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2007年01月09日  自己愛憤怒? [医学・科学関連, ニュース]

いまやTVワイドショー報道の格好のネタにされているこの事件(ウェブ魚拓)であるが、これを論評する識者の1人として、かの和田秀樹氏がやたらに「自己愛憤怒」という言葉を連発していたのが印象的であった。

自己愛憤怒という言葉は、自己心理学なる精神分析学分派の創始者として知られる精神医学者コフートが使った言葉の筈で、自己愛型人格障害者がその自己愛的価値観を傷つけられるような他者の言葉や態度に、異様なまでの怒りを示し執拗な反撃を行うことを意味していたと記憶している。

はっきりいって、こういう概念は家族や関係者に対して、困った人のあしらい方テクニックを説明する時には多少役に立つが、それ以上のものではない。そもそも、人はなにがしかの自己愛を抱えて生きているもので、問題になるのは、それがあまりに非現実的な幻想的万能感のようなものである場合だけだろう。

容疑者とされている青年にそれが当てはまるかといえば、かなり疑問である。親子三代の歯科医家庭という期待に応えようと、今までは及ばなかったまでも、頑張って受験に精出していたんでしょ?それをもって容易に傷つく可能性のある自己愛的態度と言えるだろうか。もっと、別の視点が必要になると思いますがねぇ。

まあ、正直なことをいえば、学校を選ばず、金さえ出し惜しみしなければ、キョービの歯学部はほぼ全入のはずで、それを2回失敗したという点で多少引っかかるのは事実なのである。学校間の格差がかなり大きいのに、その辺を無視して目標設定していたのかな、でもそれは本人と言うより、むしろ親を含めた問題のはずである。

コフートは、精神分析が何やら抽象的な言葉で表される、自己の限界を乗り越える精神倫理修養のごとき様相になりつつあったのを批判し、日常的な言葉で相手の問題点を理解し、共感と支持を向けることでその成長を手助けする治療へと導くため、その学説を展開していったと私は理解している。

今回の事件のような理解しがたい残虐さを前にした時、人はそれを無毒化してくれる言説を無意識的に求めるものだが、そこに彼の術語を無理矢理当てはめるというのは、コフートの墓番としてアカデミックな地位を築こうとしておられるお方には、いささかふさわしくないのではないかなと思う次第である。

願わくばこれが、これが門外漢の見当はずれ誤解による勘違いであることを望むものだ。もし、和田氏のような説明が正しいのなら、コフートなんぞはまるっきり無視してもかまわんという、私の直観はそう間違っていなかったことになるのだが。

投稿者 webmaster : 2007年01月09日 23:58

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トラックバック時刻: 2007年01月12日 10:02

コメント

子供が、親の期待に、こたえようとして、自分が、本当に、何をしたいのか、見えないのなら、その時点で、親と子の健全な、関係は、壊れている。。。

可愛い、愛している、子供のために、といったり、感じていたとしても、無意識に子供の価値観や人生をコントロールしようとしている。また、可愛すぎて、自分の腕から離したくないといった、依存させて喜び、子供の感情を操作し、また、親の感情で子供を操作し 子供が自立しようとすると寂しがり、悲しい顔をする、真実の愛と感情の依存を錯覚している親もいる。

過度に、子供が、寂しいだろうと思い、親が、子供時代に、じぶんがしてもらいたっかたことを、我が子にして、子供時代の、自分を無意識に慰め、自立を遅らせる事もある。

母乳が、必要なくなるまでは、腕の中で、可愛がっても、そのあとは、子供を1個人として尊重し、親とは、また、違った価値観を持ち違った人生を歩む、人間として、精神的にいい距離間で、自立していけるように、見守るのが、真の親の愛情だ。

たいていの子供に愛情ある野生動物はそれをする。

世間体を気にしたり、感情的に、子供から自立できない、親が、子供を苦しめる。

親が、無意識にコントロールしようとするのを、子供は、感じとって、その親の下で見捨てられずに、食べていき、愛情をえるには、親の期待に、そうように、必死で、本当の自分の精神的自立を封じ込めて、自分にさえも、精神的、感情的に自立した自分が、見えなくしてしまう。感情的に、だいすきな、親だったら、なをさら、必死に、親を喜ばせたいとおもうだろう。親に寂しい思いをさせたくはないと思うだろう、優しい子供だ。

しかし、その場合でも、子供の無意識の声は、怒りと不満でいっぱいだ。子供本人が、その怒りや、矛盾に気がつかないこともある。

社会に出ても、自己主張のいえない、周りの人の感情に、気を使いすぎ、びくびく、あるいは、周りの人を、過度に、自己犠牲的喜ばせようと気を使い、心が疲れて、しまうだろう。。。

いつも、周りの人が自分のことをどう思うかいっぱいで
、自分で自分の自己評価や、自分の価値観が、みえない。。。そうすると、人から批判に心が、大きく揺れる。(悲しい、怖い、見捨てられる、拒否される、怒り。。。)

こんな状態を、自尊心が低いという。 自分でしっかり自分の長所・短所・価値観・したいことがわからないから。

これは、肝臓や、肺にも負担が来る、目にも負担がくる緑内障、強迫観念、うつ病。。。いろいろ、腰にも悪い、摂食障害もうきりがない。。。

一生懸命 魂が、心の疲れや、病気にみをかえて、自分らしくのびのびと、自立して、生きたいと S.O.S.を、送っている。。。。

この状態に導いた、間違った 親の愛情こそ、子供にとって、可愛そうだ。。。そんな親も、こどものときに、同じような間違った愛情の被害を受けているかもしれない。

健全な親の愛は、子供の精神的な、感情的な自立を 支持し、その親の姿を、子供の心に 定着させる。

これが、健全な子供の心の成長の基礎になる。子供の心が、安定する。

過干渉・過保護は、子供を結局、苦しめる。 

投稿者 一児の親 : 2007年01月13日 14:04

それにしても最近は、とりあえずバラバラにしてみました、とゆう感じの事件が多いような気がする。
なにかあるのか、元ネタが。

投稿者 みやひろ : 2007年01月11日 19:11

歯の治療で通院していた患者さんは困ったろうなぁ。
他所様宅の猟奇より、ともかくこの歯どうしたらいいのよ、ってのが結構本音のような気がする。

投稿者 ネムネム : 2007年01月11日 00:20

病名が下れば、自分の症状が解析可能なものだという希望も持てますから。
逆に言えば、下す側も同様かと。

実のところ叔母が長年不定愁訴に悩まされておりまして、一時期は家から出られないほどに悪化していたのですが、ある内臓疾患が遠因だと診断が下りて、二人ともずいぶんと表情が和らぎました。

いや結局何ほども因果関係は認められなかったのですが。


当事件の場合、恐らくはもっと冥いものを背景に抱えているのでしょうけど、この先は人の手では。

投稿者 小狸工房 : 2007年01月10日 20:16

人は確かに「言葉」で安心するって寺田寅彦が言ってましたなあ。

えっと、訳の分からない病気にかかった場合、大抵の人は「病名」が与えられるだけでかなり安堵しますよね。って、この場合は違うか、、。

そうそう、僕の分野でも、金を取る為に、あえてギリギリの言葉の使い方をする事がありますよ。「ちょっと、そこまで意味を拡張していいの?」ってな感じ。でも、ほんのそれだけで予算獲得率が違いますからねえ。

投稿者 元院生 : 2007年01月10日 06:12