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小田嶋隆さんというコラムニストが、フォーク歌手の高田渡さんの死を報ずるマスコミの姿勢(主要には筑紫哲也の番組)について自分のブログで意見を述べていた。高田氏が死んだとき、毎日新聞に中川五郎が追悼記事を書いていて、彼が完全なアル中であり、周囲にとんでもない迷惑をかけ続けていたのを知っていたので、そういう生き方を「天使みたいな人でした」というようなまとめ方をしていたのなら、それこそとんでもない犯罪的行為であるように思われる。
もっとも小田嶋氏の非難にしても、彼の生涯が木造アパートで終わったことをもって、無価値と非難するのも引っかかってしまう。郊外にしゃれた家を建てて、ローンに苦しみながら、つまらんガジェットをそこに詰め込んでいくのが人の道なんだと主張しているように見えてしまうのだ。実際、そのように感じた反論のコメントを寄せている人もいた。小田嶋氏のブログでの論争を追っていくと、小田嶋氏自身がかってアル中だったことがあり、なんとか自己管理出来ている立場から、筑紫哲也などが代表するような、アルコール中毒者を美化するような発言にいらだっていたのだということを知った。
断酒者というのは、酒飲みに対して普通の人以上に辛辣である場合が多いですからなぁ。私自身がそうだが、禁煙者がしばしば過激な喫煙排斥論者になるのと通じるところがある。かっての自分に対する自己嫌悪をつい他者に重ねてしまうので、過剰に否定してしまうのも仕方ないのかもしれない。
私の立場でちょっと面白いと思うのは、小田嶋氏の元の文章では「アル中」と書かれているのに、批判コメントに答える文章の中では「アルコール依存症」とされている点である。どうも「アルコール依存症」という言い方は、「アル中」の丁寧語として機能しているらしい。アルコール依存には患者側の主体性が強調され、中毒といってしまうと酒だけが悪者みたいに感じられてしまうのだが、私自身は「アルコール中毒」という方が、事態をより正確に表現していると思う。だって、酒のバカ飲みがない限り、この状態にはならんのだから。酒以外に代替できるものでもないし。
なんであれ、治療する立場からいえば、小田嶋氏の発言は至極もっともといえる。アル中さんを本格的なアル中さんに追いやるのは、なんといっても周囲の中途半端な援助と、酒に耽溺する人に対する美化が最大のドライブになる。人が自分を野垂れ死にに追いやるのはすべての人に認められる固有の権利だと思うが、だからといって、家族や友人に下らん八つ当たりや、不始末の尻ぬぐいをさせてもいいわけではない。酔っぱらいは酔っぱらいなのだ。自己主張するのは醒めてからやればいい。
アル中治療の出発点は、どんな形であれ、本人が酒を飲んで無様な真似を引き起こすことに対して、本人以外が尻ぬぐいをしないと言うことを徹底するところから始まるのだが、世の中には、名医がどこかにいてそこにはせ参じるとすべてを解決してくれるようなあり得ない幻想が蔓延している。何より、それは医療関係者自身が根強く持っていて、「アル中治療エキスパート」に紹介すれば一見落着だと思っている人も多い。
国立久里浜病院みたいにちゃんとした治療プラグラムを持っているところでも、笑っちゃうほど粗末で商売ポーズだけの「アルコール専門病棟」を持っているようなところでも、治療成績というのはそう変わりはしないのである。いうならば、放っておいてもあんまり変わらんわけ。楽天ゴールデンイーグルズのチーム打率ぐらいが歩留まり率ではないかな。
確かに、アルコール症の治療を看板にして、それに心血を注いでそれなりの成果を得ている治療者がいるのは事実であるが、優秀な治療者であればあるだけ、結局本人の底付き体験を徹底させることが出発点であることを熟知しているものだ。お茶目な酒の問題を起こしつつ、愛され続けた才能豊かな故人なんてこといってるなら、それは首つりの足を引っ張っているのと同じである。
なんでアル中というものに、人はあんなに幻想を持つのだろうというのはひとつの謎であるが、実際、アル中者には才能豊かな人が輩出しているのも事実である。ただ、その命題の逆となる、才能豊かな人が皆アル中になる訳ではない、という常識的なところまでは人は注目してくれない。この世知辛い世の中にあって、アル中レベルの酒飲みに対する甘い受容というのはある意味では心暖まることではあるのだが、それが周囲にも本人にもなんの役にも立たず、破壊的なだけという事実は、多少の誇張を伴っても世に知らせた方がいいと私は思う。
これは昨夜すでに書いていたのだが、自分自身ぐでんぐでんの状態であったため、本日推敲したうえアップする次第。おまえだって酒のコントロールが出来ないじゃないか、という人もいるかも知れないが、少なくとも私はそのまま飲み続けて仕事も約束も知らんふりなんてことはない。要は、いくら大酒飲みであろうと、期待される社会的な機能さえ果たしていればそれでいいのです。その意味では、高田渡さんはどうだったんでしょうな。周囲の正直な意見が聞きたいところ。
投稿者 webmaster : 2005年05月15日 23:10
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なんと言えばいいか、私はアル中治療に関してはいまだにその理念を定められないところがあって、やはりどこかでポーやヘミングウェイ、チャンドラーといった「酒とロマン」の雰囲気で美化してしまっているのだろうと感じてます。
建て前としての「家族の再生」なんてのには、虫酸が走る方だし。その辺で、どうもスタンスに混乱が出るのでしょうね。本文に書いた、「人が自分を野垂れ死にに追いやるのはすべての人に認められる固有の権利」というのを軸にした治療倫理を確立したいと思うんだが。
そんなわけで、つまらん茶々入れになって申し訳ありません。>小田嶋さん。
投稿者 Webmaster : 2005年05月16日 17:54
>郊外にしゃれた家を建てて、ローンに苦しみながら、つまらんガジェットをそこに詰め込んでいくのが人の道なんだと主張
どういう発想でこの「主張」が出てくるのか興味深いです。
木造アパートだから無価値なのか?と抵抗を感じて「じゃあ何かい、郊外にしゃれた…だったらいいのかい」と書いたもののそんな主張は元コラムのどこにもないので「思えてしまうのだ」で結んでみた、という感じでしょうか。
どう読んでも木造アパートだから無価値なんて書いてないと思いますけど。木造アパートをもって無欲恬淡で金に執着しない方向に演出する報道を批判しているように読めますが。
まあ高田渡という人がアル中と同時に本当に無欲恬淡で好んで木造アパートに住んでいた可能性を否定できるものではありませんが、そうだったとしても「木造=生涯が無価値と非難」はあたらない。
ぐでんぐでんで書いたものに無粋なつっこみをいれてますか。いや、「ガジェット詰め込み」の部分がなんかwebmasterの自戒っぽくておかしかったので。
投稿者 小角 : 2005年05月16日 05:33
どうも、トラックバックありがとうございます。
トラックバックに対して、いちいち挨拶に現れるのは、なんだかパラノイアみたいでナニなのですが、実は、先生のページは、何年か前から時々拝見していたものですから。
でも、ブログ化していたことは知りませんでした。
たぶん、2年か3年前に、都市伝説のアーカイブを読みました。
大変に面白いと思いました。
ので、なんだか、不思議な偶然がうれしかったので。ごあいさつまで。ではでは。
投稿者 小田嶋隆 : 2005年05月16日 00:53
岸田森…
投稿者 小狸工房 : 2005年05月16日 00:34