恒例の、新しもの好き人柱先走りアップグレードを敢行。ベータ版の時のトラブルに懲りて、またしても厳重なバックアップをやっていたら、その作業だけで一晩かかってしまった。実際のアップグレードはトラブルなしで拍子抜け。
なんて事をいっていたら、細かな設定でボロが出まくり、結局今回は元に戻すことに。どうもアップグレードより、ゼロからやり直す方がいいみたいですな。
そんな無内容で9月は終わってしまったのだが、実は自宅の引っ越しをすることになり、ネットが止まってしまうので10日ほど更新はお休みになる。仕事先の方から、掲示板の方やコメントにはチョコチョコ書き込むと思うけど。
今度暮らす事になる街は、今まで経験のない海の近くである。鉄分の高い人にはおなじみの、レトロでちっこい電車が走る地方。当然、職場も変わることになる。まあ、こちらの方が先に決まってたんだけど。本当は都心部に進出しようと思っていたが、諸般の事情で断念。田舎暮らしが宿命付けられているようですな。
それなりに気になったので、タイガース-ジャイアンツ戦を最後まで見てしまう。タイガースのことだから、絶対おちゃめなオチを準備してくれているに違いないと期待してみていたのに、なんだか淡々と勝って優勝を決めてしまったので、肩すかしも甚だしい。街のファンが示す反応を見ても、そのあたりの微妙な当惑が込められていると感じるが、単なる投影機制ですかなぁ。
タイガースというチームは、ジャイアンツのように小児的、退行的な自我肥大を代償するヒーロー集団ではなく、現実世界での挫折と抑圧を対象化させてくれる自己憐憫装置として機能している。それも喜劇キャラが悲劇を演じるという複雑な芸風が、楽天などの伝統のない弱さとは明確な違いを醸し出すのである。そのため、もし今年のような勝ち方を今後も続けていると、単なる強めの地方球団に堕してしまうという、根源的矛盾を背負っているのである。
20年に一度優勝するぐらいが、ちょうどいいところだと思うんですけどなぁ。今のところ、勝利のインタビューに応じる監督の顔が藤山寛美だ、という外面的なオチしかないので、ちょっとこのままではジャイアンツ凋落で冷え込むプロ野球の屋台骨を支えるには材料不足である。ぜひ、シーズンオフの人事とか年俸交渉あたりで、お得意の内紛を勃発させ、真のファンを楽しませて欲しいものだ。
突然酒飲みイベントが勃発してしまったので、別館用にキープしてあったネタで急遽しのぐことにする(って、誰も期待してないんだが)。これはチェコ・プラハ在住の芸術家、デビッド・ツェルニーのサイトで紹介されている彫刻である。ツェルニーは彫刻家というに止まらず、様々な環境芸術作品を創作しているが、ソ連による侵攻とその圧政の記憶が込められた、まことに重厚なものが多い。
チンポコ丸出しのこれのどこが重厚なんだと思われるかも知れないが、この作品はブリュッセルの小便小僧にインスパイアされたもので(嘘)、水たまりに向かい合って立つ二体のブロンズ像が、小便をし続けるというものである。よく見れば、そのペニスはかすかに上下動し、腰も微妙な旋回運動を続けている。そして、放出される尿は水たまりにメッセージを書き続けているのだ。つまり、言葉を奪われた人々が、小便を使ってでもコミュニケーションを続けようとする不屈の意志を、みごとに表現しているのである。
しかも、この彫刻のすばらしさはこれに止まらず、観客もその情報交換に参加できるところにある。彫刻の横には電話番号が書いてあり、観客はその番号にメールを送って、自分の思いをその尿メッセージに追加できるのだ。
ツェルニーのサイトでは他にも政治的主張が込められたもの、単なる悪ふざけと思われるもの多数を見ることが出来るが、私が一番感激したのは、上の作品とも通じるところのあるこちらである。中央ヨーロッパの伝統と、その弾け飛んだ発想とが、ここまで美しく溶け合うと誰が思うだろうか。
日本にも昔から「奈良の大仏XXXXかけば、奈良の都は糊の海」という戯れ歌があるのになと、その発想を美に昇華させようとしなかった、我が国の芸術家たちの怠慢を深く呪ったものであった。
元情報はこちら。
昨日のエントリーに対して、児童を専門にしておられる精神科医からコメントがあり、これが私の考える定型的袋小路思考の見本とも思える内容だったので、いささか大人げないとは思うが追加させて頂く。正直いって、卒後5年目ともなればナイーブな情緒論で勝手に傷ついていても、誰も同情なんかしてくれないのだ。あの内容で自らのルサンチマンを正当化して中途半端に別の臨床現場に向かうとすれば、ご本人自身に害になるのはもちろんのこと、患者さんたちやその家族へのいい迷惑以外の何者でもない。
コメントはまず、「コドモには可塑性があるとみな無条件に信じてくれる」という表現で始まっている。これがまず間違いその1。そんなこと無条件に信じるバカが専門家にいますか。例えばひどい虐待をうけていた子供が、環境を整えることでその本来の能力や感性を取り戻す場面などに出くわすと、それはある種の感慨を覚えるものだが、それはあくまで「本来の能力や感性」の範囲内であるのは当然の話である。生得的な障害や限界までも可塑的であるわけではない。そうした前提条件の中で、その子供なりに生きていく可能性を援助していくのが医療や福祉療育の仕事だ。
次が「痴呆の方にはもう壊れている扱いをする」という部分。障害を把握することと「壊れている」と決めつけることはまるで違うことで、それを同一視しているかのような発言は少々見識を疑う。経験例でも、おそらく不穏が続く老人をそのまま家族が見るようにしむけたという実例を挙げておられるが、逆に言えば、老人は何をしても良くて、家族はただその暴力を受けるのが当然というその判断はどこから来るのだろう。あなたのヒューマニズムは、自分の受け持ちだけが享受するものなのですか?
上司なる医師が、「寝たきりにする」という方針を出したとのことだが、どうにも興奮を抑えられない痴呆老人というのはいるもので、言葉の使い方は別にして、差し当たっては重鎮静方針をとらざるを得ないこともあると思える。障害を無視して、「殴られたって、あんたらが面倒見るべきだ」なんて傲慢な方針を家族に強いるより、よっぽど現実的な方向性だろう。もちろん、長い人生を送ってきた先輩たちへのリスペクトを第一にして、出来る限り安らかにして実りある(と家族や周囲が受け取れる)人生の最終章を演出してあげるのが最優先されるべきではあるけれど。
もう少し柔らかい言葉で反論すべきだと思うのだが、ここのところ研修医の指導などで、「回りくどくいっても理解されない」のを思い知っているので、かなりきつい言い方になってしまった。他の方まで不愉快になったのではないかと恐縮である。袋小路で誰のためにもならない愚痴をいうより、心ない人には「壊れた」といわれるしかない人々をどうやって守ることが出来るのか、そのためにはどのような環境を作るべきなのか、じっくり考えて見られることをお勧めする。
ある精神科医が主催しているメールマガジンに、「老人介護を楽になる方法」と題した記事が書かれていた。テニオハが少しおかしいような気もするが、引用なのでこのままで行くことにする。これは、ちょっと前に起こった介護者による痴呆老人の殺害事件をきっかけに書かれたという。実際、痴呆老人を介護する家族の苦労というのは並大抵のものではなく、苦しみから逃れたいと介護者の方が自殺企図を起こしてしまったり、痴呆患者に対してひどい虐待をしてしまったりという例はいくらでも目にする。
そして、そういう苦しみの原因を治療者側がさらに倍加させていることもよくあるのだ。行政主催の痴呆シンポジウムなどに出ると、メインの講師がその手のデタラメを教えていたりすることはしょっちゅうで、普通に臨床に関わっていれば、こんなアホなことはいえないのになぁと、天を仰ぐこともしばしばである。ま、この手の人は自分がデタラメをやっているという自覚を得るほどの関わりをすることはないので、非当事者にはそれなりに響く、建て前だけのきれい事をいっていてもそれに気付くことは永遠にないのだけれど。
大概の痴呆老人介護マニュアルには、余裕をもって接していこうという、それ自体正しいことが書いてあり、今ちょっと検索しただけで恐縮だが、たとえばある病院が提供しているこのページには、原則をさまざまに箇条書きにしてあるものの、はっきりいって、だから具体的にどうすればいいのかはさっぱり判らない。その点、先のメールマガジン主催者は、「言語的コミュニケーションを重要視するな」という、実に判りやすい一言でまとめているのである。
ちょっと考えれば当然なのだ。ボケていなくても耳も遠いし、関心や知識データベースなどが全然違う相手である。ましてボケが加わり、意識水準だって変動しているのに、言葉でごちゃごちゃいっても仕方ないというのは容易に推察されることだ。それなのに、「真摯に向かい合って説得し、ねばり強く相手を納得させましょう」などというような有害なアドバイスをする「専門家」は結構多い。つまらん修身道徳のタワゴト建て前に捕らわれていて、それがどういう意味があるのか考えたことなどない連中なのである。
そもそも人間のコミュニケーションというのは、言語能力が保たれている者同士であっても、非言語的コミュニケーション要素の方が多いものだ。日常的な場面で言葉として発した情報だけをいくら集めても、そこで交わされた情報伝達を再現することはまず出来ないだろう。言葉がすべてであるのは、文学とか学術的情報交換場面だけのことである。
痴呆老人は重度軽度を問わず、適切なコンテキストを感じ取る能力が大きく低下している場合が多く、非言語的情報と言語的情報の矛盾をうまく処理することが難しい。「婆ちゃんのためだけを思ってやってあげているのに!!」などと叱責しながら行動を指示したりしても、彼らはまず拒否と敵意を受け取り、混乱するだけなのである。
したがって、その対応は非言語的なレベルでの受容というものが中心になるべきで、もっと簡単にいえば、「説教せずに、相手のいうことはハイハイと受け入れ、主にボディコンタクトなどを介して行動を導く」という単純な手順だけで、痴呆老人の問題行動のかなりの部分は軽減する。もちろん、しつこい非現実的要求が続くことはあるが、それを言語的説得しても意味はない。あえていえば、「とにかくその場はゆったりとごまかす」という対応で十分だ。何しろ相手はぼけているのである。このアドバンテージさえ自覚すれば、いくらでもごまかせる。
