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この実験が意図していたのは、人間の残虐性というものが個別的な性質によるものなのか、社会的な役割によって導かれるものなのかを確かめることであった。実験は、ボランティアから、性格や行動上の偏倚が少ないと判断された被験者21名を、ランダムに囚人10人と看守11人に振り分け、2週間の予定でその行動を観察した。
彼らは大学の地下室にしつらえられた「監獄」に送られ、囚人役、看守役それぞれに対し、いかにもそれらしいコスチュームや行動原則が割り振られたのだが、実験開始直後から、当初の設定を超えて、一部を除いた囚人は看守に媚びへつらうようになり、看守役は囚人に対してより権威的、暴力的に接するようになった。
数人の囚人役ボランティアは深刻なストレス性障害を示すようになり、看守の虐待行為はどんどんエスカレートして行き、実験は6日で中止された。実験を主導していたジンバルド研究員は、当初から危険な徴候を発見していたにもかかわらず、この自律的役割強化劇の進行に打つ手をもてなかった。
ジンバルドは後に教室の教授となり、現在は名誉教授となっているが、実験の後、10年以上被験者たちのカウンセリングを続けた。彼は今年、ルシファー効果"The Lucifer Effect"という本を出版し、善良な人々が疑いを感じることもなく、邪悪な行動に走ることについて、先ごろのイラク戦争捕虜虐待事件なども例にして考察しているという。上のビデオは、その実験を解説しているDVDの予告編である。大失敗とは言え、世界に知られた実験を解説するジンバルド名誉教授が、実ににこやかなのが印象的。
私もこの実験の概要は聞いたことがあるが、今まで勤めてきた精神科病棟の事例などを思い起こしてとても他人事とは思えず、出来れば考えないようにしてきた面がある。基本的には収容所でしかない精神科病棟で、よりよい治療環境を作ろうと努力する職員たちの行為が、しばしばある種の虐待になってしまうようなことは日常茶飯事だったからである。
例えば、病棟には様々な生活規制があるのだが、それがなぜ存在するのかということをちゃんと説明できる職員はまずいない。要は「そう決まっているから」という理由で規制しているのである。当然、慢性患者の多くは、ただ理由無くそれに従うか、そう理解力が高いとは言えない人は、その規制に何度も抵触する。真面目な職員は、根拠とは無関係なところで、そのルール違反を責め立て、結局「問題患者」の烙印を彼らに押すことになるのである。
もちろん、そういうトラブルがあるたびに、管理責任者である私たちは、治療環境ということの意味を再確認し、無意味な規制を取り払うするチャンスだと思ってカンファランスを開いたりするのだが、はっきり言ってこれほどの徒労はないのだ。
例えば、以前勤めていたところでは、「ガラス瓶入りの醤油を持ち込んではいけない」という規制があった。割って自殺企図に使うかも知れないという理由だったらしいのだが、病室の窓はガラスだし、メガネのレンズだってガラスだし、醤油の瓶だけを問題にする理由は実に妙なのである。
この無意味な規制を守らせようと、定期的な持ち物検査をしたりするヒマがあれば、もっと別の関わりをしたらどうよと思うのだが、人は善意が動機であれ、共感と支持を与える人間になるよりは、規制と教導を与える立場に立つことの方が重要だと思うものらしい。確かにそれが無いと混乱するといわれれば、認めるしかないのも事実なのだし、何より、自分自身がそういう意識にとらわれていることだって、しょっちゅうなのだ。
私は今後、おそらく精神科病棟を管理する仕事にはつかないだろうと思っている。それは、こうした徒労を散々経験したからで、逃げでしかないのだが、実は精神科病棟の特殊性で済ませられることでもないのだ。一度でも普通の身体疾患を見る病院に入院したことがある人なら、一見配慮に満ちつつ、実際は無意味な規制のマトリックスが張り巡らされていることを、実感されたことがあるはずである。それはそこで働く人間にとっても、同質である。
ミシェル・フーコーがいうように、権力というものはこうしたミクロな「善意」をそのエネルギーにしているのであって、決して支配と抑圧に向けた悪しき野望がその源泉ではないのだ。ジンバルドの実験も、そうした洞察を全く欠いていたという決定的な未熟さゆえに、今も語り継がれるコントロール不能の事態を生んだと言える。
そういう事情で、そもそも正しいことを主張するという行為それ自体に、私は支配への欲望というダークサイドがつきまとっているのを常に実感してしまうので、いつものように、ただ自分が面白がることが出来ることだけを追求しているというわけ。<Link>
投稿者 webmaster : 2007年5月10日 23:56
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この実験の話は初めて知ったけど、たしかにルシファー効果ってものに心当たりがありますねぇ...
古くは、中学生だったころの部活動や校則にそういうニオイを嗅ぎ付けて、逃げ出したり反抗したりしてましたよ。
オレはたぶん「一部を除いた」とされるタイプの人なんだろな...
投稿者 Mr.FanHong : 2007年5月14日 14:15
使役で監督にむち打たれる奴隷を哀れに思い、監督に引き上げたら奴隷をむち打ってる。
「引き上げて貰った恩に報いて少しでも早く終わらせる為・・・」 なにかの中国の古い物語だったと。
つらつら考えてみるに・・・ と凡夫では結論出ませんねぇ。残念。
投稿者 問題児 : 2007年5月13日 10:19
>当初の設定を超えて、一部を除いた囚人は看守に媚びへつらうようになり、看守役は囚人に対してより権威的、暴力的に接するようになった。
囚人は暴力を受けたくないからこそ、従順な態度をとっているのに、その態度が看守の権威的・暴力的態度を誘発してる側面があるってことなんでしょうか。いじめやDVでも似た展開がありますね。
とすると、囚人役が毅然たる態度をとれば看守側がうやうやしく接してくれるんでしょうか。『範馬刃牙』のオリバみたいに。
投稿者 さらぴん : 2007年5月13日 09:25
こんにちは、
この実験はすさまじいですね。すでにご存知かもしれませんが、無料動画を提供しているGyaoにて、スタンフォード大学の実験をもとにした映画が公開されています。
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0004149/
どこまでが事実で、どこからが創作なのか、気になるところです。
投稿者 Kenti : 2007年5月13日 00:43
教授、或いは準教授になった途端に、他人の使い方が荒くなる者が少なからず存在する現象(端から見てこれは「現象」だと思う訳ですよ)のと、この「役割」現象との関係についてはきちんとした研究があるのでしょうかねえ? タブーなのかな?
あと、世の東西を問わずに「奴隷学生」ってのがいるけど、これも教授だけの問題でもないなあ、って気がする訳ですが(学生=奴隷と自ら規定して反乱する気持が全くない奴隷)、この研究はもっとタブーなのでしょうかねえ?
んで、この両者共に、個人的資質が効いているのは僕の観察出来る範囲に置いては明らかで、そうなると、有名な失敗実験が失敗した理由の一つに、実験を受けるという意志を持った段階で、「役割に徹する」性質を持った人間を無意識に被験者として選択しているのではないのでしょうか?
投稿者 元院生 : 2007年5月12日 17:19
「ルシファー効果」を読んで、明治維新の廃仏毀釈で江戸六地蔵の一つが鋳潰されたり、榛名神社の運慶作と伝えられる仁王像が燃やされたりした事を漠然と思い出しました。
「六地蔵を取り払え」とか「仁王像を燃やせ」とか命令したのは政府の役人だと思いますが、彼らは明治維新の廃仏毀釈が正しい命令だと信じて、疑い無くそういう行為をしたのだと思います。
投稿者 水瓶座 : 2007年5月11日 05:20