<絶望のスパゲッティ>

これはずいぶんと前に雑誌か何かで覚え、何度も作っているうちに簡略化と末端肥大化をへていったものだ。この名前はすでに書いた「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーニ」の事をさす、とされる場合もあるようだが、金がなくてソースにする材料もないので「絶望」、というのではあまりに浅いような気がする。「絶望」というのはもっと重層的なものであるはずで、これから紹介するほうが本来の物だと思いたい。なお、本場ではどうなのだろうと、”disperata”だとか”disperazione”とかスペルをかえて、パスタとアンド検索して見たが、さっぱり引っかからなかった。日本だけの名前なのか、検索ミスかどちらかなのだろう。どなたか教えていただければ幸いだ。

要はトマトベースのパスタソースである。パスタはショートでも、普通のものでもお好きなものを。下ごしらえさえ済ませておけば、すぐに出来るので、パスタをゆでるお湯を沸かし始めてからつくって充分間に合う。

材料(多分4−5人前):ホールトマト500g一缶。アンチョビ一缶(40gだったと思う)。ピーマン(赤緑黄つかうのも面白い)適量。ズッキーニ適量。なければナスでも。セロリ適量。ブラックオリーブ適量(なければ普通のスタッフドオリーブで結構)。ケイパー適量。バジル、セージ適量。そしてポルチーニ。これは最近田舎のスーパーでも見かける。乾燥したものが20gほど小分され、えらい高値がついている。手に入らない場合、乾燥シイタケで代用し、シメジも適当に入れてごまかす。あと、ニンニク数欠け、と鷹の爪適量。ほかに白ワイン適量。塩、コショウ。

材料は例によって全部「適量」だが、野菜はいわゆる「具だくさん」というような感じになる量で。小さめに切っておく。ポルチーニは水で戻すが、土が入っている事が多いので、さっと水洗いしてから使う。戻し汁もあとで使うので、取っておく。シイタケの場合も同様。ケイパーもたくさん使う場合は、水にさらしてから、細かく刻んでおく。
ますオリーブオイルに、芯をとってつぶしたニンニクを、お好みの量入れて熱する。焦がさないようにオイルに香りを移し、種を取った鷹の爪を適当にちぎり入れる。
そこにアンチョビを全部放り込み、弱火で熱しながらスプーンの背中か何かでつぶしてペースト状にする。そこに野菜、ポルチーニ、種を取って刻んだブラックオリーブ、ケイパーを放り込んで火を通し、大まかにつぶしたトマト缶の中味を加え、白ワイン、ポルチーニの戻し汁と煮込む。最後に塩コショウして味を調える。オリーブとか、アンチョビとか塩辛いものばっかり入れるので、塩はほとんどいらないと思う。

アルデンテにゆで上がったばかりのパスタにかけて、出来上がり。もちろんフライパンの上で、火にかけてあえるのがお好みの方はそうしてください。

なぜ「絶望」なのかには、絶望の極みにある人間でもバカバカ食うほどうまいからだ、と言う理由付けがあるらしい。このソースを見ると、トマトとバジル、煮崩れかけた野菜が混じりあい、そこにペーストになったアンチョビの色合いが一緒になって「ドドメ色」という感じになり、アンチョビの発酵臭(これや魚くささを消すためにセージを入れるらしいのだが、大体あれもカメムシ系の臭いですよね)などもそこはかとなく鼻腔を刺激して、「絶望」をうまく表現している、と思うのは私だけか。(2000/09/17)

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<居直りもんじゃ焼き>

私はずっと関西圏で育ち、初めて関東、それも東京23区内に行ったのは、大学生の時に友人の家に招かれたのが初めてだった。その時発見したのが、「東京と言うところはすさまじい田舎だ」ということだった。今考えると、友人の家というのは「北千住」というところで、およそ都市とは言えないのだが、「東京=どこも青山風」と考えていた関西田舎人間にとって、田んぼや畑こそないけれど、汚いあばら家ばかりが延々と続く常磐線沿線はとても日本の首都とは思えなかった。人生いたるところ青山あり、と言うのは嘘だったのか。大体、なぜ「常磐線」なんだ。それは常磐炭鉱から石炭を運ぶ線路だと社会科で習ったのではなかったか。東京都民はそんな物に乗って移動するのか。