その意味では、痴呆老人への対応のエキスパートはそこらの医療福祉関係者ではなく、リフォーム詐欺などを生業にしている連中であろう。非言語的レベルで相手の不安をうまく和らげれば、言語合理性のレベルでは無理とも思える消費行動に引き込むことも出来るのだ。医療福祉関係者はこのテクニックを、何としても学ぶべきであると思われる。
先に紹介した精神科医のメールマガジンでは、そうした点を指摘してはいるのだが、惜しむらくは、別の形の修身道徳建て前をいつの間にやら密輸入しているという限界があった。それは例えば、「『思いやり』の気持ちで心を一杯にしてください。そして、『思いやり』の気持ちを持って、介護してください。あなたの『思いやり』を非言語的に伝えてください」といった記述によく現れている。他にも、「くそじじいと思ってはいけない」なんて書いてあったりする。実際相手はくそじじいなんだから、そういう道徳論に持ち込まれても、介護者は自責感を持つだけである。
専門家は、ここでもう一度はっきりというべきである。「誠意を持ってその場をうまくごまかそう」と。ものを盗られた、お前が泥棒なんだろうと責められても、それを言語的に説得は出来ないのは当然である。といって、それは自分が痴呆老人に対する拒否と怒りがあるから相手に悟られてこうして責められているのだろうと、介護者に自分を追いつめさせたって何の役にもたたない。ちょっとしたノリツッコミのテクニックで、相手の怒りや不安に同調し、別のテーマにうまくつないでいくというのが差し当たっての道であろう。
これ以上の詳細は、また別の機会ということで。
TVを見ていたら、「奇跡の脳外科医」てなキャッチフレーズで、米国をメインの臨床フィールドにしておられるF医師のことを取り上げた番組をやっていた。あんまり真面目に見ているわけではないので、はっきりしたことはいえないが、この方は最近数回以上、TV特番の対象になってるのではないだろうか。
ちょっとこの方について検索してみれば、たちまちにして賞賛記事が嵐のように引っかかってくる。曰く、「神の手を持つ医師」、「ラストホープ」などなど。まあ実際、TVで一端をうかがうだけでも、その行動力は素晴らしいもので、私みたいに休みの日にはネコをだいて終日ぼんやりしているだけの人間が、一応同じ業界でメシを食っているというのも気が引けるような気がするほどだ。
ただですね。TVが褒めそやすその「神の手」技術なんだけど、畑違いの人間がいうのもなんなんだが、そんなに彼しかやれない特殊なものとは思えないのがどうも気になる。キーホール手術といったって、脳底の腫瘍の場合、ああいうアプローチしかやりようがないじゃないか。頭のてっぺんごっそり開けたって、どうにもならんだろう。私は大規模精神病院よりは総合病院で働いた経験の方が長いので、けっこう脳外科の医師とはつきあいがあるが、その人たちのほぼ全員、ああいう手術はやってましたがなぁ。
日本には脳外科医というのが何故かやたらにいて、人口比でいえば実にアメリカの4倍だ。極端脳外科医率といってもいい。日本の病院ベッドの3分の1近くを占める精神病棟を見ている精神科医の数より多い(最近は同じぐらいかも)のだから不思議である。それで日本の脳外科医たちは切磋琢磨して、世界に冠たる脳外科王国になってるかというと、まるっきりそんなことはないのだから面白い。F医師みたいに積極的に打って出られない人は、手術の機会も少ないので、神経内科医の真似事で糊口をしのいでいる場合もある。その割にはせん妄対策がこっちに回ってくるけど。
だから、F医師の華々しい活躍や、後進を育てようとする努力を持ち上げれば持ち上げるだけ、それは日本の脳外科業界のしょぼさを暗に批判していることになるのだが、TV局はそれを自覚しているだろうか。当然、そう皮肉られている脳外科医たちは、もっと自分たちの実績を挙げて反論してもいいように思うんだが。あんなの、F医師の専売特許じゃないぞと。
それをしないのは、実際に使えない人がけっこういるという事情と、私がTVを見ているだけで気が付いた、もう一つの事情があるようだ。気になるので、とある裏ゴッドハンド脳外科医にこっそりそれを確かめたら、「TVからだけでそれに気づくとは、やっぱ専門医だねぇ」だとのこと。見立てどおりであったようだ。(はっきり書けなくてゴメン。でも虚心に見れば大概の人が判るはず。)
というわけで、ゴッドハンド何するものぞと朝から上機嫌である。「そちらは肉体労働、こちらは精神労働」と、ついお神楽の口上が出てしまう日曜日の朝なのであった。でも、はいるお金は一緒じゃないなぁ。
ボストン・エマニュエル大学で英語学を教える、ジョシュア・リンダーマン特別講師による「ラブレターの書き方(PDF)」。彼が教える学生たちへの手本として書かれたものだそうで。
課題:愛する人にラブレターを書きなさい。その人を愛する特別の理由が三つあることを示しなさい。ダブル・スペースで印字してすくなくとも3枚の用紙に書かれた長さが必要です。
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我がクリスティンへ。
愛。この数え切れないほど多く語られてきたものに対して、いまさら何を語ることができるでしょう。愛は現代社会における最も重要な要素の一つです。多くの有能な物書きたちは、愛する人に捧げた詩であれ、愛がもたらす試練についての小説であれ、愛について山ほど書き連ねてきたのはよく知られていることです。
愛から霊感を得た物書きの一人として、私もここで愛について書くべきでしょう。そう、貴女への愛について。私は貴女を愛している。貴女がとても愉快で、賢く、そして可憐な人だから。
私が貴女を愛する第一の理由は、貴女がとても愉快な人だということです。私はいわゆる「堅物」よりも愉快な人々を好みます。貴女はとても愉快で、笑うことを人一倍好む私は、貴女がとても愉快である故に、貴女を愛するのです。それが私を愛する第一の理由、貴女が愉快な人だから、ということです。
歴史の始まりのころから、人類はその行動をさだめるのに、まず笑いを求めてきたのです。洞窟の壁に絵を描いているときも、宮廷で道化師の芸に見入っていたときも。今日でも、笑いはひとがその生活に求める質そのものです。ウェブスター辞書には「ユーモア」を「可笑しみや楽しみを生み出す『質』;愉快さ」と定義されています。貴女はいつも笑いを生み、人を楽しませ愉快な気持ちにさせてくれる、それ故に私は貴女を愛するのです。
その愉快さに加え、貴女はとても賢い。賢い人は現代社会において、二番目に愛すべき存在です。私は今貴女がいかに賢い人かを示し、貴女が、愉快でなおかつ賢いという、特別の類型に属する人であることをお見せしましょう。私は貴女のように賢くありたいと、いつも願っていたものです。貴女のものを知ろうとうする態度は、いつも私を楽しませてくれます。貴女と貴女の賢さについて考えている時、私は貴女の常日頃の知識について考えていて、それが愉快な人の次に賢い人を好む理由なのです。
貴女が私を楽しませてくれなかったことなどあるでしょうか?もし人間の脳とその能力が、人間を危険なジャングルで暮らしていく程度のもので、家を建ててそこに住むほどの知恵もないのだったら、貴女はその知能の故に実に偉大な人だといえるでしょう。人間が偉大な人を慕わないのなら、誰を愛すればいいでしょうか?私は自分が偉大なものに憧れることを知っていて、それ故に貴女を愛するのです。
私は貴女の全てを愛しています。音楽の好みや服の趣味もね。ほかの人が当たり前だと思っていることも、私にとっては重要で、それらはすべて愛、貴女への愛なのです。他の人がどういおうと、それは些細なことではなく、とても重要なことです。
最後に、貴女はとても可憐です。それはどんな社会においても、愛される価値です(これを書いた後、アフリカの某部族では例外があることを知りましたが、ここではそれはなかったことにしておいてください)。私はいつまでも、貴女がいかに可憐であるかを言い続けることが出来ます。でもそれは言葉にすぎません。よい書き手ほど、言葉よりも実際の態度こそが重要であることを知っています。
結論として、貴女はとても愉快で、賢く、そして可憐です。ここに書いたことで私はそれを確かに証明したと思っています。私はそれ故に、貴女を愛しているのです。
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訳もヘタクソなのでよくわからないところもあるだろうが、とにかく向こうでは、いかに自分の思いを論理化するかが問われ、しかもそれをボリュームで示すことが大事らしいということがよくわかる。特に、同じことを表現を変えながら、くどく畳みかけるというのが重要みたいですな。エマニュエル大学の教官一覧を見ると、ホントにクリスティンというスタッフがリンダーマン講師と一緒に働いているみたいなんだが、こういうのはセクハラにはならんのですかね。
なお、リンダーマン講師は、そのよき書き手の自信をバックに、シンガーソングライターとしても活躍していて、教官仲間(?)とバンド"Los Diablos"を組んで結構な数のCDを出しているようだ。こちらで試聴もできるようになっている。名前からマリアッチバンドみたいなものかと思ったら、アメリカン・トラディショナル・フォークという感じですな。
聞いた印象は……、「まあまあやね。」
元情報はこちらから。
ハリケーン・カトリーナに家を奪われた人々に、アメリカ赤十字が緊急援助として、2000ドルのデビット・カードを発行したというニュースはよく知られるところだ。子供の頃、伊勢湾台風のおかげで長期避難生活をした経験からいうと、被災者にとって善意の名の下に送られてくる援助物資という名の粗大ゴミほど困ったものはなく、「現金が一番」なのは当然のことだ。
問題はそれを報じた報道写真で、配信したAFPは大胆な援助を可能にしたヒューマニズムに酔ってしまったのか、たまたま被写体になった被災者が持つカードを、その番号まではっきりと写し出した写真を提供してしまったのである。
このニュースが報道されてからわずか数分の間に、カード残高は0になり、この被災者が避難所にしているリライアント・スタジアムの責任者の元には、マスターカードから「6万ドルのフェラーリをこのカードで買うには、金を先に振り込め」などという電話まで掛かってきたとのこと。
報道側の軽率さもさることながら、被災者の方もちょっと甘いのではないかなとおもうし、何より、人の弱みにつけ込むハゲタカ連中のやり口のえげつなさには、少々あきれてしまう。コイズミさん、改革の行く手には、まさか、こんな社会が待ってたりはしないですよね?
