« ゴッドハンドなるもの | メイン | 「老人介護」ふたたび »

2005年09月26日  老人介護を楽になる方法 [医学・科学関連]

ある精神科医が主催しているメールマガジンに、「老人介護を楽になる方法」と題した記事が書かれていた。テニオハが少しおかしいような気もするが、引用なのでこのままで行くことにする。これは、ちょっと前に起こった介護者による痴呆老人の殺害事件をきっかけに書かれたという。実際、痴呆老人を介護する家族の苦労というのは並大抵のものではなく、苦しみから逃れたいと介護者の方が自殺企図を起こしてしまったり、痴呆患者に対してひどい虐待をしてしまったりという例はいくらでも目にする。

そして、そういう苦しみの原因を治療者側がさらに倍加させていることもよくあるのだ。行政主催の痴呆シンポジウムなどに出ると、メインの講師がその手のデタラメを教えていたりすることはしょっちゅうで、普通に臨床に関わっていれば、こんなアホなことはいえないのになぁと、天を仰ぐこともしばしばである。ま、この手の人は自分がデタラメをやっているという自覚を得るほどの関わりをすることはないので、非当事者にはそれなりに響く、建て前だけのきれい事をいっていてもそれに気付くことは永遠にないのだけれど。

大概の痴呆老人介護マニュアルには、余裕をもって接していこうという、それ自体正しいことが書いてあり、今ちょっと検索しただけで恐縮だが、たとえばある病院が提供しているこのページには、原則をさまざまに箇条書きにしてあるものの、はっきりいって、だから具体的にどうすればいいのかはさっぱり判らない。その点、先のメールマガジン主催者は、「言語的コミュニケーションを重要視するな」という、実に判りやすい一言でまとめているのである。

ちょっと考えれば当然なのだ。ボケていなくても耳も遠いし、関心や知識データベースなどが全然違う相手である。ましてボケが加わり、意識水準だって変動しているのに、言葉でごちゃごちゃいっても仕方ないというのは容易に推察されることだ。それなのに、「真摯に向かい合って説得し、ねばり強く相手を納得させましょう」などというような有害なアドバイスをする「専門家」は結構多い。つまらん修身道徳のタワゴト建て前に捕らわれていて、それがどういう意味があるのか考えたことなどない連中なのである。

そもそも人間のコミュニケーションというのは、言語能力が保たれている者同士であっても、非言語的コミュニケーション要素の方が多いものだ。日常的な場面で言葉として発した情報だけをいくら集めても、そこで交わされた情報伝達を再現することはまず出来ないだろう。言葉がすべてであるのは、文学とか学術的情報交換場面だけのことである。

痴呆老人は重度軽度を問わず、適切なコンテキストを感じ取る能力が大きく低下している場合が多く、非言語的情報と言語的情報の矛盾をうまく処理することが難しい。「婆ちゃんのためだけを思ってやってあげているのに!!」などと叱責しながら行動を指示したりしても、彼らはまず拒否と敵意を受け取り、混乱するだけなのである。

したがって、その対応は非言語的なレベルでの受容というものが中心になるべきで、もっと簡単にいえば、「説教せずに、相手のいうことはハイハイと受け入れ、主にボディコンタクトなどを介して行動を導く」という単純な手順だけで、痴呆老人の問題行動のかなりの部分は軽減する。もちろん、しつこい非現実的要求が続くことはあるが、それを言語的説得しても意味はない。あえていえば、「とにかくその場はゆったりとごまかす」という対応で十分だ。何しろ相手はぼけているのである。このアドバンテージさえ自覚すれば、いくらでもごまかせる。

その意味では、痴呆老人への対応のエキスパートはそこらの医療福祉関係者ではなく、リフォーム詐欺などを生業にしている連中であろう。非言語的レベルで相手の不安をうまく和らげれば、言語合理性のレベルでは無理とも思える消費行動に引き込むことも出来るのだ。医療福祉関係者はこのテクニックを、何としても学ぶべきであると思われる。

先に紹介した精神科医のメールマガジンでは、そうした点を指摘してはいるのだが、惜しむらくは、別の形の修身道徳建て前をいつの間にやら密輸入しているという限界があった。それは例えば、「『思いやり』の気持ちで心を一杯にしてください。そして、『思いやり』の気持ちを持って、介護してください。あなたの『思いやり』を非言語的に伝えてください」といった記述によく現れている。他にも、「くそじじいと思ってはいけない」なんて書いてあったりする。実際相手はくそじじいなんだから、そういう道徳論に持ち込まれても、介護者は自責感を持つだけである。