しかも、友人の両親が使っていた言語は、それまで私が「ズーズー弁」として認識していたような訛りが強いもので、ほとんど内容が理解できなかった。私の東京に対するイメージ―それは高層ビル街のリストランテで、いなせな板前がちゃきちゃきの江戸っ子弁でまくしたてているような、いささか混乱したものではあったが―は完全に崩壊せざるを得なかった。

その時友人は、子供の時から通っているという「もんじゃ焼き屋」に連れて行ってくれた。幅が1mもないような、錦小路もびっくりの狭い道(それはドブに蓋をした水路にみえた。アジアだ、とおもわず私は言ったものだった)を通り、時おり現れるえらく横柄な猫たちににらまれながら店に入り、生まれて初めて「もんじゃ焼き」を食べたのだが、その味はまったく覚えていない。ただ食後、「東京と言うところは、関西連合軍でも組織して占領保護する必要があるのではないか」と真剣に思った。

それからふた周り以上の時が立ち、私はなぜかあの常磐線沿線の住民―しかも北千住などよりもっと常磐炭田側―になってしまった。しかし、あのもんじゃ焼きだけにはどうにも慣れず、自宅でそれを作ることなど拒否してきたのだが、家族が外で食べてくるようになって事情は変わってきた。関西では、食べ盛りの人間がお好み焼きを食べて、ちょっと物足りないような時は、続いて焼きそばを作るのが定番だ(広島風が邪道なのは、こういう流れを形成できないからだ。関西風がフルコースの外延を持つのに、広島風はドンブリものの発想にとらわれる)。それが最近の我が家では、お好み焼きのあと、もんじゃ焼きへと移るようになってしまった。これには、焼きそば用の麺を買い置く必要がない、残り物の材料で作れる(焼きそばだって同じだけれど)、という安易な理由が大きい。水は低きに流れるものだ。しかしそれを嘆いていても仕方なく、少しでも自分で納得できるものにしようと工夫(と言うほどの事はないが)したのが以下のもの、と言うわけ。

まず生地だが、お好み焼きよりよっぽど薄く、水(これはカツオか昆布だしであれば言う事ないが、そうこだわらなくても良いだろう)と小麦粉の重量比は20:1と言うところだろうか。これに体積比で2から3分の1ぐらいの量でキャベツの乱切りを加える。それにイカとか、豚の細切れとか、ベーコンとか、アレルギーのない人なら小えびとか桜海老とかを加える。それに軽く色づく程度にウスターソースを加えて準備はおしまい。

まず熱せられたホットプレートの上に、生地の中から適量の具を取り出して、ドーナツ状におく。具だけ別に切っておいて熱しても良いようなものだが、一度生地にくぐらせ、適当に生地がくっついているのが重要なようだ。程ほどに火が通ったら、それを土手にして真中の空間に生地を流し込む。生地に火が通りかけたところで、ピザ用のチーズを適量散らす。後は具と、溶けるチーズが混ざりこんで藤原糊化した生地を適当にかき混ぜながら、食べるだけ。あせって食べるとアルファ化していない澱粉で腹をこわすので用心。食べるには、お好み焼き用のコテの妙なミニチュアみたいなものがあれば言う事はないが、アイスクリーム用のスプーンでも代用できる。

なぜチーズを入れるかと言うと、お好み焼きではマヨネーズなどをつけたり出来るし、中で蒸し焼きになる肉から出る脂肪分も期待できるが、もんじゃではそう言うわけには行かないからだ。人間は炭水化物だけではうまさを感じないように出来ている。適当に脂肪分、それもリン脂質などのバリエーションや、タンパク質、と言うものがほどほどに混じっていないと満足を感じないのだ。それは美味、とされているものが、基本的にそのような組み合わせで出来ている事でも知れる。フォアグラは純粋脂質、それもコレステロール系だろうし、胸腺肉や白子は核酸などの核蛋白複合体に富む。数の子、イクラやタラコは言うまでもない。