元情報はこちらから。
地球温暖化対策などの世界にとって火急の問題のひとつとして、「どうやって男性に小便器の中にちゃんとオシッコさせるのか」という課題がある。
この問題解決のためには、絶望的とまでいえる努力がさまざまな立場からなされていて、例えば我が国を例にとれば、文学的な方法として、「朝顔の 花にこぼせよ 竿の露」というようなダサめの川柳をトイレに貼るなどという方法が一般的である。他にも、エレクトロニクスデバイスを使った解決法として、このような手段が提起されていることは以前に報じたとおりである。
オランダのスキポール空港では、この問題に対する回答として、「小便器の中にハエの絵柄を描く」という方法が以前からとられ、好成績を上げているという。ハエが描かれた小便器を利用する男性のほとんどが、このハエをやっつけようとしてして小便器の中のハエの絵柄にむけてオシッコを放出し、結果として尿の飛散を防止することが出来るのだという。
こちらでも何度か引用させてもらった"The Straight Dope"では、オシッコの飛散に悩む読者からの質問に答え、このスキポール空港の対策をひとつの回答として示している。その際、ニューヨーク・ケネディ空港でもこれと同じ方策をとる計画があることも紹介している。ただ、この対策の必然的な結論として、もし本物のハエがトイレにいたなら、こんな事態になる可能性があることを警告してはいるものの。
スキポール空港は乗り降りだけでなく、何年か前にトランジットで半日以上閉じこめられたことがあるが、トイレにこんなのありましたかねぇ。見てりゃ覚えている筈なんだが。あそこは売店の連中がやたらに厚かましく、カードを使うとカード会社の取り分3%をその場で現金回収しようとするのであきれたのを覚えている。まあ、オランダって国は大体そんな感じだけど、空港でそれやるのはイカンのではないかな。日本男児たるもの、そんなインチキマネーを払えるかと意地を張っていたら、飯も食えないので参りましたわ、ホント。なんか勘違いしてたんかなぁ。
あのハエと同じようなのは、ミントンだったかジノリだったかウエッジウッドだったか、ティーカップに似たようなのありませんでしたかねぇ。たぶんオシッコの的ではなと思うけど。
結論:毛唐のやることは利害には露骨だが、呪術的な手段に関しては訳わからん。ダサイとはいえ本朝に一般的な文学的対策を考えれば、いかに我々のセンスが世界に冠たるものかがよくわかりますな。
元情報はこちら。
9月21日は「世界アルツハイマーデー」です。1994年のこの日、国際アルツハイマー病協会が、世界保健機関(WHO)の後援を受けて宣言しました。毎年この日、世界60以上の国と地域で、アルツハイマー病に関する理解を求め患者さんや介護の方々を支援するための様々な活動が展開されています。(広報より引用)
様々な記念日に独自のロゴを表示することで知られるGoogle社は、この日のためにロゴデザインを検討してきた。しかし、どのようなロゴを採用してもこの疾患の一面性のみが強調されるという反省から、本日はあえてロゴ変更を行わないことが決定された。Google社はその代わりに、この日にウェブ検索を行っても、全く関係ない結果だけが帰ってくるように自社サーバーを調整し、アルツハイマー病に苦しむ人々の近似体験が出来るようにするとのことである。(嘘)
もしGoogle社がこの日のために記念ロゴをつくるならどんなものになるだろうかと考えて、延べ15分もの時間を費やして作ったのが上のロゴ。関係者のくせに、趣味の悪い冗談やってんじゃないよといわれるだけかな、やっぱ。自分としては、単なる知性の喪失ではなく、永遠の相に戻っていくだけなのだ、という所を強調したつもりなんですが。
先の衆議院選に関して、一応予想めいたことを書いたり、何より珍しくも自分で投票までしてしまったので、その総括をしておくべきだと思う。
まず予想に関しては丸あたりであった。100円賭けるなんてセコイことをいわずに、ドカンと英国のブックメーカーあたりで勝負するべきであったと反省している。かなり具体的に「公明党すらそのコバンザメ作戦を放棄する結果になるのでは」とまでいっているのである。いろいろなところで、「これほどまでの圧勝を誰が予想しただろう」なんて書いてあったりするのだが、選挙になだれ込む過程を普通に見ていれば、自民党の一人勝ちを予想できない方がおかしい。マスコミとか政治評論家って、もしかしたらみんなアホ?
