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2007年03月01日  ちょっと落ち込む夜 [医学・科学関連, 日常]

受け持ちの患者さんの病状について、裁判所に意見書を提出する羽目になり、提出したのはいいのだが、今度は被告側からさらに反論が来てしまい、追加意見書をまた出すことになった。

ある出来事以後、受け持ち患者Q氏が日常生活を送る上で多大の困難を覚えるようになったと言う主張に対し、その困難に対して補償をする立場の相手が、その出来事とQ氏の困難は無関係だと反論し、裁判になったのである。具体的なことは一切述べられないので、こんなあいまいな話になるのをお許しいただきたい。

Q氏が私の外来に現れたのは、原因とされる出来事が起こって一年ほどたったころであった。彼にはすでに他の医療機関で、最近よく話題となっている診断名がつけられていた。本来の定義とは若干ずれるのだが、その診断名自体、そう名づけたからといって別に治療的な展望が開けるわけでなく、単にわかったような気になるだけのものだったので、私はそう考えもなくそれを引き継いだ。

Q氏が訴訟を起こすと、被告側はその診断についての不当性を主張することにしたらしい。某古手医学者が、その理論的ブレーンとして登場した。いわく、この診断名はおかしい。本来はこうした経過で、こういう所見がないとこうは言えないはずだ。そこで止めておけばいいのに、その学者はこう続けるのである。「だから、こういう訴えはありえない」。

あのね、診断基準に合わない訴えなんて、いくらでもあるの。人は基準に合わせて症状を訴えないといけない、なんて決まりはないんですよ。私はあくまで診断は便法であるとして、今確立されている診断基準の辺縁群として捉えることに、とりたてて問題はないはずだ、という意見書を書いた。

そうしたら相手は、さらに診断基準がいい加減だと攻撃してきたのである。こちらは別に診断なんてどうでもよく、出来事とそれによる客観的ダメージ、および症状の時系列的な関係を主張すればいいのだが、大先生はとにかく診断基準にこだわり、診断基準に合わぬ訴えはこの世に存在するはずはないという、いささかトンデモ系の主張に及んできたのであった。

私はここで、診断名がそれほど気に入らぬなら、別に固執はしませんよという内容に切り替え、今現在こういう症状があり、Q氏が体験した出来事による、それなりに確実な客観的所見があるのだから、因果を認めないのはおかしいではないかという再意見書を提出したというわけ。ここで問題になるのは、その因果だけなんだから。

トップの大学を出て、その後学界の重鎮になりつつも、金づる企業に対してはこんな風に痴呆化した論理で義理を立てるしかないのが、この業界人間の末路なのかと、かなり落ち込んでしまったのであった。診断基準で反論しても自分の役割には益がないと、誰かいってやらなかったのか、立場は反対ながらイラついてしまうのだった。

投稿者 webmaster : 2007年03月01日 22:06

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コメント

自然科学分野は・・・とありましたので,やや違う話を。
 私の関連分野は,重鎮でも全て「さん」付けで学生から呼ばれ,論文書くのにインフラに依存しないし,なんだか知らない人の名前が,論文の後ろにつらつら付けられたりすることは皆無です。どちらかというと重鎮の影響力は消え行くのみです。弟子の暖かい?配慮で学会の小集会の「人形劇」のモデルになったり・・・ただし,学会にも出てこずに国の関係の委員会だけで仕事をしている「専門家」は,批判を受ける土俵に上がることがないので,権威を保っていられるというところです。もちろん,「麒麟も老いても駄馬」どころか,学問の進化についていける方もおいでですが,それは若くてもダメな奴と切れる奴が居るのと同じと云うことです。独占できるインフラや情報が極小の場合,学問が進めば,その人の座っている場所はその人の能力を保証してくれません。

 動物行動学的アプローチでK・ローレンツとともにノーベル賞を受け,研究対象を自閉症児童まで広げた,ニコ・ティンバーゲンも,晩年は,群淘汰の視点から脱却できなかった彼の研究を弟子に叩かれすぎて,本人が自閉症(なわけないので鬱病と云うことでしょう)になってしまったという話は分野ではよく知られたことです。

 尚,自分の分野が「動物行動学」というわけではありませんので念のため。ちなみにこの分野に限れば,日本の場合,論文生産に際し,徒弟制社会に入っていないと使えないインフラも少なからず必要な場合がありますので,学界全体はそこまでリベラルではありません。

投稿者 complex_cat : 2007年03月02日 17:48

裁判ってのは、瑣末な手続きの話で、全体がひっくり返る。
「体験した出来事」と「客観的所見」の因果関係が問題の筈なのに、その「客観的所見」についての「診断名」の正当性が争われて、その結果、因果関係が認められなかったりする。

>診断名がそれほど気に入らぬなら、別に固執はしません
と言う方針転換が裏目に出ないようにお祈りします。

投稿者 bowwho : 2007年03月02日 13:53

診断基準なんかなんぼのものじゃー!(言いすぎ?)という管理人様の態度は、いつも患者として頼もしく拝見させていただいています。結局患者さんが生きやすくなればそれでいいじゃん、ていうのは間違いなんですかね。

投稿者 ヨシダヒロコ : 2007年03月02日 12:15

若い時に良い仕事をした人ほど、50歳代になると、間違いを正す人がいなくなる事から(仕方ないですよ)、存在自体が弊害になり易く、この場合ほどではなくとも、例は色々あり、某*国人重鎮にむかついたという同僚は結構いますねえ。ただ僕の分野の場合は、それで、誰かが迷惑を被る事はないけど。

重鎮の弊害例を各分野に渡って網羅した本が出たら、この手の問題も減るのかな。って、いうか、そんな本、誰が出せるのかいな?

投稿者 元院生 : 2007年03月02日 02:08

自然科学分野の重鎮の先生は、科学として正しいか否かよりも、
重鎮の意思に沿っているか否かを、判断基準にすることがありますね。
重鎮と争って神経症になるよりは、
何も言わないで(不作為)自分の心の平静を保った方が良いと感じるようになってしまいました。

投稿者 SSRI服用中 : 2007年03月02日 00:45

>こういう事を精神科の医師が書く責任というものをもう少し考えた方がいいのではないだろうか。

ほう、タブーにしておくのがいいと言われるのですかね?まったく理解できない考えですな。ま、人それぞれでしょうが。

投稿者 webmaster : 2007年03月01日 23:37

患者の名を伏せているとはいえ、こういう事を精神科の医師が書く責任というものをもう少し考えた方がいいのではないだろうか。

投稿者 精神病患者 : 2007年03月01日 23:31

その診断基準については、色んな方が色々なことを言われますよね。複雑型がどうとかこうとか。

重鎮の先生方と患者さんについてお話させてもらうと、
これはブロイラーのいうところの何病だとかうんたらかんたらと、非常にありがたい示唆を頂けることが多いのですが、
「患者さんは実際にこういう症状に困っているのでこういう治療をしている」
という、治療ありきの私めの意見と論点が全く噛み合わなくなるのは、私が若輩者だからなんでしょうね。

投稿者 若手精神科医 : 2007年03月01日 23:03