと書きつつも、一体あの人は何を成し遂げた人なのかと考えると、イロハ歌とか満濃池だとかを作ったというような伝説をのぞけば、さっぱり具体的なことが思いつかないのである。それは、日本に密教を伝えたのが業績だといえるだろうが、たとえば親鸞のように、独自な教義の創出をしたかというと疑問だし、そもそも、密教がどれだけ民衆文化に寄与したであろうか。
彼の業績というのは、連綿と続く日本の知識人、それも権力すりより型、の原型を提示したことにあるのではないかとおもう。洋行帰りを武器にして、仏教を軸にした古代権力のイデオローグとなり、その名も教王護国寺という国家事業体のトップに座るというのは、いまの日本でも似たようなキャリアを示す人をいっぱい思いつくような気がする。山形浩生さんなんか、典型的な小空海というところかな。どなたか、立派な国家プロジェクトになるようなお寺をつくって、彼をトップにすえてあげてください。
オチにならなんだなぁ。
今年はじめ頃から、中国の掲示板サイトにしばしば書き込まれるようになった「警告文」。3月になって英語版が流通し始めたとのこと。日本語版は今のところ出現していない様子である。
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これは本当のことだ。もし機会があれば、割り箸(それはテイクアウト食品についてくるはずだ)を3~5分ほどお湯の中に浸してみるといい。割り箸から、漂白剤がお湯に溶け出してくのが見えるだろう。
自分専用の箸をオフィスに用意しておくことは、環境に優しいだけでなく、あなた自身の健康にとっていいことなのだ。
安寧省の健康増進キャンペーンのなかで、チュー教授は人々に割り箸を使わないように呼びかけている。割り箸を使っている人のほとんどは、中国からの輸出品を使っている。素材となる木材には何種類かのカビがすでに繁殖しているため、材料は加工のまえに化学薬品の中に浸され、その後洗浄、漂白される(これは一応、標準よりも念入りに行われることになっている)。
そして大事なことは、、これらの化学物質は癌を引き起こす発がん物質だということだ。チュー教授は、5年前に割り箸の工場を訪れて以来、割り箸を使っていない。教授は自分用の箸を忘れないように、いつもバッグに入れていて、何度も使い回している。
チュー教授はこういっている。「もし、あなたが割り箸を今まで使い続けていて、今後もそれを使うことに固執するなら、将来癌になっても、その理由なんか尋ねにこないでほしい」と。
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割り箸が環境負荷になる、という主張は一時かなりかまびすしく、環境コンシャスな人が自分用の箸を待ち歩くなんてのがよく見られたものだが、いつの間にか目立たなくなってしまった。上の「警告」は、わずかに環境負荷についてふれつつ、もっぱら割り箸製作過程で使われる薬物が癌を引き起こすという、まるで根拠は無いながらも、割り箸を消費することについて再考を促すインパクトをもつものになっている。
割り箸悪玉論それ自体はそう正しいとは言い難い。日本で製作される割り箸のほとんどは間伐材からの製品で、森林をケアする人々にとってはいい副業になっていたわけで、何が何でも木材製品を使い捨てにするのはおかしいから、割り箸を使うのは悪だというのは、捕鯨禁止論に通じるような歪んだ発想であるといえる。
ところが、最近は日本で使われる割り箸の90%は中国が作っていて、ここのやり方というのが、間伐材なんか関係なしに、森林をとにかく丸裸にして、かなり非効率なやり方で割り箸を作るというものなのだそうである。ここで無自覚に割り箸を消費することは、そういう中国の無自覚な森林破壊に手を貸すことになる、という主張もそれなりに正しい。
でも、結局経済というのは需要と価格の関係によって決まるわけで、環境というような別要因をいくら持ち出そうと、まず何の影響もないのは当然のこと。森林破壊のコストが目に見えるものにならない限り、中国の目先ビジネスは続くだろう。日本だって同じ事やってきたし、今だってやっているのだから、そんなに偉そうなことはいえないと思いますがなぁ。
そんな中、こういう「都市伝説」というような形ではあれ、割り箸の大量生産についての疑念が中国で生まれているということは、具体的なソロバン勘定での判断に先立つ動きなんではないかなぁ、なんて好意的に見てしまうのだが、いかがなものであろうか。
参照記事はこちら。ところで、アメリカでもお持ち帰り食品には「割り箸」がついているのかねぇ。
調子に乗って例の「ハーフライフ2」を、ほとんど朝までやってしまい、そのまま断眠高揚状態で仕事を済ませて家に帰り着き、ちょっと眠いなと思って横になったらそれっきり。ほとんど10数時間以上コンコンと眠り続けてしまう。人間は寝だめということは、出来ない作りになっているはずなんですがなぁ。
食事もしないで寝ていたために、実に健康な空腹感もあって、体調もすこぶるいい。ただ、せっかくの土曜の夜が全く失われてしまったのが、残念といえば残念。まあ、連休だからよしとしようか。ゲームの方は残りが結構ありつつ、ほとんど飽きてしまったのがもっと残念。
宇宙に向けたメッセージを、ユーザーに代行して送信してくれるサービスが米国で始まっている。この2月末から運用を開始したTalkToAliens.com(妙な音楽がなるので注意)の説明によると、提供しているサービスは2種類で、まず1000語以内のeメールを送り、そのメッセージを添えた送信証明書を発行するというものが一つ(これは料金19ドル95セント)。もう一つは、ダイアルQ2サービスと同じようなサービスを使い、1分3ドル99セントで自分の音声メッセージを直接宇宙に送信してもらうというものである。
実際のハード構成については、電波形式とか出力は詳しく書いていないが、周波数は2.43211GHzで、プエルトリコに設置された直径3.2mのパラボラアンテナから送信しているとある。ということはアマチュア無線の周波数帯を使っていることになり、「FCCが認めた最大出力」とされているので、1500W出力なのだろう。当然、デジタルで送信しているとは思うのだけれど、妙に周波数が細かいのが気になる。もしかして、56Kbpsぐらいでしょぼしょぼとモデム送信しているのかも。
アメリカでは、「フォーン・パッチ」といって、アマチュア無線家が一般電話回線を中継する行為が認められている。というより、これが禁止されているのは日本のアマチュア無線規定だけなのであるが。個人が勝手に電話回線を中継することなんぞを許したら、規制する側の利権が危ういと感じた、先見の明のあるお役人さんがいたのであろう。
だから、TalkToAliens.comがやっているようなことは、米国ではアマチュア無線免許を持っていれば適法なのである。でも、お金をとってもよかったのかなぁ。あくまで、ボランティアとして無線設備を利用してもらう話だと思ってたんだけど。