専門店にいくとさまざまの種類のもんじゃがあり、「チーズもんじゃ」などは定番なのだが、あえてこれを自宅での標準にしたのは、一応総合的な安定感のある味になりつつ、それほど伝統から逸脱しないからだ。カレーもんじゃとか、バジル風味トマト味では、わざわざもんじゃにしなければならない理由がない。ワイン(ミディアムボディの赤がいいようで)にも合う、と言うのは重要だ。その点、「お好み焼き」は残念ながらワインには合わない。ビールは必須なのだけれど。(2000/11/11)

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<ビュッシュ・ド・ノエル

クリスマス過ぎてこんなものをアップするのもなんだが、実際作ったのがクリスマス過ぎだったもので。子供がある年齢以上になっていしまうと、クリスマスなど誰も家に近づかないので、こういうものも全部年越し正月料理に属するものになるわけ。

これは皆さんご存知の、フランスの家庭で作られるという薪の形をしたクリスマスケーキである。薄いスポンジを焼くので、ど素人にも作りやすく、その上周りをチョコレートクリームでぬりたくって中味をごまかせるので、実に素人向けなのだ。他で紹介している料理を見れば判るように、私の料理に対する姿勢はアバウトそのもので、材料の量は適当、加熱時間も適当、調味もその時の気分である。これはお菓子系には致命的な欠陥となるらしいのだが、もちろんその態度はあらためずにこの作成にも望んでいる。でも程ほどの出来にはなるので、ご心配なきよう。ふつうブッシュ・ド・ノエルと言われるが、フランス語の発音はこちらに近いはずなので、上のように表記した。

ほぼ4人前の材料(大体すべて多めに作る我が家であるが、お菓子の量は少なめになる):卵4個、薄力粉60〜70gぐらい、砂糖適量(70〜80g)、バニラエッセンス少量、ジャム、ラムか何かの洋酒適量、ジャム60〜70gぐらい、生クリーム100ccぐらい、チョコレート少量、牛乳少量。

卵を卵白と卵黄に分け、大きめのボウルに卵白を入れて、固めのメレンゲにする。力が強い男がやれば10分ちょっとの仕事である。力に自信がなければ、電動泡立て機を使えばいいのだけれど。そこに卵黄を一個づつ入れて泡立て続ける。砂糖も何回かに分けて加える。量は好みだが、せいぜい40〜50gではないだろうか。バニラエッセンスを適当にいれ、必要ならば多少水で柔らかくしたところに、小麦粉を振り入れてさささ、と混ぜる。あまり練るとまずいのだが、まあ適当にやればいいだろう。なお、ベーキングパウダーを入れていないけど忘れたのではない。入れないほうが後でまとめやすい。

この生地をキッチンペーパーを敷いたオーブンの皿(これは大体規格になっているはず)に流しいれ、しばらく落ち着かせたあと180度ぐらいで10分ちょっと加熱する。焼けたら取り出し、冷ましてから皿に接していたほうに(別にどっちでもいいですけど)、ラムで延ばしたジャムをぬり、巻き寿司の要領でくるくるとロールケーキ風にする。端の5分の1ぐらいを切って上に載せ、枝目のついた薪の形の芯にする。この段階の格好はかなり情けないが、あとはクリームでごまかすわけ。

少量の牛乳を焦がさないように加熱しつつ、チョコレートを割り入れてとかす。湯煎にしたほうがいいのかもしれないが、面倒なのでしない。生クリーム100ccに、砂糖をやはり少しづつ加えながらホイップしていく。甘さはお好みで。そこに先ほどのチョコレートを溶かした牛乳を冷ましたものを加える。少量、加える量が少ない段階の色の薄めなものを別に取っておく。