私が普段読んでいるサイトやブログでも、多少気の利いたところならまずこう予想していたし、それほど気が利いていなくても、リベラルを自認しつつ自民党をかたせろと投票を呼びかけるようなところが多数派だった。正直いって、この国の病弊をいささかなりとも取り除くためには、そうなるのもやむなしかなと、私自身思いかけていたのも事実である。
今回の結果に忸怩たる思いをしている人にとって、現実を受容する方策は以下の態度に分類されるようだ。そして、この勝利をことほぐ人たちにとっても、それは大して変わらないと思う。
(1)負け惜しみ。「これは自民党の終わりの新たな始まりだ」というもの。コイズミマジックに踊らされた国民は、それで生き延びた彼らが利権再分配に奔走するのを見て、深く絶望して次の機会には彼らの息の根を止めるだろう。だから改革をやらねばとするか、出来るわけはないとするかの違いというわけ。
(2)長いものには巻かれよ。「もしかしたらコイズミ自民党結構やるかも」。こうなりゃ、コイズミにまかせて「構造改革」やってもらおうよ、というもの。
(3)引かれ者の小唄。改革というが、それは結局弱者の切り捨てに他ならず、グローバルスタンダードという名の勝ち組政治への転換にすぎない。改革自体が問われる必要がある。
(4)諦観派。こんなアホばっかりの国、わしゃ知らん。なるようになれ。
(5)妄想反応。国難怒号のデマゴギーで反革命体制強化をもくろむ小泉政権は、その反動的体質をさらに露呈していき、闘う労働者市民学生の怒りは非妥協的革命運動の高揚をもたらすであろう。全国に闘いの火の手はあがり、それは永続的世界同時革命戦争へと発展する。<言葉が勇ましい割には(1)+(3)のバリエーションに過ぎないけど>
今考えつくのは上ぐらいで、コイズミさん自身、(1)と同じ危機感を持っているのではないかと思う。自民党を支持した層でも、危機感のない部分は、口では改革、今ある利権はそのままにと思っているだろうから、(4)の裏返しみたいな立場、「今がよければそれでよし」にいるはずで、結局これらがこの選挙結果に対する立場の総覧になる。
お前の得意の予想をしてみろといわれたら、やはりそれは(1)をベースにしたものになる。今回の選挙で示されたように、いくら(3)派の茶々が入ろうが、この国にある「弱者であれば勝ち」という奇妙な前提にはみな嫌気がさしていて、自分だって都合のいいところでは、弱者としてその奇妙な権力の傘下に入りたがることなど知らぬふりで別の弱者を攻撃してカタルシスを得るようにすらなっているのだ。
マスコミレベルでは触れてはいけないようだが、大概の人は気づいているように、かの「拉致家族の会」すら、今やウザがられている。まして、自分たちよりよっぽど豊かな自称弱者たちに、なんでなけなしの金をかすめ取られなければならないのか、というのはかなり正直な「民意」であろう。もちろん、自分がその恩恵を得るところではそんな非難なんかしないけど。
したがって、当面はこの堂々巡りのウロボロス的弱者攻撃が続く不愉快な状況がつづき、バトルロワイヤルのごとく、立ち回り方のヘタな弱者利権組を放逐することで、自民党は延命していくというのが私の予想。その代わりに入ってくるのが、もっと物欲しそうなアホばかりなのが目撃できる現状では、それでいつまで持つかというのはちょっと厳しいかもしれないけど。
なお、民主党はあの松下政経塾出身者をトップに据えた段階で、一切の可能性は消えたと思う。放逐された厄介者利権グループをサルベージするのではなく、より未来志向の利益分配イメージを提出することに彼らの生き残る道があったのに、いまやお呼びではない近代国家意識みたいなものに統合の方向性があると思っているお目出度さは、ただ笑い転げるしかない。
4日前に書いた猫の死骸をバイオ燃料にする(実際はそうではないんだけど)という話であるが、どうも似たような話を以前にも取り上げたような記憶があり、自分のサイトを必死で探してみたら、ブログ化する直前の日記記事の中にそれを見つけた。タグを追加するのも面倒なので、以下に再録する。
"Changing World Technologies(CWT)"という会社が、生ゴミを燃料と無機物に分解する技術を開発したんだそうである。この技術は、発酵というような既存の方法に依拠せずに、ほとんどの物質、たとえば七面鳥の内臓、古タイヤ、プラスチック瓶、浚渫汚泥、古いコンピュータ、一般ゴミ、とうもろこしの茎、パルプかす、医療廃棄物、製油過程の副産物、なんなら炭疽菌のような生物化学兵器であっても分解することが出来ると主張されている。えらく順不同だが、これは同社のCEOが言ってる順序に沿ったもの。高分子重合過程の逆を行うことで、ほとんどすべての生ゴミを安価に炭化水素と無機質に分解するというのだが、どう考えても熱力学第二法則に反すると思われますがなぁ。同社の主張によれば、現在すでにフィラデルフィアで、七面鳥の廃棄内臓を燃料油に変換する実験プラントが稼動中だとのこと。
コストさえ無視すれば、廃棄内臓といったってどうせ炭素と窒素、水素その他の化合物がより合わさったものなんだから、炭化水素化合物に変換することは出来るだろうけれど、それはあらゆる物質はその質量に光速の二乗をかけたエネルギーになるといっているのと、あまり変わらないような気がする。ところがこの会社は、ガソリンと軽油を半々に混ぜたような燃料油を、1バレル(≒160リットル)あたり10ドル前後のコストで作り出せると主張している。
すでに個人投資家が4000万ドルの投資をしていて、州政府も1200万ドルを援助しているという。なんか、日本でもプラスチックゴミを灯油に変換するとかいって、手品風のプラントを作って自治体をだましていた手合いがいたような気がするのだけど、これもその類としか思えないのですがね。
とにかく、これを懐疑抜きで報じる雑誌記事と、当の"Changing World Technologies"のサイトをじっくりご覧になることをお勧めする次第。斜め読みした限りでは、熱力学第二法則の桎梏をクリアする独創性がどっかにあるとは、とても思えなかった。私としては、詐欺であるという方に4000万ガバス。(2003/05/14)
それみろ、やはり夢の技術なんだ、例の猫燃料もニュアンスの違いはあったにせよ本当なんだ、これからの時代は廃棄物からエネルギーを得られる夢の時代になるんだと思われる方もいるかもしれないが、それはちょっと甘い。化学反応式からみれば、有機廃棄物はちょっと工夫すれば燃料になるように思われるかも知れないが、それをいえば水だって水素と酸素だけから成り立っている。二つを分ければ燃料として水素が取り出せ、燃焼させても二酸化炭素すら出ないではないか。
でも、それが無意味なことは誰でも知っている。電気分解すれば水から水素を取り出すことは簡単だが、当然それに必要なエネルギーは、得られた水素を燃やしてもまるで足らない。CWTのサイトはその点に全く触れていないが、これを解説するブログではかなり詳しくそのコストについて書いてある。それによると、このプラントの処理コストは1バレルあたり80ドルだそうである。これは8月終りに付いた原油最高値である70ドル強を大きく上回る。CWTは州政府から多額の補助金をもらってその差額をうめて商売にしているらしいが、さすがに新しくプラントを作る計画はないとのことだ。
その上、このプラントは猛烈な悪臭を放出し、その問題は解決する目処すらたっていない。理屈からいえば、合衆国がだす有機物ゴミをすべて燃料に変えれば、中東から原油を輸入する必要は全くなくなるそうであるが、この燃料化に必要なコストというか、エネルギーはどこから調達するのか、考え始めると夜も眠れなくなってしまいそうな話。
こうして、現実のバイオ燃料技術の方から例の猫燃料を見直すと、そのうさんくささは増すばかりという印象である。うまい話はそうあるものではないという好例でありましょう。
ちょっと前、どこやらの医師が自分のブログで、酔っぱらって手術をしていたことを書いて問題になったことがあったが、実際、それはどのような悪影響をその医療行為にもたらすものかというのがはっきり示されていたわけではない。米医師会雑誌に今月初めに掲載されたこの論文は、そのあたりのことを解明しようとした画期的なものなので、一般の方々に対しても啓蒙的意味合いが大きいとおもわれ、ここに紹介する次第。
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【内容】研修医に課せられる過酷な労働が、その医療行為に与える影響については以前から問題にされているが、その具体的不具合について、内容を明らかにするような研究は行われて来なかった。
【対象】数回の電話呼び出しが続いた夜間当直後にしめすパフォーマンスと、ほとんど呼びだしのなかった状態で、アルコール濃度0.04~0.05%の酩酊状態とした場合のパフォーマンスを、自己評価と客観的評価両面から比較した。
【実験計画、設定、参加者】34名の小児科研修医(女性18名、男性16名;平均年齢28.7才)を対象に、2001年10月と2003年8月の2回に分けて、前向き調査が行われた。彼らには4っの条件が設定された。(1)呼び出しはまれ、(2)呼び出しはまれで飲酒する、(3)頻回に呼び出される、および(4)頻回でプラセボ飲料を飲む、の4っである。
【実施】研修医たちは期間中の最終週に調査セッションに参加した。軽負荷ローテーション、重負荷ローテーション双方において、彼らはアルコール飲料とプラセボ飲料それぞれを飲用した上で60分間のテスト作業(運転シミュレータ)を課せられ、その作業のあとパフォーマンスの自己評価を行った。
【主な評価点】注意の持続、予測と事前判断能力、眠気の自覚、遂行能力、集中力が評価された。
【結果】調査参加者には十分なアルコール血中濃度が得られた。軽負荷群と比べ、重負荷群は反応速度が7%遅れ、失敗の確率は40%高かった。進路と速度の不安定性も27%から71%高かった。高負荷群と軽負荷+アルコール群の場合、速度の不安定性は前者が29%高く、その他には差が見られなかった。自己評価では、実際の結果との乖離が高負荷群においては著明であった。
【結論】夜間当直における高負荷がパフォーマンスに及ぼす障害は、低負荷でアルコールを飲用した場合と同等であった。こうしたパフォーマンス低下に対する研修医たちの自己評価能力は、一部の課題に限られていた。
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例によって抜粋だけの訳なのでよく判りにくいが、要は、当直で夜中に何度も呼び出されるのと、あまり忙しくなかったのでこっそり酒を飲んでいた場合の能力低下は同じようなものだということである。
実証的な学問というものは、多くの仮説に支えられて生まれるものであるが、この論文ほどその前提となる仮説が、世界中ですでに広く共有されているものは類を見ないだろう。ざっと流し読みしたときは、当直中に酒を飲ませてその医療行為を評価したのかとおもって、ちょっとその大胆さに感心しかけたけど、さすがそんなことしませんわね(個別的予備調査はしたかもしれないが、少なくとも発表はせんだろう)。
というわけで、酔っぱらった医者が診るのも、やたらに忙しい救急病院で夜間に診察受けるのも、同じようなものだということなので、利用者の皆さんはよく御検討の程を。それにしても、夜中に4~5回呼び出されるぐらいで"heavy call"だっていうのは、ちょっと甘いような気がするなぁ。
J. Todd Arnedt, PhD; Judith Owens, MD, MPH; Megan Crouch, BA; Jessica Stahl, BA; Mary A. Carskadon, PhD ; "Neurobehavioral Performance of Residents After Heavy Night Call vs After Alcohol Ingestion",;JAMA. 2005;294:1025-1033.