もっとも、宇宙に向けて発信しているといっても、どこにも保証はないわけで、ここのサイト自身、FAQのなかで「そのうち証明になるような手段を考える」と書いている。その手段というのは、ウェブカメラで送信機とパラボラアンテナをオンラインでみられるようにするというのだけど、そんなもの見せられたって保証にはなりません。
最新号のNew Scientistでは、この会社のビジネスをとりあげ、ここが主張しているような周波数帯、出力、アンテナのスペックからすれば、電波はせいぜい2光年届くのが精一杯であろうという専門家の意見を紹介している。しかし、これが全くのインチキであると非難しているわけではなく、素人の夢を形にするというようなニュアンスで、温かく見守ろうというスタンスのようだ。
同社のサービスには現在、一日数百のコールがあり、ほぼ3分間に一度のメッセージが寄せられているという。てぇことは、一日少なくとも2000ドル近くが黙っていても入ってくる計算になる。たいした初期投資でもなさそうなので、ひとつ日本でも始めますか。あ、電波法の壁があったか。コイズミさん、こういうところも改革しないと新規産業は育ちませんぜ。
元ネタは相変わらずこちら。
何をトチ狂ったか、こんなアクションゲームを買い込んでしまう。明日はちょっと遅め出勤でいい事情があったので、進めるところまで進もうとPCの前に座り込んだらはまりこみ、気がつけば真夜中である。
ゲームの出来を云々するほどこういうものに詳しいわけではないが、今までの3Dゲームは多少手の込んだものでも、ストーリーを展開していくときにムービーに切り替わっていたのが、このゲームの場合、主人公であるユーザーのコントロールが維持されたまま、説明部分が進行する。だから何だ、といってしまえばそれまでなんだが、まあ、多少の臨場感というか、リアリティが増すのは事実。
筋立ては、国民から生殖する権利を奪うという圧政をしいている国家に対するレジスタンスの一員というか、特殊工作員となって圧制打倒のタスクをこなしていくというもの。といったって、レジスタンスの拠点から拠点に移動するってだけのことですが。舞台は東欧を思わせるような風景で、「ハーフ・ライフ2」というからには1があったはずで、それを知らんので事情は不明。とにかく、不案内な人間は、ここはどこ、私は誰状態でゲームをはじめるしかなく、自分の動きのキーアサインを覚えこむころには、別にそんな設定はどうでもよくなっているのである。
敵となるのはアイスホッケーのマスクみたいなのをかぶったケッタイな治安部隊と、なぜだか、そこらにウヨウヨいるゾンビとか、砂浜にいるアリジゴクの化けモノみたいなものとか。いくら圧制を敷いているとはいえ、国民を次々にゾンビ化するような治安政策はまずいと思うんだが、なんか特別の事情があるんでしょうかねぇ。
とにかくその意味不明に精細なグラフィックのせいか、膨大なサイズになっていて、グラフィックカードとかCPUは最新のものでないとかなりきつい。古いペン助3号+GeForce 2 MXのマシンにインストールして、ゲーム専用にしようともくろんだが、それではじぇんじぇん話にもなりまへなんだ。結局、メインのペン4マシンがこれに占有されることに。PCがどんどん高速化しているといっても、こういうところに役立つだけなんですな、私の場合。
そんなところを自己戯画化しているのか、SF系ハイテク武器をあまた使いこなせる主人公の攻撃手段の中で、一番頼りになるのが「バールでぶん殴る」という設定になっているのが、まことにおもむきが深いことであるよと思うのだった。
先日、40年にわたる選択交配の末、頭がよくて人に馴れやすいキツネが得られた話を紹介したが、その元ネタ記事を読んでいたとき、ひらめいた(というほどのことでもないが)ことがある。「人に馴れやすい」という指標だけで選択交配していったキツネは、当然キツネとしての種の独自性を保ちながら、その個別的特徴にはかなりの差が生じたわけだが、私は中でもそれらのキツネは野生のものと比較して、「脳のなかのセロトニン濃度が有意に高い」という知見に興味をそそられた。
ご存じの方も多いであろうが、セロトニンは中枢-末梢神経や腸管での機能自己調節作用に関与しており、とりわけ脳内では神経伝達物質として重要な働きをしている。これの不足がうつ病の発症にかかわるという仮説があり、現にシナプス間隙のセロトニン濃度を高めるSSRIという薬物が、すくなくとも米国ではうつ病に対する第一選択薬となっているほどである。(私はこの薬の適応対象はそう広くないという意見を持っているが、それはまた別の話。)
人間に対する恐怖や警戒が解けない野生種のキツネとくらべて、選択交配で得られたキツネの脳内セロトニン濃度が高いというなら、野生動物にSSRIを飲ませることで短期的に選択交配をしたのと同じ結果を得ることも可能ではないだろうか、私はそう思ったのであった。ま、何のひねりもない発想ですけど。
これは早速確かめるべきであると、私の科学探究心はいたく刺激されたのであるが、残念なことに私の環境にはキツネなんかいないのである。そこで、その代わりにノラネコで実験してみればいいのではないかと思いついた。幸いというか、私の家には3匹ほどのノラネコがえさを食べにやってくる。初めのうちは、どこかで飼われていたと思えるネコが、えらく愛想よく食い物をねだりに来ていたので応じていたのだが、そのうち、もっと年季入りのノラ親子もやってくるようになった。
こいつらは朝早くからミャーミャーと人に食事を要求する厚かましさにもかかわらず、こちらが出て行くとさっと隠れ、草むらからこちらを伺っているのである。こちらが消えるとあたりを何度も確認し、やっと食べ始める。食べるのに熱中しているときにそっと近づいたりすると、50cmは跳び上がってパニックを呈する。食い物を提供しながら完全に仮想敵の扱いというのも気分が悪く、お前は金正日かと嫌みを言っても通じる相手ではない。
私は以前難治性のうつ病の人に使おうと、プロザックのけっこうな量を個人輸入していたので(結局効かなんだが)、家にはたっぷり在庫がある。こいつを餌に混ぜて食べさせれば、あのノラ親子もフレンドリーになるかもしれない。もちろんどのぐらい混ぜたら適正使用量になるかという問題もあり、今のところは実験していない。非認可薬をたとえノラネコとはいえ、相手の同意なく使うつかうのも気になるし、何より動物虐待に問われるのではないかとも心配になる。
少なくとも適正量を知るために、飼い猫の方でまず治験をやったほうがいいだろう。飼い猫も元ノラだけに、かなり愛想に欠けるのである。その点が改善されるなら、本格的なSSRI投与実験を展開してみよう。
そんなわけで、あと2〜3ヶ月もすれば「SSRIによる非愛想ノラネコの馴化」を確かめる一大実験が始まるかもしれないので、それでもあえてウチに餌をもらいに来るネコたちは、自己責任の原則を忘れぬようお願いしたい。
CNET JAPANで報じられていたUFJ銀行のフィッシングメールが、今日私のところにも届いていた。内容は全く報道通りで、セキュリティ強化のため、オンラインで本人確認しないといけないから、こちらを訪問してくれと銀行サイトのURLリンクが記されたHTMLメールである。キャプチャー画面はこれ。
