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「明治四十五年、僕は二十歳だった。それがいったいどのような年であったか誰にも語らせまい。」そんな「アデン・アラビア」の引用めいた文章でこの小説は始まる。同世代人矢作俊彦の、このあざとい仕掛けだけで、もう私なんかはこの分厚い本に二~三日捕われてしまうのだなと観念せざるを得ない。
しかも本の帯には「恋と詩と革命の超大作ロマン」とあるではないか。詩はともかく、あとの二つはかって二十世紀ブンガクの主要テーマであり、まさに死滅してしまったジャンルともいえる。それを矢作俊彦がどう料理しているのか、一刻も早く確認したい気持ちに勝てず、結局二日で読んでしまう。
主人公はなんと、あの「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの 恋が流れる」で知られる、軟弱文士の代表みたいに思われている堀口大学である。彼は外交官の父のもと、革命戦争のさなかのメキシコでその「二十歳」を過ごしたのだった。大富豪たち、一癖ある政治家、ならず者の革命家、したたかな民衆、そして美少女たちに囲まれて。
私としては、これは絶対かの未完作「コルテスの遺産」のごとき大陰謀活劇ドラマ」が展開されると期待したのだが、そうではなくて、比較的冷静な「参与しながらの観察もの」になっていたのは、ちょっと残念であった。やはり歴史上の大文学者に、あんまり無茶苦茶なドンパチをやらせるわけにも行かなかったのであろう。
同じような言い回しが鼻についたり、歴史ものの表現にこの今っぽい描写はどうよ、というようなところもありつつ、読みだしたら止まらなくなる一編でありました。もっともこれを喜んで読むのは、「あのころぼくは二十歳だった」といえるような世代的特殊性を背負った連中だけかも。ちょっと距離をおいた立場からは、いいオッサンがなんでこんなセンチメンタルなもの読むんだと、バカにされるだけかも知れない。
投稿者 webmaster : 2006年02月07日 23:55
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