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日本は「かわいい」大国なんだそうである。キティちゃんとかポケモンなどのキャラクター商品や日本製アニメは世界にバカ売れしており、「貿易収支において占めている位置は、対米輸出だけとってみてもすでに鉄鋼産業の四倍近い額」(本書より)にもなっているそうだ。そういう特異的な文化となった「かわいい」を、「通時的かつ共時的に分析するはじめての試み」(見返しの宣伝文句)が本書というわけ。
私などは、キャラクター商品や昨今のマンガ・アニメ主人公造形一般に違和感を覚え(手塚治虫と水木しげるを別にして。あ、杉浦茂も入れとこ)、まして「萌え」など感じたこともないオヤジなわけで、こういう風なひとくくりが可能なのかとはじめから引いて読んでしまう。ほとんど同世代である著者にしたって、その辺はあんまり事情はかわらん筈と思うし、事実、著者はこういう対象をとりあげる連中によくあるような、「萌えオタク」の代理人のような態度は一切とっていないのである。
内容は枕草子あたりの「かわゆし」から、近代文学での「可愛い」の描かれ方を論じ、現代の女性雑誌記事の考察にうつるという、まさに「通時的かつ共時的」な分析の王道である。かなり距離をおいた記述の後、かなり強引に「かわいい」の「両義性」と「神話」というタームが出てくる。「不自然な虚構であるものを自然で非歴史的なものに見せかける、意味論的トリック」と言うのだから、私なんかが感じる「かなわんなぁ」というような違和感の比ではない。
そんなわけで、若い女子学生に囲まれて、「萌え~」とかいってりゃいい気楽な大学のセンセが書いたユルめの本という最初の思い込みはどこかにいってしまい、著者のこの危機感はどこから来るのだろうかという疑問のほうに関心は移ってしまうのだった。もっともこの本自体、萌え文化の現状を知りたい人向けのガイド本という設定も当然あるようで、そうした危機感は所々に鋭く現れはするものの、主たる記述はあくまで「かわいい」の諸相を追い続ける。
著者の危機感はどこから来るのか、読者の疑問への答えはエピローグで示される。それは著者が90年代にポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪れたとき、そこの壁に、いかにもかわいい猫と少年たちの絵が描かれていたのを目撃した体験からだったのである。その絵は落書きなどではなく、収容所を作った側が装飾としてそこに用意されていたのである。間抜けなリビジョニストなら「虐殺がなかったことの証拠だ!」などとうれしげに語りだすところだが、著者はそこに「かわいい」がもつ根源的な道徳的倒錯を見たのである。
しかしそういう著者の危機感は、圧倒的なパワーで権勢をほこる一連の「かわいい」の前では少々かすみがちである。結局はイマイチ理解できずにいぶかしく眺めているオヤジたちの当惑と同じレベルでは、俊英の名がすたるというものではないだろうかな、というのが読後感。
投稿者 webmaster : 2006年02月26日 23:57
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伝説と化した「W3」のボッコ隊長。
今なお萌え系メディアでよからぬ作品のモチーフに用いられているという人気振りである。
なんと言ってもウサギで宇宙人で女の子というほぼ無敵の萌え要素を備えておりますので。
さて某サイトでも話題になっておりましたが、中国で作られる数多のディズニーグッズの八割方が無版権ものだという事実。
ディズニー本社では既にお手上げ状態だそうですが。
然るにその大部分が輸出向けアイテムだとか。
その反面中国内陸部で圧倒的な人気を誇るのがキティちゃんだという話。
もちろん無版権ですが。
そもそもキティちゃんがミッフィーのパクリんぼだと思うのは僕だけでしょうか。
杉浦作品の萌えというとお姫様の口元が(笑)。
月刊「太陽」にも連載されていたのをふと思い出す。
投稿者 小狸工房 : 2006年02月27日 06:28