実際のリンクはどこともしれぬIPナンバーだけが記されたサイトにつながる様になっているが、惜しいことに私のところに届いた段階では、どのリンクもすでにつながらず、もぬけの殻という状態であった。報道によればパラグアイ、ポーランド、韓国のサイトにつながり、UFJ銀行の純正ログイン画面と同じものが用意されていたらしい。
こういうものには「毒くらわば皿まで」の精神でつきあうのがモットーの私なので、インチキID番号をおくることもできなかったのが非常に残念。もっと残念なのは、UFJ銀行には口座なんか持っていないので、間違ってもだまされようがなかった点なのだけれど。
つい先日、聞いたこともない海外の銀行を自称する、まったく同じような内容のメールをもらっていたんだけど、そいつと比べてこのUFJ詐称メールの作りはあまりにも手抜きである。日本人をなめとんのか、お前、といいたくなる。フィッシング業界にあっても、常に仕事は細心の仕上げを目指してもらいたいものである。
しかし、両方とも私のプライベートアドレスに来ているんだよな。通販を利用するたびにこの手のメールが増えている、というのが一番ヤな感じ。
1999年から昨年まで、かのツール・ド・フランスを6連覇していることで知られるランス・アームストロングは、自転車選手として頭角を現し始めた1996年、セミノーマ(睾丸癌)に襲われ、奇跡の生還を果たしたことでも知られる(詳しくはこちらを参照)。
アームストロングは自分で財団を設立し、癌と闘病する人たちのために様々な援助活動や、癌研究へのサポートを行っているのだが、その財団が資金を得るために販売しているグッズが、いま多少の論議を呼んでいるという。
そのグッズというのは、ツールの勝者に与えられるイエロージャージからとられた、"Live Strong"イエローリストバンドである。財団のサイトでこのバンドはほぼ一個1ドルで売り出されていて、すでに2800万個が売れたという。米国の有名人たちにも賛同者が増え、たとえば先の大統領選では、ジョン・ケリー候補とブッシュ大統領双方がキャンペーン中、これをつけていたとのこと。
ところが、このリストバンドは思わぬ影響を医療業界に及ぼした。というのは、米国の病院では、容態の急変時に無理な延命を望まないという意志を示している人には、黄色いリストバンドをつけるようにしているところが多くあるからだ。実際には別の色コードを使っているところもあるし、そもそも、ちょっと見れば全然違うものなのだから、間違う訳もあるまいと思うのだが、突発的な事態ではどんなミスの原因になるかもしれないと、関係者から不安がられているらしい。
現に某有力病院チェーンでは、Live Strongバンドをつけている人には、そのバンドの上から白いテープを巻き付けるという対策をとるところも出てきているとのこと(この記事を参照)。外したらいいと思うんだが、いったんはめたら外れんのかしら。どこの国でも、形ばかりの対応でお茶を濁すというのは、組織防衛の基本なんですな。
私みたいに、先端医療とはあまり関係ない医療現場にいると、無理な救命処置をしないという決定はよくあることなんだけど、何もしないことにしておくと、不思議なことに皆長生きすることが多いんですな。そう意味のない医療行為をしつこくやるというのが、回転を速めるのに一番効果的だったりする、なんて話をここで出すとややこしくなるので、ひとまず打ち切りにしておくけど。
ロシアの研究者が40年以上にわたって野生の銀ギツネを交配して、人間に慣れるように改良した。交配によって人間に馴化するようになったキツネは、若干の形質変化と、犬以上の能力を示しているのだという。(写真クリックで拡大)
この研究が始められたのは1959年、ソ連時代にさかのぼる。ノボシビルスクの細胞遺伝学研究所を創設したドミトリィ・ベリヤーエフは、犬が示す能力は遺伝的に定められたものなのか、訓練によって行動学的に獲得したものなのかを確かめるため、近縁種である野生の銀ギツネを捕獲し、人間に慣れやすい個体に次世代を残させるという方法でその変化を追った。外面的な行動パターンだけを選択の基準にしたわけである。
ベリヤーエフはその死までの26年間、この研究をつづけ、その後も研究は引き継がれた。現在、それを主宰しているのはリュドミラ・トルットという女性研究者である。彼らは「人間に慣れやすい」という一点に絞って次世代を残させるという遺伝子選択だけを行い、一切の訓練をキツネに対して行わず、接触も行動検査の時だけに限定してきた。
そうした40年の日々、四万五千匹のキツネたちを選択していった結果、トルット女史は従順で甘えん坊な100匹のキツネたちを得た。彼らは人間の表情を的確に読み取り、犬以上の賢さを示すという。「選択繁殖実験の結果、自然の中なら何千年もかかった過程が圧縮されたのです。私たちの目には、『野獣』が『美女』になったように見えます。祖先の荒々しい行動は消えてしまったのです」、こう彼女は記している。
行動上の変化だけでなく、馴化したキツネはその見かけにも変化が現れた。毛皮には白黒まだらが出るようになり、鋭く直立していた耳は柔らかくなった。しっぽも犬のように丸く巻き込まれるようになった。また、足が幾分短くなったかわり、体長は長めになってもいる。雌雄差がすくなくなったのも特徴である。性行動も早く出現するようになっている。また、脳組織には野生種と比べ、攻撃的行動を抑制するといわれるセロトニンが有意に多いことも観察されている。
トルット女史は、研究費不足を解消するため、これらの馴化された銀ギツネをペットとして市販することも検討中であるという。
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以上、数年前のこちらの新聞記事と、今日のこちらの記事を適当に参考にさせてもらった。研究者の目論見にもかかわらず、キツネが一般的ペットとして普及していないのは、彼らが独特の臭いを分泌するのと、深い穴を掘って食べ物を隠す習性までは改良されていないからだとのこと。
一見、ほのぼのネタのように思えるのだが、よく考えるとこの研究はかなり危ない部分を秘めているのである。つまり、表面的な行動特徴だけを指標にして分離交配するだけで、種としてかなりの変化を導くことができるということである。同じような実験を、人間相手にやってみようと思う連中が現れないことを期待したいものだ。考えてみれば、ある種の「階級」ってのは、これと同じ理屈でできているのかもしれませんがね。ま、私は野生の銀ギツネで十分満足。
[reference]
"Social cognitive evolution in captive foxes is a correlated by-product of experimental domestication.";Hare B, Plyusnina I, Ignacio N, Schepina O, Stepika A, Wrangham R, Trut L.:: Curr Biol. 2005 Feb 8;15(3):226-30.