久々に地元サッカーチームのホームゲームを観戦。雨も降らず、月もきれいで、おまけに弱小地元チームが一位チームに競り勝つという信じがたい展開となり、いうことなしのサタディ・ナイトでありました。死に馬に蹴られてしまった相手チームはお気の毒。ま、所詮ゲームなんだから、その時々楽しめたらいいわけで。それにしても、今日の試合で一番張り切っていたのは、マスコットの着ぐるみ君だったな。
帰ってきてから先ほどの出来事を確かめようとTVをつけたら、某局でニュースショーの総集編みたいなことをやっていて、太平シローと若い男が記者会見していた。相方がやっさんの物まねで売れているので、ふてくされて新しいお笑いユニットを組むのかと思っていたら、あれは女装した太平シローではなく、アダチなんとかという、子役上がりの女優で、あの会見は結婚を報告するものだったらしい。
世の中には、知らないことがまだまだ沢山あるものですな。ちょっと謙虚さを取り戻した夜でありました。
教師の退屈な話のせいにせよ、前の晩十分寝ていなかったためにせよ、どんな年代の人間にとっても、授業中は眠気に耐えられなくなることがあるものだ。ミシガン大学の研究者たちは、授業中に眠気と戦い、目覚めていられるようにするための方法を見いだした。しかも、それはカフェインや食べ物などを使わないのである。
この研究は「代替補完医学雑誌」の最新号に掲載された。その内容は、授業に出ている学生に、目が覚めて疲れがとれる指圧のツボを教え、自分でそこを押さえさせると言うものだ。「この研究によって、刺激的作用を持つとされるツボ指圧は、緊張をほぐすとされるツボ指圧と比べると、統計的有意の差で眠気を減少させることが示された」とリチャード・ハリス研究員は語る。彼はミシガン大学でリウマチ学を研究していて、慢性疼痛疲労症候群研究センターの一員でもある。
「我々の研究は、指圧によって学生たちの教室での覚醒度を変化させることが出来ることを示唆しています。これは教室ですぐ寝てしまうような問題を抱えた学生にとっては福音になるでしょう」。この研究では39人の学生が被検者になり、三日間の講義プログラムを受けた。彼らは、覚醒刺激のツボ5カ所と、緊張弛緩作用のあるツボ5カ所を、それぞれ効能抜きに教えられる。それらはすべて指で軽く叩いたり、マッサージするという手技によって構成されている。
クラスは二つに分けられ、1グループは初日に刺激のツボ、翌日と最終日は弛緩のツボへの施術を指示される。もう一つのグループは、初日が弛緩、後は刺激である。そのうえで、学生たちはスタンフォード眠気尺度(Stanford Sleepiness Scale : SSS)という眠気評価スケールを朝起きた後、講義の前、午後、講義後と日に4回記録する。指圧は昼の休憩時間中に行うように指示される。
その結果、刺激ツボ施術のグループは統計的有意な疲労の軽さを示したという。この結果は、指圧の効果についてさらなる研究を呼び起こすだろうとハリス研究員はいう。彼は熟練した鍼灸師でもある。
「指圧が人間の覚醒度についてこのような影響を持つことについては、今後もより研究が重ねられる必要があります。覚醒度と疲労度双方に対する有効度を確かめる必要もありますね。出来れば将来の研究によって、指圧が学生の出来もよくすると示してほしいものです」、そうハリス研究員は語っている。
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以上、ミシガン大学のプレスリリース記事の抄訳。なかなか面白い論文だと思うのだが、一番問題なのはその「覚醒刺激のツボ」というのはどこなのか、という点である。
私は短い研究会なんかでも、すぐに爆睡してしまうんですよね。暗くなってスライドでも始まればもうダメ。こういうのなら、昔から知ってはいたが、少なくとも私にはまるっきり効果はなかったしなぁ。
この元論文なら、もっと詳しい眠気覚ましツボが書いてあるかも知れん。ここから思い切って29ドル出して、コピーを注文してみようかしら。
Richard E. Harris, Ph.D."Using Acupressure to Modify Alertness in the Classroom: A Single-Blinded, Randomized, Cross-Over Trial", :Journal of Alternative and Complementary Medicine. Aug 2005, Vol. 11, No. 4: 673-679
CNN.comの報道によると、高騰する燃料価格に対する回答として、ドイツの発明家が死んだ猫を燃料化するという新発明を発表し、動物愛護家たちの猛反発を呼んでいるという。
発明家のクリスチャン・コッホ(55)氏は、「ビルド」紙の取材に対し、彼が考案した生ゴミや道ばたの猫の死骸などから作られる自家製有機ディーゼル燃料は、十分一般ディーゼル燃料の代用品となりうると答えた。「私は自分の車をこの有機燃料で17万キロ走らせているけれど、全く問題はないね」。
彼の会社、"Alphakat GmbH"のウェブサイトによると、彼が特許をとった"KDV500"という装置は、彼が「バイオ・ディーゼル」と呼ぶ燃料をリッターあたり23ユーロ・セント(約30円)で作ることが出来る。それはドイツのディーゼル燃料価格の5分の1であるという。コッホ氏によると、猫の死骸20匹分で普通の車を満タンにする事が出来る。
しかし、ドイツ動物愛護協会会長のウォルフガング・アペル氏は、死んだ猫を燃料にするのは違法行為だと非難している。「ドイツでは猫でも犬でも、このような事は違法行為なので、彼らが危険な目に遭うことはない。このような試みを我々は注意深く見守る必要がある」。
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死骸ならいいじゃないかといわれそうだが、そんなことが行われるようになったら、絶対野良猫、野良犬狩りが起こるという読みなんでしょうかな。それにしても、動物の死骸を使った有機燃料なんぞというものが、コスト的に成立するとはとても思えないので、信憑性がどこまであるのかと疑ってしまう。
続いて出たMSNの記事によれば、発明家のコッホ氏は、廃棄物から燃料を作るという装置の特許をとったのは事実だが、死んだ猫を材料にするといった覚えはないと反論している。「私は古紙や廃プラスチック、ゴムを材料にするんだ。私の有機燃料は環境に優しい代替物だが、死んだ猫を使うなんていってないよ。ガマガエルが飛び込むことはあるかもとはいったけど」。彼はそう反論している。
彼の会社の名前、アルファカットGmbHから、ビルド紙の記者が勝手に想像したのではという見方もあるようだが、そこのウェブがnot foundになっているところから見ると、それも疑わしい。かなり怪しい一発屋が、引っかかるカモがいればと、マスコミ相手にホラ話してしまったのに思わぬ反響があったので、なんとか段階を踏んで鎮静化を図ろうとしているのではないかな、なんて思ってしまう。熱力学法則からすれば、死んだ猫であろうが、廃プラスチックであろうが、安いコストで有用な燃料になるわけがないですものな。今後の報道に注目、というところですか。
元ネタはこちらから。
89年まえの今日(現地時間9月13日)、テネシー州アービングで、臨時雇いの飼育係を踏み殺したサーカスの象、マリーが絞首刑に処された。
テネシー州を主な巡回地にしていたサーカス団、「スパークの世界的ショー」は1896年に4才のメス象、マリーを購入しショーに出演させる。貨車一台をつかって移動する規模だったこのサーカスは次第に人気を呼び、20年後の1916年には、その公演に象5頭を出演させるほどの大サーカス団になっていた。
1916年の9月12日、サーカスはキングスポートという町で興業していた。ショーの合間に水飲み場に連れていかれたマリーは、テントに戻る時、落ちているスイカを拾おうとして、世話係だったウォルター・レッド・エルドリッジにカギ棒で耳を強く引っ張られた。マリーは怒りだし、エルドリッジを鼻でつかんで放り出し、踏みつけて即死させた。エルドリッジは浮浪者で、下働きとしてこのサーカスに雇われたばかりで、象の世話には慣れていなかったのである。
市長と保安官はマリーを「逮捕」し、サーカス関係者とその処遇を検討した。サーカス団長は「人殺し象」を抱えるリスクをおそれ、マリーの処分に同意する。まず銃殺が考えられたが、象を殺す威力のある銃を手配できず、絞首刑が行われることになった。5トンの象でもつるせる大型鉄道クレーン車が隣町、アービングにあったため、象はそこに移送され、噂を聞きつけて集まった2500人の野次馬たちが見つめる中、現地時間の9月13日午後5時、刑は執行された。
初めにマリーの首に巻き付けられた鎖はすぐに切れてしまい、象は線路上に落ちて意識不明になってしまうが、すぐに別の鎖が用意され、マリーは1時間半クレーンで吊されて絶命した。マリーの亡骸は線路脇に埋められ、墓標すら建てられなかったという。(参考リンク:(1)・(2))
なにかこう、悲しいだけでなく、えらく腹が立つ話である。集団ヒステリーを利用して敵をでっち上げ、正義を気取るやり口はいまだ健在のかの国を見ていると、「過去の歴史を反省していない」と言いたくなってきますな。
やあ研修医の皆さん、とりわけ自分には一生関係ないとおもっていた精神科なんかに、必修だから仕方なく回されている間の悪い研修医の皆さん、こんにちは。ニューヨーク在住の高名医学者、スミルノフ教授(偽)です。先生のことを皆さんは麻酔科だけの専門家、手術室にこもってブツブツと愚痴をこぼすのが商売の変人系医学者だと思っているようですけれど、先生はほとんどオールマイティのスーパードクターなんです。