さっきのロールケーキにこのチョコレートクリームを塗りたくり、適当に筋などをつけて、薪の雰囲気に仕上げる。取っておいた色の薄いのは、断面の仕上げに使う。

これに適当に粉砂糖をかけたり、ヒイラギの葉っぱでもあしらって出来上がり。クリスマスが過ぎているので、今回はたっぷりと粉砂糖をかけて、その上からイチゴジャムを散らし、ミニチュアの斧をあしらってみた。ご存知、ビュッシュ・ド・シャイニングの出来上がり。(2000/12/30)

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<鴨のロースト

わざわざ披露するほどのものではなく、似たようなのは一杯ネットにアップされているので、つくって見られたい方はいろいろ調べて試されればいいのだろうが、「鴨」という食材は素人が結構もてあますもので、そのあたりの経験を伝えるのも意味あるかと思って書いてみる。

ごく普通の生活者にとって、鴨を食べる機会はそうないと思う。せいぜい蕎麦屋で「鴨南蛮」を食べる時ぐらいだ。なんか油っぽい肉の小片がある、と言うぐらいのもの。フランス料理の「鴨のオレンジソース」というのは、昔呪縛のように食べたが、ワインとかの知識が充分でない青二才のころ、見栄の割には、それはそううまいものとは自覚できなかった。

鴨が名物という地域で結構長く暮し、地元の人が鉄砲で撃ってとってきた鴨などをお裾分けしてもらう栄誉に何度か浴したが、いわゆる鴨すきなどにすると、あふれる油に辟易する。文化人がよく訪れると言われる、ある名店によく行ったが、そこはごく少量の鴨肉を信じられないような薄切りにして陶板で焼いて供する、という手段を使っていた。あの金とって、あんな少量出してれば、うまいと思わないと腹が立つので、自然と名店の誉れはえられますわな。

和食系で一番うまい鴨料理を食べたのは、関西時代にある製薬会社の保養所でふるまわれた鴨なべだった。そこはO温泉、という某形態の風俗店が蝟集しているので有名な場所にあり、その会社のMRさんは、季節になると関西一円の取引先病院の接待のために、自社保養所での鴨なべ予約業者に変身するのだった。三ベンほどそこでご馳走になった。風俗店街を通り抜けつつ、「いやー、鴨が楽しみですなぁ」と招待者同士で、妙にでかい声でざわめき合うのが作法。

戦中は大陸で特務機関員であったと噂される、一癖ありげなジイちゃんが鍋を仕切ってくれるのだが、くどくない程度のコクのあるスープに、薄切りの鴨肉をシャブシャブの要領でさっとくぐらせ、大量のセリと一緒に食べると言う、くどさをいかに処理するか、と言う事が主眼のやり方だった。とくに骨髄をつぶしたツミレなどは、えも言われぬ美味で、生じるアクをすくい取るジイちゃんの手腕と、セリの風味で、くどさとかすかな臭みも消える絶妙の取り合わせに、小汚い保養所のシャビィさなど関係なしの満足接待になったものだった。S製薬さん、それでもおたくの薬は余り使わなかったのを許して。

鴨肉は結構味が濃いが、それ以上に油がでて、その油もまた風味はあるが、一緒に食えばあまりにくどい。それをどううまく胃袋に収めるかの取り合わせが問題のようだ。いろいろ試して落ち着いた、定番にしているやり方は次のようなもの。

材料(2人前):鴨の胸肉200g強。にんにく、エシャロット、玉ねぎ。ジャガイモ中2〜3個。ポルト-酒、バルサミコ酢、スープストック(なければスープの元少量)、塩、コショウ。片栗粉。

鴨の胸肉を塩コショウし(強めに)、皮にざっくり切れ目を入れる。高温に熱したフライパンで皮のほうからカリカリになるまで焼く(約3分)。ひっくり返して、肉の側に焼き色をつける。同じく3分。これをオーブンの皿にとっておく。オーブンは200度程度に予熱する。

ジャガイモをざくに切り、先ほどのフライパンに残った油で、さっと火がとおる程度にいため、先ほどの鴨のオーブン皿に移し、アルミフォイルで覆い、加熱する。約15分ぐらいか。