「40年の研究からペットギツネが誕生」「ユーラシア・ビュー」2004年6月22日号
住んでいるところが属する県が知事選挙をやっていて、それが可哀想なほど盛り上がらぬまま、明日は選挙当日なのである。可もないが、不可もそう目立たないという現職と、対立点も明確に示していないタレント候補、いい加減その無意味さに気付けよといいたくなる共産党系の候補という選挙戦では、盛り上がりにかけるのも致し方なかろう。まず、かなりの低投票率で現職再選となるのは間違いあるまい。
これは別に政治への関心低下とかいうことではなく、あんたのやることを何でもかんでも認めるってことではないが、一応差し当たっては見守っておくからね、という住民たちのクリティカルな視線の表現なのだと思う。マンセー支持票が集まるほうが不健康。
それにしても、対抗馬のタレント候補だが、どうせ土建屋連合に担がれる一時の御輿なら、もうちょっとドラスティックな思いつきを提示してもよかったのではないか。「東京湾アクアラインの通行料を800円に」なんて、いったい誰が喜ぶ?キサラズあたりの暴走族ぐらいしか恩恵にあずからんのではないか。ごく一部の利権グループに税金投入するようなことが、一般にアピールすると思っているんだろうか。
ご本人は現東京都知事と親しいことを選挙キャンペーンの一策にしているので、この際、「東京都と合併」という提言をすればいいのではないかと思う。少なくとも、浦安と成田は東京都に割譲し、その見返りで財政再建の一助にすればいいのでは。「首都圏」にこだわりながら、交付税だけはがっちりつかみたいという乞食根性も手放さないのがいかん。
というわけで、明日はまた棄権ということで済ませてしまうことになりそう。考えてみれば、中学校の生徒会選挙以来、まじめに投票したことがないような気がするな。選挙前日にこういうことを書くと、投票の大事さを説く人たちから延々と非難されそうなので、これは明日アップしよう。
春いまだに来たらずという今日この頃なのに、いささか季節感のない話で恐縮なのだが、"The Museum of Hoxes"で、「韓国では『扇風機をつけたまま眠ると死ぬ』と信じられている」という話題が出て盛り上がっていたので、こちらも後追いで取り上げてみた次第である。韓国で生活しているあるアメリカ人が、つきあっている韓国人の友人たちがみなこれを信じ切っており、いくらアメリカ人としての常識を駆使して説明しても誰も聞いてくれず、ネットでこの考えが間違いであることを調べようと思ったが、適当なサイトがないのに業を煮やし、"fandeath.net"というのを開設した。その開設の弁には、韓国ではこれについては説明以前のこととされていて、客観的な議論そのものが成り立たないというボヤキが書かれている。
fandeath.netは、ほかにも韓国にある、欧米人から見ると奇妙な信念についてふれている。例えば、韓国人は舌の下側についている舌小帯が短いので、そのために英語の発音が下手なのだと皆信じているのだそうで、英語上達を目指す人の間では、舌小帯を切除する手術がけっこう行われているのだという。なんとなく欧米エスノセントリズムの匂いがするのがいささか不愉快な面もあるが、なかなかおもしろいサイトではある。
韓国を出すまでもなく、この「扇風機をつけたまま寝ると死ぬ」という言い伝えは、この日本でもポピュラーなものだ。私も何度も聞かされたが、守ったことはない。これほど多くの人々が信じていながら、実際にはほとんど守られない戒めもまず珍しいのではないかと思うほどだ。大概の人はそれに反することをしながら、この信念だけは受け継がれていくのもちょっとおもしろい現象といえるかもしれない。
実際に「扇風機、死ぬ」というキーワードでグーグルを引くと、「健康情報サイト」を自称するようなところでも、これがそのまま事実として紹介されていたりするのである。「扇風機で死ぬ人のほとんどが心臓麻痺で死んでいます」なんて、一体どこで調べてきたんだよといいたくなるような解説がつけられていたりする。以前、雪山で遭難したときに「眠ると死ぬ」と言われることについて書いたことがあるが(「誰も寝てはならぬ」参照)、あの時の擬似科学的な説明がここにも敷衍されているようである。繰り返しになるのでここでは詳しく書かないが、確かに身体の中心部の体温が5度ほど下がると致命的ではあるのだ。しかし、薬物でぐっすり眠り込んでいたりしないかぎり、悪寒戦慄が起こって体温を維持しようとするので、そんなに簡単に寝たまま死ぬようなことはない。
まして扇風機である。寝ているとき、それを使うぐらいなのだから熱帯夜であろう。体温との差もそんなにない高温の下、多少の気化熱が奪われるぐらいのことで、体幹のコア体温が5度も下がるわけがない。せいぜいが、お、ちょっと涼しくなったかなと感じて目が覚める程度のことだ。ほとんどの人はそういう体験をしているはずである。そもそも、私は30年近くこの業界にいるが、いまだかって「扇風機をつけっぱなしにして死んだ」とされる変死体や、扇風機で低体温になって救急外来に担ぎ込まれた人を見たことがない。あらゆる同業者でも同じであろう。そりゃ真冬に低体温で担ぎ込まれる酔っぱらいとか、OD患者はけっこういるが、扇風機とは何の関係もない。
これは生理学的な事実というようなものを離れた、別の価値観を表したものだと考えるしかない。言うならば、機械文明というものに自分の心地よさをゆだねてしまおうとする傾向に対する戒めが、この扇風機への警戒心になったのであろう。扇風機が一般に普及し始めたのは昭和30年代初頭であると思う。電灯やアイロンというような最低限の必需品しかなかった一般家庭に、快感を運ぶ器械としてはじめてデビューしたのが扇風機なのである。西欧グローバリズムの先兵といってもいいもので、それに対して民衆が即時的に身構えた結果、あの言い伝えが普及したに違いない。
The Museum of Hoxesの記事で、韓国にも同じ信念があると知り(実際は微妙に違うのだけれど)、やはり同じアジアの同胞なのだと今さらのように連帯の思いを強くするのである。それにしても、あの記事にコメントするアメリカ人どもは、「科学知識のなさ」という一点に反応している場合がほとんどだった。どうも連中には、扇風機つけっぱなしで死ぬことはないという程度の小知恵はあっても、自分たちの押しつけているグローバリズムを、一歩下がって顧みるという叡智は期待できないようだ。