今日はそんな先生が、「プロのための脳波の読み方」を教えてあげましょう。スーパードクターの先生が特別に教えるのだから、真面目に読むのですよ。まずド素人が必ずやる失敗例がこれです。なに?どこが失敗なんだって?そんなことも判らないのだから素人は困りますね。こんな風にページをめくるようにすると、いちいち記録紙をつまみ上げないといけないし、つなぎ目のところはうまく見られないでしょう。
プロはこうするのです。まず記録紙の前でチョキのポーズを作ります。そうして、下側の指を記録紙の裏側にいれ、二本の指で挟むようにして記録紙をつまみ上げるのです。あとは判りますね。このチョキで左側にページを送り、またそのまま右まで指をすべらせていって次のページを持ち上げるのです。こうすることで、いちいちページをつまむ動作抜きに、素早く記録紙をめくっていけるのですよ。この指送りさえ出来れば、どんなにタコな判定をしても、プロで通りますのでよく覚えておきなさい。
このやり方は先生がジョンホプキンス大学の脳外科にいたとき、独自に考案したものです。ですから向こうではみんなこうして脳波を読んでいるのですよ。あ、向こうっていっちゃったけど、もちろん先生は今もニューヨーク在住ですからね。変な誤解をしてはいけませんよ。
オレゴン州立大学(OSU)の研究者によれば、郊外に居住することと肥満の間には明白な二重の関係性があるという。
OSUで農業資源経済を教えるアンドリュー・プランティーガと、公衆衛生学のステファニー・バーネルの共同研究によれば、肥満と郊外スプロールに住むことの間には、両方向的な関係性を見ることが出来る。彼らの分析では、肥満者は郊外に住みたがる傾向が元来あり、それは郊外に住むことが、肥満へと導びく影響よりもむしろ大きいのだという。
十分なインフラの成熟を伴わない郊外の部分的都市化は(それをスプロール現象とよぶのだが)、そこに住む人々の移動にに車の使用を強いることになり、日常的な場面での歩行や自転車使用という身体活動の機会を奪うという側面は以前から指摘されていた。そこに住む人々は、どこに行くにも車を使わざるを得ないのである。
今回、プランティーガたちは、米国労働省が行った「米国若年者の縦断的調査」という統計調査データベースを分析した結果、そもそも高いBMIを持つ肥満者は郊外に住むことを選び取る傾向があることを示した。
「人がその収入の範囲で、ショッピングセンターや公園のそばに住むか、車を3台おける、より大きな家に住むかを決定することは、価値観に応じた属性を選ぶことなのです。身体を動かすことを好む人はそれにふさわしい居住地を選び、そうでない人は歩くことなどない環境を選ぶのです」。プランティーガはそう語る。近年の都市計画は、歩行者や自転車のための道路を優先するなど、人が運動をしやすい設計を重視しているが、そういう環境を好む人はもともと運動好きなのである。
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以上、OSUの報道ページの超訳。元論文はこちら(PDF)。いやはや、数百メートル先にあるスポーツクラブに行くのに、つい車を使ってしまう純正版田舎モンの私には、とても耳の痛い研究である。やっぱ車を捨てて都市部で生活しようかなぁ。
ネタ元はこちら。
ANDREW J. PLANTINGA & STEPHANIE BERNELL. "THE ASSOCIATION BETWEEN URBAN SPRAWL AND OBESITY: IS IT A TWO-WAY STREET?", Draft Prepare to publish.: August 11, 2005
1995年10月10日に交わされた、アメリカ艦船とカナダ側の某無線通話の記録とされるもの。
カナダ側:衝突を避けるため、そちらの針路を15度南に変更されたし。
アメリカ艦船:衝突を避けるためには、そちらの針路を15度北に変更して頂くことをお勧めする。
カナダ:いや、衝突を避けるためには、貴艦が針路を15度南側に変更するべきだ。
アメリカ:こちらは米海軍艦船の艦長である。もう一度言う。針路を変更せよ!
カナダ:だめだ!もう一度言う。そちらが針路を変更せよ!
アメリカ:こちらは空母、リンカーンだ。米大西洋艦隊で2番目に大きな艦船で、3隻の駆逐艦と巡洋艦、その他多くの補助艦船に伴われている。今すぐそちらの針路を15度北に変更せよ!さもなくば、当艦の安全を確保するため、対抗的手段を行使することになる!
カナダ:何でもいいけどね。こちらは灯台だ。
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十年前からネットに転載を繰り返され、時には新聞記事にもなる(もちろん実話として)有名ジョークなんだそうである。米海軍の広報サイトには、わざわざこれは実際にあった無線通話ではないというページが作ってあるほど。"divert your course"で検索すると、このジョークはたくさん引っかかるが、一番多かったのが上のパターン。米海軍サイトに書かれている話は、これより少々簡略型。こういう有名ジョークの常として、さまざまなバリエーションが付け加えられ、今もなお循環しているんですな。
シックス・アパートJapanがMT3.2Ja-Betaをリリースしたので、人柱志向全開の私としては当然のようにインストールしないでは済ませない。実は昨夜すでにアップグレードを試みていたのだが、データベース改変のところでつまずき、いったん元に戻していたのだった。
今度のアップグレードは今までと違って、3.1X→3.2というよりはバージョン4になったと言ってもいいぐらいで、セキュリティチェックやデータベース構造にかなりの改変がしてある。さすがの私も多少構えて、ちゃんとバックアップをとっていたので助かった。といって、昨夜の作業のどの点がおかしかったのかというのは、今もわからないのだけれど。
ま、まだベータ版ではあることだし、全面的にそちらに移行するのも問題がありそうなので、こちらのほうで試験的移行をするに止めておいた。CSSのテストも出来そうですしね。正直言って、使い勝手はいままでと比べて、むしろ悪くなっておりますが。
2025年、合衆国は南米において、豊富な資金力をもち、高度に組織化された麻薬カルテルと戦闘状態にあった。カルテルはロシアと中国から戦闘機を購入し、合衆国の麻薬工場攻撃を巧みに阻止することに成功していた。彼らは数的優位と地の利を生かし、合衆国に対して10倍以上の航空戦力で対峙していたのである。それに加え、カルテルはフランスの衛星測地システムを利用し、ほぼリアルタイムで1m以内の誤差で米軍の行動を監視していたのである。合衆国は何とかして、敵の優位性を削ぎ、完全な制空力を取り戻そうとしていた。
気象学的分析によれば、赤道下南米では一年を通じて、午後になれば毎日のようにに雷雨が生じる。諜報部は、カルテルのパイロットは雷雨周辺を飛ぶことには消極的という報告を送ってきていた。そこで我が軍の気象支援部隊は雷雨の通り道を予測した上で、敵航空部隊が防衛している地帯に雷雲を発生させ、それを強化するという作戦を開始した。2025年には我が軍の航空機はどのような気象条件でも作戦遂行が可能となっており、攻撃目標地点の効果的気象コントロールも出来たのである。
気象支援部隊は作戦行動に有効な気象改変要求に応えるため、モニターと行動を行う能力を備えている。これらの能力は戦闘区域の作戦指令システムの一環であり、その指令に応じて雷雨の強化や軽減作戦を行うのである。この部隊はほぼ90%の確率で、気象の予報と改変を行うことが出来る。2025年には、無人機による操作でこの作戦が遂行されている。
攻撃に先立ち、部隊は無人機に作戦プロフィールを入力すると、無人機は雲を集積させる操作に取りかかる。こうして敵の可視光線、赤外線を使った監視能力は削がれる。マイクロウエーブ加熱器を用いた局所的な熱集積は、カナダの民間業者によって提供されている特殊レーダー機能を混乱させる。攻撃地点には雷雲が発生しており、敵の防衛能力は著しく低下する。これらのデータはリアルタイムで集められ、更なる気象作戦のために利用されることになる。
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以上は1996年に米空軍が出した、"2025"と題された将来予測のうちの1項目、「戦力強化のための気象利用」(Weather as a Force Multiplier: Owning the Weather in 2025")と言う部分の前書き。少年雑誌の科学記事みたいなノリがよろしい。国家なみの力を持つとされる麻薬カルテルのこと、当然米軍の作戦能力を幾分かは備えるだろうから、「矛盾」の故事と同じことになるのでは、という疑問は出なかったんだろうか。
報告書はかなり膨大で、他の兵器構想もなかなか面白いものが多い。この章は仮想敵が麻薬カルテルだが、中国、ロシア、フランス、カナダが間接的に加勢しており、他のところでは「キング・カーン」とか、「ザイバツ」なんて名付けられた敵勢力も登場し、フィクションだとことわりが入ってはいるものの、米国人の世界観をかいま見せてくれるところも興味深い。
昨日まで空軍への直接リンクが生きていたはずなんだが、今はウェブ・アーカイブでその一部が見られるだけなのがちょっと残念。どこの誰がやっているのか不明だが、こちらにコピーがアップされているので、ヒマな方はご一覧を。
いまちょっと思いついたんだが、今度のカトリーナ被害やら、我が国に続々現れる台風による災害は、まさかこの手の気象兵器実験というわけではないでしょうな。