専門家は、ここでもう一度はっきりというべきである。「誠意を持ってその場をうまくごまかそう」と。ものを盗られた、お前が泥棒なんだろうと責められても、それを言語的に説得は出来ないのは当然である。といって、それは自分が痴呆老人に対する拒否と怒りがあるから相手に悟られてこうして責められているのだろうと、介護者に自分を追いつめさせたって何の役にもたたない。ちょっとしたノリツッコミのテクニックで、相手の怒りや不安に同調し、別のテーマにうまくつないでいくというのが差し当たっての道であろう。

これ以上の詳細は、また別の機会ということで。

投稿者 webmaster : 2005年09月26日 21:57

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://med-legend.com/mt/mt-tbcba.cgi/575

このリストは、次のエントリーを参照しています: 老人介護を楽になる方法:

» 老人介護な日々… from −負け犬脱出計画−
『老人介護』したことありますか? 夏の終わり、私は身をもって経験する事となった… 私は、家族にめっぽう弱い。 まぁ、それは思秋期の私の行動に... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年10月21日 04:43

コメント

介護で飯を食べている介護屋家業の者でございます。
先生方にこう言った事言う人が居ると、安心できますね。
無理ですもの、「説得」やら「納得」やら。
施設入所に対して偏見を持っているが介護はしない方は良く言いますがね。「説得」「納得」「安心」やらを好き好んで。
高齢者介護をいかに「楽に」行うか。
介護者も苦にならずに介護したいじゃないですか、在宅介護なら尚更の事に。

投稿者 放浪癖 : 2005年09月29日 21:02

 私の祖母は晩年、かなり進行していたのですが、庭の手入れをしている母をお手伝いさんと思い込み
祖母:「いつもご苦労様ですねえ。あなたみたいな働き者ならぜひ息子の嫁にどうです?」
母:「私、三人も子供がいるのですよ?いいんですか?」
祖母:「それぐらい、何でもありませんよ。あなたみたいな良い方なら」
という会話をしょっちゅう繰り返していたそうです。
私は「面白いけど、思い込みを強化しても良いのかな?」と考えていたのですが、もしかしてこれが『ノリツッコミ』のテクニックなのでしょうか?

投稿者 そむたむ : 2005年09月28日 21:03

anisさんへのコメントバックを本日のエントリーに書きました。過剰反応と思われるかもしれませんが、この程度の指摘がされないと、一生を棒に振ると思いあえて書かせて頂きます。

投稿者 Webmaster : 2005年09月27日 23:55

自分の今後や、親の事を考えると、避けては通れぬ「介護」をについて、脅しや奇麗事ではない形で情報提供できないか?
と、ちょうど新しい仕事の企画を考えていた所。

思いがけず、治療の現場におられる方々のご意見を知る事ができ、そのタイムリーさに驚きました。

この長寿大国に於いて、いつまでも今のままでいられる訳も無く、ならば老いた時にはどうするのがベストなのか?
個人個人で考えられる環境や情報を提供したいものです。

別の機会を楽しみにしてます。

投稿者 Rico : 2005年09月27日 23:50

老人を猫に書き換えると、そのまま野良猫との付き合いかた
に似てますね。

投稿者 二人目 : 2005年09月27日 08:46

はじめまして、ふらりと迷い込みました
 5年目の精神科医です。
 専門は児童です。何でコドモには可塑性があると
 みな無条件に信じてくれるのに痴呆の方にはもう壊れている
 扱いをするのでしょうか。

 というのも今まで接してこなかった痴呆じゃなくて認知症の
 方の治療に、ある上司が「ネタキリにさせる方針で」と。
 えぇ―という感覚でした。老人病棟からムリヤリ一般病棟に
 その先生が夏休みのときにうつしたらそうそう悪い状態でも
 なくなりましたが、家族は拒否していますね。殴るから。

 今日その病院を辞める挨拶にいって参ります。やられて休職もしてしまったので。つい愚痴ってしまいました。
 朝から申し訳ございません。
 

投稿者 anis : 2005年09月27日 08:31

2冊目はこの内容でお願いします。

投稿者 yoda : 2005年09月26日 23:32