一人だけ、「金粉で窒息死」伝説と同様なものとして、欧米の伝説と相対化しようとするような意見があったのは指摘しておくべきか。もしこの「扇風機死」伝説が欧米にもあったら、007シリーズでは扇風機を当てたまま眠らされて殺される全裸美女というシーンが見られただろう。
昨日の"DAS BUCH DER VERRÜCKTEN EXPERIMENTE"の抜粋から。
1894年、パリ科学アカデミーは、ネコが足を下にして着地する方法を解明する物理学的研究を募集した。非科学者にとっては、この答えは容易なことだ。ネコは空中で、自分の位置をちゃんとコントロールする能力が発達しているのだ。しかし、科学者にとっては、ネコがそのような運動をするのには、なにかしら複雑な秘密があるに違いないと思われたのである。
何しろ、空中では力を入れる手がかりがない。前足部分を回転させれば、反作用として後足は反対に回転するはずで、着地した時は身体がねじれていてもおかしくない。これはきっと、ネコがある位置から落下するとき、その瞬間に回転するべく、足場となる人間の手とかに力を加えているのだろうというのが、当時の科学者たちの推測であった。
ところが、そういう動きが出来ないように四肢を縛ったネコも、やはりちゃんと足の方から着地するのである。ネコはきっと空気抵抗をうまく操って、その空中での位置を調製するのであろうという仮説が次に生まれたが、これも正しくなかった。あのすべすべ毛皮では、ちょっと空気抵抗で回転するのは無理だろう。
この難問を解決したのは、フランスの科学者、エチエンヌ・ジュール・マーレィであった。彼はストロボ発光によって、一秒間に60コマの高速度撮影が出来る機器を自分で作り、ネコの空中での動きを記録した。これを見ると、ネコはまず身体の前半部をねじって地面の方に向け、その後後半部をそれに続かせるという動きをしていることが判る。力学的には、スケート選手が腕を広げて慣性力で回転を初めるのと同じメカニズムを使っているのも観察できる。
彼の実験が行われた後、我もとばかりに多くの研究者が動物を落下させた分解写真を記録するようになった。犬、モルモット、ウサギ、目隠ししたり、しっぽをちょん切った動物、平衡感覚器官を破壊した動物などなど。その結果、少なくともネコの場合は、空中運動の制御はもっぱら視覚によって行われていて、平衡感覚はあまり関係ないことがわかったという。
1960年代に、ある科学者がこれらの空中運動研究を回顧して、こういっているという。「ネコの空中回転問題は、きわめて興味ある課題を提供したのは事実である。しかし、その実用的な意味合いというものは、ほとんどなかったといっていいであろう。もちろん、当のネコたちにとっては大事なことであったろうが。」
こんな風にこの本ではまとめられているようなのだが、ネコのあの動きというのは人を魅了してやまぬものらしく、つい最近にもこれに関する研究は出版されている。1998年、ミラノのネコ類研究所のガンバーレ博士による、高さ別にネコの足からの着地成功率を診た研究である。それによると、1フィートから6フィートまでの高さで、ネコを逆さまにして落とすと、2フィートから6フィートまでは必ず足から着地するのに、1フィートの高さでは100回試行中全例で失敗したとのこと。
博士は、「ネコは必ず足から着地する」という通念は、高さが限られた範囲でのことだと指摘し、さらなる追試の必要性を提唱している。手元に適当なネコがいる方は、ぜひ追試して科学論文に名を残されてはいかがであろうか。私はうちのネコで予備実験してみたら、たちまち怒ったネコに引っかかれてしまったので、さしあたっては遠慮しておきます。
昨年9月にドイツで出版された、"DAS BUCH DER VERRÜCKTEN EXPERIMENTE"(奇妙な研究に関する書物)の執筆者が、その抜粋を自分のサイトで公開してくれているというので、早速流し読みしてみる。こちらでも取り上げたことのある、風邪の集団感染実験とか、魂の重さが21グラムであることの証明実験とかの懐かしいものもあり、前々から詳細を調べたいと思っていた「ミルグラム実験」、服従状態にある人間の大多数は、他者に害を与えるような冷酷な命令でも平気で実行すると示唆する、いまだ評価が定まっているとはいえない研究なども紹介されている。
それらについてはおいおい紹介するとして、流し読みで一番感銘を受けたのが、誰もがよく知っているあの「パブロフの条件反射研究」の関連トリビアであった。パブロフは20世紀初頭、消化システムの研究をしており、唾液腺の分泌と食物の関係を調べているうちに、研究に使っていた犬が食物が出てくるのを予期しただけで唾液分泌が始まるのを観察する。そこで彼は研究の内容を転じ、かの「条件反射」という現象を見いだすのである。
彼は犬に餌を出すとき、ベルを鳴らしたが、そのときのベルというのは、私が想像していたようなジリジリジリというものではなく、チンと一回だけ鳴るものだったとのこと。なんでそんなことに感心するんだ、といわれてもよく判らんのだが、なんかジリジリの方だと思いこんでいたんですな。また、パブロフは1904年にノーベル賞を受賞しているのだが、それは本来の消化システム研究が評価されたので、条件反射とは無関係なんだとのこと。
当時、彼の研究はとりたてて実用的な意味はなかったのだが、30年後にスキナーによってオペラント条件づけ理論が付加され、教育や医療分野において、より実践的な展開がされるようになった。まあ、実践的というなら、古代から人間はこの理屈を知っていて、動物(大衆というのを含むかも)を飼い慣らすのに利用していたわけなんだけど。
それら以上に、パブロフは学者として他に類をみない特別の記録を持っているということも、この本では紹介されている。その記録というのは、その名前や研究内容から命名された音楽グループの数が群を抜いている、ということであるそうな。70年代には「パブロフの犬と条件反射的ソウル・レビュー、およびコンサート合唱団」というロックバンドが結成され、80年代には「イワン・パブロフと唾液分泌軍団(Salivation Army、なんのモジリかは言うもさらなり)」というバンドが出来ている。90年にはブルーグラスバンドの「パブロフのワン公」というのもあるらしい。21世紀になると、イギリスで「パブロフの猫」というバンドも活躍しているという。