元ネタはこちらから。
デイリー・テレグラフ紙(オーストラリア)が9月7日に伝えるところによれば、セルビアのザグレブで開かれた「国際睾丸料理選手権大会」において、あるオーストラリア人が主催者に対し、出場してカンガルーの睾丸料理をつくるという、偽りの申し出をしたという。
ニーゲル・ベバンと名乗った男は、主催者に自らを有名料理人だと詐称し、大会出場のためにカンガルーの睾丸を用意するように求めたという。大会が行われた北セルビアの人々は、この謎のオーストラリア人、ベバンを歓待ししょうと待ちかまえていた。しかし彼らは結局失望することになる。カンガルーの睾丸を購入して準備していた主催者も、待ちぼうけを喰わされただけであった。
「私たちはセルビアの料理人と競うシェフたちを、世界各地から招聘しました。しかし、オーストラリアからはついに到着しませんでした。ニーゲル・ベバンはオーストラリアで一番の睾丸料理人だと聞いていて、彼が自分のチームをひきいてやってくると聞いたときは興奮したものでしたが」、選手権大会主催者のリューボミル・エロビッチはそう語る。
「連絡してきた男が言うには、カンガルーの睾丸はオーストラリアでは有名な珍味だとのことでした。そして、彼とそのチームが料理に使うため、どこでカンガルーの睾丸を手に入れられるかを詳しく教えてくれたのです。オーストラリア人の不参加には、我々はとても失望しています。歓迎用の楽団やホテルのVIPルームまで準備していたんですが」。
大会では結局、地元のセルビア人シェフが率いるチームが他の11チームを打ち破って優勝した。「彼らは野生のイノシシと牛の睾丸を料理し、審査員を魅了しました。ベバン氏が出場しなかった事はとても残念で、来年にはぜひ当地に現れていただき、今年の事は悪戯者が彼の名前を騙っただけだったと証明して欲しいものです」、エロビッチ氏は今もそう語る。「カンガルーの睾丸料理と、イノシシと牛のそれは、ぜひ食べ比べてみたいものです。きっと、我々の世界選手権大会の目玉になると思いますよ」。
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向こうの新聞記事にはよくあることだが、一体この「世界睾丸料理選手権大会」というのはいつ行われたのかが明記されておらず、仕方なく"Testicle Cooking Championship"で検索してみたら、昨年11月にセルビアで行われたというニュースがあちこちで触れられていたのを見つける。残念なことに、それらを報じるサイトはほとんどウサンくさげな所ばかりで、一番まともそうなのが英国のタブロイド紙というのを見れば、このニュースの信頼性は明らかであるようだ。
日付的に一番早いものが、オーストラリアのサイトにあった、「来年のセルビア睾丸料理選手権にAUのシェフが招聘された」というもので、どうもこれがネタになってあちこちに転載され、二年がかりで今年の記事になったというのが真相のよう。
沖縄料理の、ヤギ睾丸刺身ってのは食べたことがあるが、なかなか乙な味でした。ああいうのは生で喰うのが一番ではないかと思いますな。嘘ニュースでもいいから、来年はぜひ沖縄の料理人が、ヤギ睾丸スシで優勝した話を読みたいものであります。
元情報はこちらから。
グレゴリー・サンプソンがある朝目覚めると、自分が一匹の大きな甲虫になっているのに気が付きました。
部屋の鏡を見ると、自分の身体が、紫と茶色が混じった色をした、大きなカブトムシになっているのがわかります。二つの大きな黒い目と、二本の触覚まで付いています。細くて毛が生えた足も6本あります。
「こんな事って前にもあったっけ」、グレゴリーは思い出せません。
「グレゴリー、服を着て降りておいで。朝ご飯だよ」、お父さんが呼んでいます。
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ローレンス・デビッドという児童文学者(「チャタレイ夫人の恋人」のLawrence, David H.とは別人らしい)による、"Beetle Boy"という絵本の出だしなんだけど、どう読んでもカフカの「変身」のモジリですよね。グレゴリーは両親と妹と暮らしているが、彼の変身を家族の誰も認めてくれないという初期設定も同じ。
ああいう古典になると、いちいち、カフカ「変身」より、などと断る必要はなくなるんですかな。話の発端は同じでも、どうもそれ以後の展開はかなり違うらしいけれど。これを応用すると、いくらでも童話が作れそう。
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田舎の一本道のかたわらにある、葉っぱも落ちてしまった木の下に、ゴン少年が座り込み、つぶやいていました。「どうにもならないや」。そこにジミーが通りかかりました。「そこにいるのは君かい、ゴン。どこかに行ってしまって、もうあえないと思っていたのに。再会のお祝いをしなくっちゃ」。二人は昔からの友達で、ちょっと前からはぐれていたのです。
「ところで、君は今までどこにいたの?」、ジミーはたずねます。「その辺の溝のなかさ。」、「溝の中?やっぱり殴られていたの?」。「殴られる……?そういえばそうかな」。「やっぱりね。君はいつもそうなんだ」。
「なんのことかわからないよ、ジミー。そんなことよりお願いだ、この靴を脱ぐのを手伝ってくれないか」、「靴は毎日脱ぐものなんだよ、ゴン、君はまだわからないのかい?」
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うーむ、これを子供向けのお話にまとめていくのは、いくらヒマでもちょっと無理ですな。多少ルール違反があるとはいえ、餅は餅屋ということですか。

新しもの好き、という理由だけで買ったMighty Mouseなんだけど、はじめからえらく動きがぎこちなく、一部は間違った使い方をしていたためだということはわかったものの、それ以外にもしばしばマウスポインタが気絶して、ぴくりとも動かなくなってしまうのにまいっていた。
アップルの新製品に飛びつく人間への天罰だと割り切ろうと思っていたが、なんぼなんでも全く動かんというのは、もしかしたら初期不良なのかもしれないとも考え始める。ひっくり返してみれば、そもそもLEDが光っていない。そこでおずおずとApple Storeに電話。やたらに待たされることもなく、すぐに担当者が出てきてくれる。不具合を告げると、「物理的故障と思われます。対応を相談しますので『1分間ほど』お待ちください」とのこと。
ここで待ち受けの間流れたのが、ブルーベックの"Take Five"。一応ギャグのつもりなんでしょうね。結局1分ではなく、3分ほど待たされたが、個人的にはえらく受けたのでありました。企業のクレーム対応で、結構いい気分になるなんて滅多にありませんよ。これも人柱ならではの楽しみ。ほんとに5分待たされたら、完全にふて腐れてましたけどね。
昨日は投票などという、近代国民国家の成員として期待される、えらく適正化行動をとってしまったので、今日はそういう正しい行いとは離れ、年甲斐もないことをすべきだと思ったわけではないのだが、たまたま、かねて注文してあったゲームが届いたので、インストールとお試しの日と決める。
しがない車泥棒がギャングスターとなって成り上がるという過程をゲームにしたGTAシリーズは、何かの偶然で3作目を経験してからやみつきになってしまい、Vice Cityというマイアミを舞台にした4作目がイマイチであったにも関わらず、またもや5作目の英国版を注文してしまったのだ。なんで英国版なのかというと、USA版は品切れだったというだけ。日本語版は当分出ないみたいだし。
SanAndreasという名前でもわかるように、これはどうもロサンジェルスとサンフランシスコ、、そしてラスベガスをモデルにした都市が舞台のようだ。英語版だったので今ひとつ背景がよくわからないが、この地で警官をやっていたカール・ジョンソンという黒人が主人公になっていて、こいつが5年ぶりに家に帰ってみると、母親は殺されているわ、昔の警官仲間に東海岸で稼いできた金は騙し取られるわ、スッカラカンになったところで親戚のワルたちの助けを借りて成り上がるしかない、というところがゲームの発端のよう。
ゲーム自体の規模が3作目と比べてもえらく大きくなっていて、主人公の動きを操作するキーアサイン自体がかなり違い(もしかしたら一緒かもしれないが、前のことなんか忘れている)、もたもたしているうちにアッサリとギャング達や警官に撃ち倒されてしまうので、まだイントロ付近から全然進まないが、人間模様の複雑さも増し、いままでよりもずっと面白い作りになっている。少なくとも、HL2みたいなお子様向けとは比べものになりません。
なんか、社会の将来がどうこうなどと利いた風なこといっているより、ヒップポップ音楽をバックに、こんな調子で出たとこ勝負の殺し合い人生というのも、一つの根源的人間のありようではないかなんて思えるようになってくるのが怖いというか、面白いというか。現生人類ってのは、発祥以来そちらの方が専門だったわけで。
しかしそれにしても、お巡りに何度も捕まっているうちに、賄賂だけで金が一銭もなくなってしまったのが情けないなぁ。えーい、手近なコンビニで強盗でもやろうかしら。
来週の日曜日に雑用が出来てしまったので、近所の投票所まで不在者投票にお出かけ。普段は人が出入りするところなど見たことがない公民館なのだが、今日はえらい大賑わいで、数台しか入らない駐車場周辺には、違法駐車の群れが出来ている。
