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2005年12月27日  パンツを脱いだサル [本とか映画とかTVとか舞台とか]

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか最近はやたらに通勤時間が長い日があるので、けっこう本を読む時間がとれるのだが、自分なりに内容をまとめてみる余裕を持てず、ほとんど読みっぱなしである。そんな中、かって一世を風靡した「クリシン」こと栗本慎一郎のライフワーク完結作、という触れ込みのこの本は、はなはだ読後感が複雑であったので、自分なりにまとめておく必要があると思った次第である。

栗本慎一郎は80年代中旬、「ニュー・アカ」として知られる社会人文系学問の大衆化形態の狂い咲きの成立を、何年か前から先導した人物である。私は彼が書いた初めての一般向け著作、「経済人類学」を本屋で立ち読みした時、これこそが普遍的学問だと未熟で見当はずれな感動にうちふるえた記憶がある。

そのころ、こうした立ち位置の先輩である山口昌男がすでに大ヒットしており、「中心と辺縁」がどうしたと、妙な矢印の図が矢鱈にはいった精神病理学の出来そこない草稿に手を染めていた人間から見ると、クリシンの一見真面目な小学術書はまさしく「ネタの宝庫」であった。私のインチキ草稿群からは山口式「十字屋」グラフが姿を消し、自我心理学的人間関係論を「互酬」に基づくネットワークで再解釈するというような、トンデモ噴飯物化が進行したのは当然の成り行きであった。

たまたま、彼がそのころ教鞭をとっていた学校の近くに住んでいたこともあり、ぜひ直接教えを請おうと熱望したものだが、何故か諸事情が重なり、その機会を得ることが出来なかった。私みたいに見識と基本的な教養のない人間が、彼のような破格の存在に接すると、とんでもない目に遭うぞという神様の計らいであったとしか思えない。

ご存じのように彼はその後、超流行学者として売れに売れまくり、いつの間にやら政府要人のコーチ的存在をへて、自ら自民党の代議士にもなって重要な政局で活躍された。そこで若手実力者としてとどまる道もあっただろうに、99年の盗聴法審議でそれに反対して自民党を除名され、野に下ることになるのである。そして脳梗塞の発症と、重度の後遺症の克服という物語がそれに続く。その悲劇すら、自分の研究対象にされる姿勢は、その内容は別にして、頭が下がるものである。

いままで彼の著作の大ファンであった私にしても、この「パンツを脱いだサル」の内容に関して、何らかコメントするのはいささか悲哀感がともなわざるを得ない。「こんなに崩れてしまうものか」といってしまえばそれまでだし、何となく今までの一連の「活躍」の、はなはだ即物的な種明かしをされてしまったような気にもなる。その反面、彼がいう人類が進化とされるもののなかで必然的に抱え込むことになった、攻撃性と破壊、殺戮への衝動をいかに克服するのかという、彼の本来の問題意識が切々と感じられるのも事実である。どこかで聞いたような理論であっても巧みに組み上げて自家薬籠中のものにする手腕は消え失せ、なんだかアラばっかり見えてしまうのだが、彼の忸怩たる思いだけは伝わってくるのである。

投稿者 webmaster : 2005年12月27日 23:49

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コメント

はじめまして、いつも拝読しています。

栗本先生については、私も大変に影響されたので、直近の著作がおっしゃるとおりだとすると、大変に悲しく情けない気持ちが抑えられず、コメントをさせて頂きました。

高校の時に著作を読んで夢中になり、大学の講義も受けました(おおよそ著作と同様の内容ですが、実況ということで面白く聞いていたと記憶しています。私生活の自慢話も多かったですが、大学生にとってはそれも余興以上のものとして楽しんでいました。)。栗本先生のおかげで、山口昌男はもちろん、ポランニーとかワトソンとか澁澤龍彦なんかも読むようになりました。そういう契機をもたらしていただいたのは、大変感謝しています。
しかしながら、講義を聴講しながらも、自分としては古典的な実定法の深さ面白さのほうが勝っていると感じいて、また、栗本先生は学者ではない何か別の種類の人であるとも思っていました。
そんなこともあって、「はなはだ即物的な種明かし」というのはショッキングですが、多分webmasterさまの仰るとおりなのだろうなぁ、とも想像しています。
私に残されている課題は、若いころあんなに読みふけった栗本先生という存在自体から、今何を学べばいいのかということでしょうか。

投稿者 susan : 2005年12月31日 11:37

どうもよくわからないのですが。私のような年齢の人間は、というか、世代の場合、まず読んでみますよね。そして考えてみる。その上で具体的説明を求めると言うことが常識だった気がするんですが。 テスト太郎さんがお若いのかどうかわからないけれど、読むということが、時間の無駄と思っているのでしょうか。どんなものであれ(確かに時間の無駄と言った内容のものもあるけれど。)読むことで得ることはあるはず。自分で判断するっていうことをするべきではないでしょうか。
さしでがましいことを言いました。ごめんなさい

投稿者 さんがつ : 2005年12月31日 00:17

>できたら、残念に感じた理由を説明して

一旦は内容をまとめて行ったんだが、途中でばかばかしくなってやめてしまいました。なぜなら、彼の主張は単なる羅列で、論理になっていない。

たとえば、人類はその攻撃衝動を進化の特殊事情でコントロールできなくなったというのですが、彼が持ち出してくる「海辺半水棲生活」進化説という、そう珍しくもない説はこれを全く説明していない。だいたい進化は常に合理的に進むものではなく、かなり行き当たりばったりだというのは常識で、何も人類にだけ見られることではありません。

なぜか彼が持ち出す血液凝固系の特殊性というのも、まるっきり論理からは浮いていて、途中で自分の作ったサプリメントの広告になるだけだったりする。だいたい凝固系は人間だけが持っているものではないし。

世界史レベルの記述はユダヤ陰謀史観そのもので、それは一部のアホが主張するような悪の司令部があるようなことまでは言っていないものの、それほど変わらぬ代物です。

彼がここまで売れたのは「背後にプロデューサーがいたから」かな、とまで思うようになってしまったのが正直なところ。

投稿者 webmaster : 2005年12月28日 08:53

ちょっと栗本慎一郎の本を読もうかなと思ったことがあったのでコメントします。
まず、私は「パンツを脱いだサル」を読んだことがないし、栗本慎一郎のその他の著作を読んだこともないことを言っておきます。
で、このエントリを読むと栗本さんの著作が残念なものであるとは述べられているのですが、その理由がわかりません。エントリだけ読むと栗本さんの経歴と著作の内容とを関連付け、だんだん劣化していると述べているようにも捉えられます。できたら、残念に感じた理由を説明していただけたらと思います。
極めて野次馬的意見ですがそもそもブログを読み漁るってのも野次馬根性に通じるものがあると思いますのでご容赦ください。
あ、念のため、栗本さんとはなんの関係もないです。単純に、ちょっと具体的な本の感想が知りたいだけです。

投稿者 テスト太郎 : 2005年12月28日 02:40