これに匹敵する研究者は誰かいるかと考えてみたが、やはり思いつかない。フロイトなんかはありそうだが、ピンク・フロイドぐらいしか知らんし。しかも綴りが違うし。スターリンというバンドはあったが、ありゃ研究者ではありませんわね。言語学の本は書いたことになっているが。
なお、先ほどの「パブロフの犬と条件反射的ソウル・レビュー云々」というバンドは、73年に「パブロフの犬」という簡潔な名前に改名し、ファーストアルバムを出す前に60万ドルの前渡し金をもらったそうで、これは当時としては最高の金額だったそうだ。しかし彼らはさっぱり売れず、3年後に彼らはレコード会社からクビになり、メンバーは破産、バンドは解散したとのこと。
量子ゼノン効果というものがあるんだそうである。初期状態から別の状態に遷移する可能性が高い不安定な量子力学系では、観測の頻度を増やせば増やすほど遷移の確率が減る、つまり系はそのまま凍り付くのだという。こう書きながらもその意味することがよくわからんので、このようなまとめ方自体すでに間違っている可能性もある。すでに実験的にも認められているらしく、この現象を利用して量子状態を制御しようとする研究もされているとか。
暗記したパターンを適当に組み合わせればなんとかなるのが数学や物理だという、大学入試レベルをついに突破することができなかった私の理数系能力では、素粒子をアミニズム的に考えてやっと理解できるような話である。たぶん、量子というのは人見知りするのだろう。注目されると緊張して、立ち往生してしまうんだろうな。
「最上の日記」にその説明が簡単にまとめられていたので、以下に引用。
「量子力学系で初期に状態aに系がいたとする。これが相互作用によって状態b, c, d,...に遷移するとする。時刻tではaからそれ以外の状態つまり状態i=b,c,d...に遷移する振幅はAia= e-i(Ea+Ei) t/2 Via (Ea-Ei)-1 sin(Ea-Ei) t/2 に比例する。
これはtが小さい時tに比例する。だからa以外に居る確率はt->0でtの2次としてふるまう。もし観測の間隔をt/Nにすると、aでない確率はt2/N2に比例しこれがN回だから確率は1/Nになる。つまり観測を頻繁にくり返すと崩壊が起こりにくくなる。」
ということなのだそうだ。数式というのは、HTMLだけでも結構かけるんだという、関係ないところにいささか感心。観測回数に反比例して崩壊確率が減るというのが、キツネにつままれた感じながらも、なんか納得させられないでもない。
最上氏によれば、通常の状況ではこの効果が現れることはないそうで、それは何故かというと……、って、ここでまた自分でもわからん数式引用しても仕方がないのでやめるが、とにかく現実の計測でこの効果が問題になるようなことはないそうだ。じゃ、これを使って量子コンピュータにも応用できるかにいっている解説が結構あちこちにあるのは何なのよ、予算獲得用のキャンペーンなのかな。まあ、夢がある話というのはいいものですけどね。
しかし、なんで「ゼノン」なんだろう。「アキレスと亀」の、あのゼノンだと思うんだけど、もう一つこの効果にふさわしいネーミングとは思えんのですがな。ここは日本の研究者にがんばってもらって、我が国古来の児童文化をもふまえた、「量子だるまさんが転んだ効果」という、概略が素人にもわかる名前を、ぜひ世界に向かって提唱していただきたいと思うのだった。
香港大学教育学部のイウ助教授を主任とする研究班によってまとめられ、「音声ジャーナル」2003年6月号に掲載された論文の抜粋。
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アジアの若者たちにとって、カラオケはきわめてポピュラーな娯楽である。それは伴奏音楽を背景に、アンプによる特別な音響効果をつけて歌う余暇的な活動である。歌い手のために、ビデオ画像と歌詞がTV画面に現れるようになっていて、数時間も一人で歌い続ける人をみるのもまれではない。ほとんどのカラオケシンガーたちは正統的な歌唱訓練を受けていないため、こうした過度の歌唱行為によって、容易に発声に関する問題を生じる可能性がある。
この研究は、20人の若いアマチュアの歌い手(20〜25才で、男女10人ずつ)に、継続的にカラオケを歌い続けさせるという、音声的負荷課題をあたえた場合のパフォーマンスについて報告したものである。半数の歌い手には、通常の歌の切れ目に水分補給と喉の休息時間を与え、残り半分には水分も休息も与えなかった。
知覚的、また音響学的指標による発声の品質と、フォネトグラム(声のピッチと強さを画像的に表すもの)によって計測された発声機能は、水分補給と休息を与えた群においては有意な変動を認めなかった。しかし、非水分補給・非休息群においては、声のぶれ要素と発声可能な最高音において明確な変動が認められた。
以上の結果が示唆するものは、カラオケ中の給水と休息は音声の機能と質を維持するために有効な戦略であると言うことである。この知見はカラオケシンガーたちに有用な教育的情報となるであろう。
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この研究とその実験過程は、被験者、研究者両方にとって、きわめて過酷なものであったろうと、その真理を追求せんとする真摯な姿勢に、思わず感動を覚えざるをえない。科学というものは、自らの犠牲をもいとわぬ人々たちの、こんなにも血のにじむような努力の集積によって発展しているのである。なんてね。
"Effect of hydration and vocal rest on the vocal fatigue in amateur karaoke singers." Yiu EM, Chan RM.;J Voice. 2003 Jun;17(2):216-27.
