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朝出勤してみると、もう10数年来入院しているA氏が、同室の患者さんのちょっとした振る舞いが気に入らないと言って、真夜中に殴る蹴るの暴行を加えたとのことで保護室に収容されていた。隔離後も興奮収まらず、こんな病院は今すぐ出て行ってやる、責任者呼んでこいと息巻き、食事も薬もいらんと騒いでいるとの報告である。
この人は慢性分裂病と言うことになっているが、興奮と言っても幻覚妄想が出るわけでもない。私が主治医になってから、どうも体重の増減が激しいのが気になったので、調べてみたら甲状腺機能亢進症を合併していた。性格的な問題か、甲状腺機能も関与しているのか、とにかく10代後半から易興奮、暴力といった問題が続き、精神病院を渡り歩いたおかげで、めでたくも狂人ラベリングが固定した人だと思われた。あまり安易に分裂病と診断できる人ではない。もちろんそうはいっても、一度確定してしまった芸風というものは脳のどこかにしっかり構造化されるようで、言語レベルで修正が効くようなものではないのだけれども。
私の顔をみるなり、何ともないのにいつまでもこんなところに閉じこめやがって、今すぐここから出して退院させろ、どこでだって働いて金ぐらい稼げるんだと怒鳴り散らす。へぇー、なんともないと言いながら、無抵抗の人を袋だたきにしてもいいと思っているんだねと切り返すと、もう下を向いて勢いがなくなってしまう。「何をするかわからない→何をしても許されるキチガイ」という袋小路の絶望的特権に小ずるく依拠していることを、この人はよく自覚しているのだ。
当面隔離は続ける事を伝え、薬を飲まないならそれで結構、注射に切り替えるから、食事も止めるわけには行かないので一応出すけれど、放り投げずに食べた方がトクだと思うよ、と告げる。そうこうして、別の用事をしていると、A氏の担当看護師が電話してくる。「薬は飲むから注射は堪忍してくれと言っているので、やめますがそれでいいですか?」なるほど、看護からすれば反省の色が見えるので、敢えて圧政路線に切り替えることもないだろうという温情なのだろう。でも、ここで態度がぶれてはいかんのだ。ここは「テロリストには一切の妥協はしない」という、ブッシュ=ラムズフェルド路線を貫く必要がある。
しかし、タイミングというものもあり、いったん妥協する姿勢を見せてしまえば、私がふたたび、飲まないと言ったんだから飲まんでよろしい、そういうことの決定権はアンタにはもうないと告げに行くのも間抜けである。こういう事はスタッフがみな一致していないと意味はなく、一部が原則にこだわるとかえって雰囲気がおかしくなる。逸脱行動への理解と言うことと、その行動をズルズルと認めると言うことは別物なのである。敢えて言えば、キチガイじみた行動をし続けるなら、それ相応の扱いしか受けられないよ、という態度は一貫していないといけない。もちろん、意識障害とか、完全にあっち側に行っているときの行動に対してこういう態度をしても意味はなく、臨機応変な対応が必要になるのだが、これをうまく切り替えられるような精神科医療チームというものは滅多にお目にかかれない。
人権など無関係というような、昔タイプの権威的運用をされていた病院が「民主化」されて、患者の人権を留意するようになるとむしろ医療水準が落ちてしまい、病棟が大混乱になってしまうというのはよく見られる事である。社会に適応できない人を、医療という名をかりて、ある意味暴力的に支配していた事に無自覚なまま、木に竹を接ぐようなやり方でソフトな運用をしても、傷つきやすい大多数の患者さんには決してメリットにはならない。じゃあ昔ながらのやり方が正しいのかといえば、永遠に収容し続ける機能を前提にするのでない限り、そうではないのもまた明らかである。
結局、臨機応変という言葉で表すしかないような、個々のスタッフの能力と感受性にすべてがかかっている。ホスピタリティーという言葉は、およそ病院と言うところには似つかわしくない現状があるのだが、まして精神科病院が幾分かでもそれにふさわしい内容を獲得する日は来るのだろうか。様々な病院改革の報告などを読んでも、そういう希望を持てるようなものはほとんどない。とめどもない善意の浪費と、燃え尽きを繰り返しているのがこの業界なのである。
投稿者 webmaster : 2005年07月06日 17:52
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ふと、思ったのが、精神科病棟、や病院自体へ家族や本人が求めているものが変わってきて戸惑う。ということは精神科を持つ病院では余りないでしょうか。私の勤めているのは内科病院ですが、情報開示、とか患者の権利、とかやたらに貼り出されているがスタッフは意識の面で対応し切れてない。ところがちらほら・・。リスクマネージメントの面からも、スタッフの意識統一って必要かな、と感じています。
投稿者 mori : 2005年07月07日 12:46
初めまして。おじゃまします。
私も以前、精神科に勤めていましたが「臨機応変」という言葉に振り回され、燃え尽きてしまった?一人です。
中途半端な、上層部側に都合のよい「人権尊重」がまかり通り、そのおかげで熱心にやっているスタッフの心身が見事に削られていくのを見るのはやりきれないものです。
投稿者 こすもす : 2005年07月07日 10:59
精神科病棟は、患者もスタッフも有象無象(悪い意味ではないですよ)の世界なので、
システマティックに対応しようとすると、却って、破綻するような気がします。
個々人がそのひとなりに、良くも悪くも適当にやっていくのが、良いのではないでしょうか。
矛盾、問題が出たら、随時、臨機応変に対応できる、調整能力をもった医者や看護師長などが、居ることが必要ですけれど。
あんまり、意気込んで、全員でカンファやるって言うのは、疲れるばかり…
投稿者 同業者 : 2005年07月07日 00:09
マイケル・クライトン氏は精神病棟での研修で自分に医者は務まらないと実感したとか。
「なぜ作家に?」
とインタビューされて
「何か書いていないと気が変になりそうだから」
投稿者 小狸工房 : 2005年07月06日 23:44
私、知的障害者の福祉作業所に勤務しておりましたが
問題の本質はまさしく同じだなと感じました。
臨機応変な対応が出来るチームにはなりませんでしたね。
それが出来るようになるには人なのか組織なのか、また
その両方を兼ね備えるにはどうしたらよかったんだろ。
投稿者 ken : 2005年07月06日 22:13