正直言って、知り合いの知り合いが泡沫候補で出たとか言うことでもなければ、国政選挙などに投票したことは数えるほどしかない。投票率が低いと予想されるときにはいまさら自分が入れても仕方あるまいと思うし、変に投票熱に浮かされているような雰囲気のときには、そういうのに付和雷同したと思われそうでイヤなのである。
今回は、この前ネタ切れ対策で今度の選挙結果の予想なんかをしてしまったので、投票もしないでいると後ろめたいような気分になったと言うのが理由。今回の選挙はコイズミ戦略丸あたりになるのはほぼ間違いなく、おそらく公明党すらそのコバンザメ作戦を放棄する結果になるのではないかと読んでいるので、誰に入れようと結果はそう変わらないが、自分の納得というのはまた別なのである。
8月11日に書いた内容からは、コイズミ勝利を歓迎するようなニュアンスを受け取られたかも知れないが、あれはああなるだろうという予想なのであって、それをどう評価するかは別問題である。私はここ20年ほどの間に中産階級というものは完全に凋落し、かなり過酷な階級社会が形成されるだろうと思っているので、今回のコイズミ勝利がその直接的スタートとして記憶されると予想している。多少は歓迎できる方向に転ぶ可能性も、ないではないかも知れないが。
なにせ、それを妨げる勢力というのがそうたいしたこともない既得権にぬくぬくと浸ってきた連中なのだ。コイズミの先手を打って痛みを共有し、グローバリズムの名の下、利権集中化をねらう一派に対決する基盤をつくらなくてはいかんのに、目先の利害しか見てないのだから話にならない。忠実な最下層階級大衆となって一握りの勝ち組に奉仕する日のために、訳もわからず騒ぐネットウヨみたいな悲しい連中といい勝負である。
年金だの公的支出の確保だのという主張はそれ自体間違ってはいないと思うものの、あらゆる層にミニ利権をというニュアンスからは逃れられず、コイズミの勇ましいラッパには負けてしまうのである。ここはやはりなんの既得権にも恵まれず、資本の後ろ盾もない層の寄る辺なさに向き合い、いざとなったらニューオルリンズの被災者みたいに、切り捨てられて銃で管理されるだけの社会になるということを知らしめないといけないんじゃないかなぁ。
今日のところは、一応そういう方向を回避するのに多少の抵抗にはなるかと思える票を入れたつもりだが、まあ無駄でしょうな。そんなことになる前に、こちらは先にくたばるだろうから別にいいけど。子供たちには海外移住でも勧めておこうか。
米国中南部ではハリケーン・カトリーナがえらく甚大な被害をもたらし、しかも連邦政府の事前事後対策がやたらにお粗末だったことが露見して、政治経済への間接的影響だけとっても、かなりやばいことになりそうな雲行きである。
その手の議論はおいておいて、個人レベルの災害対策の中にはかなり根拠の怪しいものがあり、特に激しい風への備えとされているものには、明らかに有害なものがあるという。アメリカでは「常識」になっているアドバイスには、日本ではあまりなじみがないものもある。例えば、ロス医科大学が学生向けに掲げているハリケーン対策ガイドには、次のような記述がある。(ここは、ちょっと成績が芳しくない米国人学生向けに、ドミニカの小島に開設された医科大なので、ハリケーンは覚悟しないといけないわけ。)
<嵐が吹き荒れている間>風が吹いてくる方向とは反対側の窓を、少し開けておきなさい。こうすることによって、家の内外の気圧差のバランスがとれ、窓やドアが吹き飛ぶことを防げます。この"Open one window slightly on the side opposite to the one that the wind is blowing."という文章で検索すると、結構沢山のサイトが引っかかるので、どこかにコピペ元があるらしい。日本の災害対策ガイドに同じようなものはないかと探してみたが、こういう風に初めから窓を開けておけという勧めはみつからず、もう少し深刻な事態になった時向けに、似たようなアドバイスがされているのがみつかる。
鹿児島市消防局の台風対策ガイドにはこうある。「万一窓や雨戸が飛ばされた時は、直ちに反対側の雨戸を外し風を通しましょう」。これと全く同じ文章は別の消防局サイトにもあり、某住宅メーカーの台風対策ページにも同じ事が書かれている。
日本ヴァージョンは本家米国版のアドバイスと比べてもえらく大胆で、もうヤケクソといってもよく、本当にそんなことする人はいないような気がする。大体、素人考えで申し訳ないが、風が吹き込んで屋根が持ち上げられる力よりも、屋根に吹き付ける風によって、ベルヌーイの法則で生じる力の方が強いのではないかな。米国版の方は、あえてリスクを作っているだけとしか思えないし。実際、吹き込む雨はどうするつもりだろう。
そんなわけで色々検索してみたが、あまりはっきりと力学的な考察も含めて説明してくれる所は見つからず、せいぜい海洋大気庁(NOAA)の竜巻対策FAQに、次のような説明があったのを見つけたぐらい。
Q:昔、竜巻の時には窓を開けておけといわれたのですが、今はそうしてはいけないといわれます。どちらが正しいのですか?台風と竜巻の違いはあるものの、基本は同じだと思われる。がっちりと窓やドアを覆うような補強をして、早めに避難するしかないというのが実際の所らしい。
A:窓を開けておくことは無意味で、時間の無駄です。しかも、とても危険なことです。絶対やってはいけません。とんでくるガラスで怪我するのが関の山です。直撃されたら窓を開けようが閉めようが、どうせ吹き飛ばされます。
なおNOAAによれば、日本でよくアドバイスされる「窓にガムテープを貼って補強する」というのには、全く効果がなく、ガラスが割れた時の飛散対策にすらならないとのこと。ガラスにべったり貼るシールもあるが、窓枠自体を補強していないとやはり無意味だとのこと。ご参考までに。
元ネタはsnopes.comの掲示板。
Yahoo!Entertainment News & Gossip2002年11月21日の記事より。
<ストックホルム発>職場の愚か者は喫煙やカフェイン摂取、脂肪過剰摂取と同等の健康被害の危険があるという、驚くべき研究が発表された。
スウェーデンのリンドベリ大学メディカルセンターの研究者たちによれば、ストレスは心臓発作の主な原因の一つであるが、バカな同僚と日々一緒に働くことはもっとも致死的なストレスとなりうるという。
この研究の主著者であるダグマー・アンデルスソン博士は、彼女のチームを率いて500例に登る心臓発作症例を精査したが、一般に発作の原因になるとされる危険要因がほとんど認められない例が、62%にものぼることに疑問を覚えた。
「私たちは個々の症例について、特に彼らのライフスタイルや趣味などを調べました。そして、ほとんどの低危険要因群の患者が告げたことは、彼らがきわめて愚かな同僚と一緒に働いていると言うことだったのです。彼らの愚かさは相当なもので、駐車場から職場までたどり着くのも怪しいレベルでした。患者たちの心臓発作は、こうしたバカな同僚と激しくやりあってから12時間以内に起こっていました。」
「ある女性は、助手に重要書類のコピーを頼んだら、間違ってシュレッダーにかけられてしまい、その直後に病院に運び込まれました。ある男性症例は、隣の席の同僚からPCモニター上の文書に修正液を使う方法を尋ねられ、発作に至りました。」
「禁煙やダイエットに励むことは簡単なことです」、アンデルスソン博士は続ける。「しかし、愚かさにつきあう術にたけている人はほとんどいません。実際、どうしようもないのですから。自分が倒れるまで、その鬱憤を貯めていくしかないのです」。
愚かな同僚は、普通の仕事の負荷を2倍から3倍にすると博士は言う。「私たちの調査対象患者たちは、愚かな同僚たちに無力感を抱き、ただ彼らのミスをカバーすることに心を砕いていたのです。ある女性は、クライアントの記録を作り直すのに1週間を費やしていました。彼女の部下がそのファイルをデスクトップのゴミ箱に入れ、消去してしまったからです。部下は、『ゴミ箱アイコンにリサイクルと書いてあったので、また使えると思った』と言ったそうです」。
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snopes.comによれば、この記事はもともとWeekly World Newsに掲載された冗談記事で、その後この記事を画像にしたものが注釈抜きでネットに流れていたとのこと。ヤフーはそれを、全く裏をとらぬまま記事にしたらしい。それから3年近くたっている訳だが、今も記事は掲載されたままだし、とりわけ追記もないというのが面白いところ。
同僚のとんでもないミスで苦労した経験というのは誰にでもあるだろうし、こういう形で冗談にするのは、暗黙のうちに認められているのでしょうな。誰もがその間抜けな同僚であったこともある、というのが更なる問題なんだが。
Movable typeを利用するようになってから、個別エントリーアーカイブを作成していなかったが、突然そう意味もなく作ることにして、本日より設定を変更した。以前使っていた貸しサーバーはあまり余裕がなく、ちょっと負荷をかけるとすぐ落ちたため、なるべく仕事は少ない方がいいだろうと思ってそうしていたのだった。
今まで、毎日のエントリー題名の左隣に■マークがあって、それが月別エントリーにアンカーをつけた個別エントリーへのリンクだったのだが、これからはエントリーの末尾にある「この記事のURL」というのが個別エントリーへのリンクになる。今までのアンカーも生きているはずなので、以前のリンクも多分有効だと思うが、今後は個別エントリーに直接リンクしていただければ有り難い。
当然内容はまるで変わらないので、そのあたりに関しては文句はなしということで。