二日ほど前にスミルノフ教授のブログで、メジャーな医学会の公式サイトをAnother HTML-lint gatewayで採点するというのがあり、ちょっと気になったので自分のところも調べてみた。そしたらなんとマイナス199点、学会サイトで言うと、日本小児外科学会と同点である。以前使っていた、ごついばかりで怪しいタグ吐きまくりのアプリケーションで作っていたときならいざ知らず、天下のMTで構築してそれでは情けないではないかと、休みを半日つぶして修正である。
指摘をみると、MTデフォルトはそう無茶苦茶なHTMLを出力していないようだが、あちらこちらからかき集めてきたJava Scriptとか、自分では気が利いたと思っているような付け加えが、ことごとく悪さをしている。新しく加わった広告表示のHTMLも、けっこうインチキな構文を含んでいるようだ。なんだかんだやっているうちに、以前から気になっていたIEとFireFoxでの表示の差がちょっと少なくなったようでもある。多少の功徳はあると言うことか。
それでもAnother HTML-lint gatewayの採点はやっとこさ55点。スミルノフ教授のとこなんか78点だから、大きく水をあけられてしまっている。ほかの専用アプリを使っている有名ブログを当たってみると、けっこう皆、高得点であることを知り、悔しさに歯がみする日曜の午後である。なんか、行動主義的心理学に宗旨替えしたような気分。
土曜日だというのに、午後を使って電子カルテ導入の最終段階リハーサルにつきあわされる。今まで個別的に操作講習会を開いていたのが、各部署との連携もふまえた、具体的な使用状況をシミュレートするというものである。30人ほどの職員が患者役になって、それぞれ割り振られた症状を訴えて受付を訪れ、各科に割り振られて受診し、いろいろな検査や治療を指示され、次回受診予約をしたあと精算するというごく普通の病院業務の流れを再現するわけだ。
すでに予約してある再来患者と、その日の新患が半分ずつという設定なんだけれど、待合室にはニセ患者たちがあふれているのに、肝心のPC画面の方には、その連中が受診登録した情報が現れないのだった。二時間のリハーサル予定の半分近くになって、やっと受診登録がぼちぼち出て来はじめる。
そりゃそうだ。今までは患者が保険証をもって病院にくれば、さしあたって保険種別のスタンプを押したカルテ用紙に名前だけ書いておけば、受付での事務処理は終わっていたのだ。それが、今日のリハーサルでは、一挙に20人近くの新患の住所氏名電話番号などの情報を、慣れないフォームに書き込む必要がある。あせってパニくる受付の女の子に、それを数分でやれというのが無理であろう。
電子カルテ自体の実際の診療場面での使い勝手はそう悪くなく、今日みたいな診療ごっこなら、実に余裕をもって対処できるのだが、いざレントゲンや検査に割り振るとその後がいけない。いくら電子カルテ上では依頼がそれらの部署に伝えられていても、別に患者がオンラインでそこまで行くわけではないのである。
今までなら伝票を渡して、どこそこに行くように伝えられたのが、ペーパーレスのおかげでそういう目安がない。バトンなしのリレー、タスキなしの駅伝みたいなものである。今まで以上に診療の進行具合を把握して、患者の動きをうまく管理する、気の利いた診療マネージメントが要求されることになる。そしてどこの病院でも、どんなシステムを使っていようと、この部分は大概ぽっかり穴があいているものなのである。
今日も巧まずしてそういう全体管理の不在が露呈し、意味なく関係ない検査室で待ち続ける患者役若干名、ちょっとした手違いで診療終了にされて、空しく待合室に放置される患者役数名という有様。繰り返すようだが、電子カルテ自体の使い勝手はきわめてよく(何しろ、システムを選んだのはこの私なもので)、そういう混乱を客観的に観察する余裕がたっぷりあるのが救いである。
大混乱のリハーサルを終え、反省会となったのだが、結局普段の患者接遇を別の視点からみなおすという、結構実りある話し合いになったのが収穫だろうか。もちろん、こんなシステム導入しやがって、切腹ものだぞという、私への非難に転化しなかったのが最大の収穫。
どういう経緯か忘れたが、たどり着いたのが表題のサイトである。もしかして、一般論として精神科医なんてものは、正常と異常という、ある体制にとっての価値を基準にして人を選別しようとする度し難い権力の手先だ、というような昔懐かしい「反精神医学」の主張をするようなところかと読んでみたが、そうではないのだった。
このサイトの開設者は、自分の娘さんが「精神療法による医療過誤」を受けて死に至ったと主張し、その相手方の医師を告発しようとしているのだ。「精神療法による医療過誤」とはまた、それ自体形容矛盾みたいなもんだがなぁと多少呆然としつつ、いったいどんなことがあったのかとそのサイトを読んでみたのだが、なんというか、家族を失った方にこういう言い方はしたくないものの、人に自分たちの主張をするという目的なら、もう少し分かりやすい作りにしてもいいのではないかなと思えるものであった。
なにしろ、事実経過を示すものが訴状と、えらく短い新聞記事のよせあつめだけなのである。家族の立場で事実経過を書いても客観的でないと思われたのかもしれないが、それなら訴状なんてもっと一方的なものなのだから、それをはじめに持ってこられてもな、と思ってしまう。
新聞記事がそこそこの客観性を持っているとするならば、事件はおよそこういうことであった。22歳の女子大生がうつ状態のために都内の大学病院に入院して治療を受けた。主治医はカウンセリングを中心にした治療を行い、女子大生は退院したものの、その後の通院治療中に3回の自殺未遂を起こし、治療開始後5年目についに既遂に至ったというものである。主治医は「自分が恋人役を演じるという精神療法を実施して、患者と医師関係を逸脱させて病気を悪化させた」と両親は主張している。
これだけではほとんど何のことかわからないので、仕方なく訴状も読んでみたのだが、これまた断片的な事実関係と妙につたない精神医学的術語が入り交じり、日常世間はもちろん、当然法廷で通用するとも思えない代物である。ゴルァ!弁護士、これでいくらかすめ取ったんだ、この法匪野郎が!といいたくなるほど。その辺は仕方なく行間を了解的に読み取ってみれば、主治医は要はこの患者さん相手に、恋愛ごっこのような、本気のような、わけのわからん言動を本人の前で繰り返し、ただでさえ不安定な相手を混乱させまくったようである。
簡単に言えば、単なるヘタレ不適格医師が、若くて魅力的だった女性患者を相手に、自分のささやかな特権を利用して劣情を満足させていい気分になるばかりで、まるで治療的力量がなかったということである。それに対して「転移・逆転移現象を適切にコントロールする注意をせず」なんてぇ、つまらん(失礼)言い方で指弾するものだから、家族の当然のいきどおりまで、この主治医のヘタレ具合と同レベルにまで引き下げられたように見えてしまうのだった。
家族はそれで飽きたらず、河合隼雄みたいな、臨床とはまるで無関係の人間の言うことなどを引き合いにして相手を貶めようとするものだから、ますます「と」レベルの主張になっているのである。そんなもの、「治療的能力もないのにズルズルと患者を抱え込み、明らかに悪化の原因にすらなっているのにそれを放置した」といえば済むのである。入院の段階でケッタイなことを言い出したとき、「常識」で判断すれば、こいつは馬鹿だということぐらいわかるのではないだろうか。
馬鹿を馬鹿と断ぜられず、医学の幻想にすがってしまった無念さが家族を訴訟にまで踏み切らせたのであろうが、そこまでのパワーをなんで治療時に出してあげなかったのかと、かなり複雑な思いになる。正直言って、転移の逆転移のといって裁判に勝てるとはとても思えず、もしこの家族が娘さんの無念さを晴らしたいと思っているのなら、ざっと考えただけなのだが、順序は以下のようなものであろう。
(1)まず診断の正否を問い、その診断に対する標準的治療を行ったのかどうかを問う。
(2)被告医師のとった治療方針の妥当性について、その趣旨一貫性や文献的な根拠を求める。
(3)経過をどう評価していたかについての弁明を求める。
(4)以上についての被告側の注意義務違反、不作為を明らかにし、それによる損害賠償を求める。
誤解を恐れずに言えば、うつ状態で素人が考えるような精神療法だのが出てくる幕などないのである。自らの状態に対する客観的な把握をもってもらい、それに対する適切な薬物療法を行いつつ、今後の生活行動パターンの幾分かの組み直しを促すことぐらいがほぼすべてであろう。もちろん、それらすべてを適切にやったとしても、時には不幸な結果に終わることはあるものだけれど。
それは、なかなか治らない疾患を抱えたことへの自己憐憫とか、見当外れであることのほうが多い養育環境への恨み辛みとかを、適切に受け止めてうまく治療への意欲に持ち込む努力は必要だ。でもそれはわけのわからん人格操作とは全く別のことで、大体、日常言語のチンタラしたやりとりで人格の深部になど至れるわけがない。そのあたり、ヘタレの被告医師がありもしない自分の「精神療法」的力量を押しつけたのは当然度し難いのだが、まったく相似形の幻想に被害者である家族側まで浸っているかにみえるのが、この業界人として、まことに情けない思いがするのだった。
まあ、何であれ久々の読書である。発熱が治まってからごろごろしているときに読んだので、ちょっと集中力が散漫だったが、それなりに楽しく読めた。ジョン・ダニングはアメリカの紀田順一郎とも呼ばれる(って、私がそういっているだけだけど)古本ミステリで知られる作家で、小説の筋立てとういうよりはむしろその古本蘊蓄とか、普通のコレクターとはまた違う狂気を秘めていることが多い古本収集家の生態を描いているところが実におもしろいのである。
主人公になる元殺人課刑事の古本屋、クリフには、今までの作品ではもう一つその性格付けがはっきりしないところがあったが、今回はその交友範囲に発端がある事件というのもあって、かなりその屈折もふくめた人格性が特徴づけられているようにも思う。そのぶん、蘊蓄の方はちょっと手薄というのが感想。
今回の物語は英国の探検家にして語学の天才、カーマスートラや千夜一夜物語の訳者として知られるリチャード・バートン(同名の俳優とは無関係)が、南北戦争直前にアメリカで謎の行動をしていたという、向こうではかなり有名であるらしい故事が事件とその謎の背景になっている。われわれだって、明治維新前夜のころ、志士たちがどこで何をしていたなんてことはけっこう興味があって、実際にそういうことを背景にした小説などは山ほど存在するのだが、その辺は向こうだって同じような事情なんでしょうな。
もちろん、米国人が坂本龍馬やアーネスト・サトーのことなんかまるで知らないように、われわれもR・バートンの細かな行動とか、南北戦争の直接の開戦契機なんてことは専門家でもないかぎりサッパリ知らんわけで、その辺に興味が持てるかどうかがこの小説への関心のすべてを決めるのは間違いないだろう。もっとも、もともとハードボイルド志向もそこそこちりばめてあったこのシリーズのこと、特に今回はロバート・B・パーカーのパロディかいなと思うような筋立ても見られたりして、合衆国の歴史講義につきあわされてはたまらんと言う部分ばかりではない。
580ページと、けっこう厚い文庫本だが、解熱鎮痛剤漬けのオカユ腹状態でも一日半で読み終えられたので、体調のいいときに巡り会えばもっと楽しめたのではなかったかなと、多少残念。
朝起きてみたら熱もなく、意外にしゃんとしているので、さぼる口実も見つからず仕方なく出勤する。それでも体のふしぶしが痛いので、一日ロキソニン漬けですごしていたが、体の中では常にアラキドン酸カスケードが「悲しき雨音」のリフレインを奏で続けている気分である。痛み以外は、食欲が全くないことと、何もやる気がしないことだけが不調感の全てなのだが、考えてみれば最後のやつはいつものことである。
というわけで、ミネラルウォーターだけの晩飯をすませた後は今日もさっさと寝ることに。なんかネタを思いついていたのだが、そのうちということで。
昨日、他人の不幸につけいった内容を書いたことに罰があたったらしく、夕方から全身痛と悪寒戦慄がはじまってしまう。適当な抗炎症剤をのんで、何もしないで寝ることに専念。ふと目覚めると、先ほどの症状はどこへやら。我ながら安易な作りである。ここ10年以上、仕事を休まにゃいかんような体調不良には、なったことがないんだものなぁ。
気を緩めるとまたぶり返しそうなので、もう食事もやめにしてさっさと寝よう。