フライパンにそのまま刻んだニンニク、エシャロット(と言ったって、手にはいるのはラッキョウみたいなパチモンばかりなので、別になくても良いと思う)、玉ねぎをいれ、炒める。火が通ったところでポルト-酒(7)、バルサミコ酢(3)を加え、煮詰める。全体の量は適当に。これにスープストックとか、フォンドボーを加えて味を調える。ブイヨンでも良いけれど、塩加減には注意。これをシノワがあれば漉して、小奇麗にする。シノワがなければ、フキンとか、キッチンペーパーなどで適当に工夫して。塩コショウで最終的に調整。

このソースに適当に片栗粉でとろみをつける。ダマになりにくい、「とろみちゃん」などと言うのが売れられている。別にソースなんてなくても、塩コショウだけでじゅうぶん食べられるけれど、そこは甘味と酸味の強いソースを用意する程度の作為を加えないと、ちょっと寂しい。

もう肉も焼けている頃なので、取り出し、ほどほどに薄切りにして、ジャガイモを添え、先ほどのソースをかけて出来上がり。また油がどっと出ているので、それはとっておいて、別の料理に使う。ジャガイモが好きな人は、もっと大量にジャガイモを使えば、出る油をジャガイモだけで処理できるし、一品だけでたっぷりになりますな。

この前日記で書いた、ドンペリをちょろまかしてきたとき、それ様に作ったのだけれど、フルボディの赤ワインにもあう。鴨にはボジョレーなんて、ライトボディを勧める人があるが、絶対間違いだと思うけれどね。その点シャンパンは何でもあうので安全。(2001/03/12)

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<海の幸クスクス>

TVでイタリアの家庭料理を紹介する番組をやっていて、そこで伝統のクスクス料理が紹介されていた。クスクスというのはモロッコあたりの料理だと思っていたが、その番組では南イタリアに昔から伝えられているとされていた。以前新聞かなにかで、イタリアの小学校で給食にクスクスが採用され、食の伝統が失われると抗議行動が起こった、というのを読んでいたので、なんだかちょっと怪訝な感じである。移民がもたらした食材ということなのかな。少なくとも南イタリアあたりで、狭量な民族主義というのは似合わないような気がするが。

その番組で紹介されていたのは、たくさんの雑魚と野菜を煮込み、つぶして漉し、そのスープを別に蒸したクスクスに染み込ませ、さらに蒸し上げていくようなものだった。味は濃厚そうだが、いまいち見た目が地味、という感じなのが難点だった。それに、クスクスをしっとりと蒸し上げるのは2日がかりの手間らしい。でも、それをメインにして家族パーティをしていた人々はとても幸せそうで、ちょっとした祝祭感覚がかもし出される料理である様子だった。私の記憶から言えば、昔の「餅つき」みたいな雰囲気とも言えようか。

自分では料理の付け合せとしてしか、このクスクスは食べた事がない。ショートパスタのえらい小さい奴、というだけの感覚だった。ああしてメイン系に出来るものとは思わなかった。そうこうするうちに、スーパーでインスタント調理が出来るクスクスを発見した。たまたま海辺に遠出して、雑魚の安売りを買ってきたので、それを使ってクスクス料理をつくってみた。

材料:インスタントクスクス。私が買ったのは100gずつ細かい網の袋に小分けされているやつで、そのままお湯に放り込んで、90秒で茹で上がるという代物だ。本物とどう違うのかよく判らないが、食べた限りでは結構いける。100gで一人前、というところか。魚はもっぱら白身系のもの。金を惜しまぬなら、カサゴ、金目鯛などが適当だろう。適量を3枚におろし、軽く塩コショウしておく。あらの部分は捨てずにスープストックを作っておく(別に出来合のスープストックでいいですけれど)。もちろん、海老とかイカ、タコ、アサリにムール貝など、よく魚介類パスタに使われるような材料でもいいと思う。

あと、玉ねぎ、ニンニク適量。ナス、ズッキーニ、にんじんなど。オリーブオイルたっぷり。白ワイン適量。ハーブはコリアンダー、クミンなどでアクセントをつけると、エスニックな感じ。私は面倒なので、何種類かブレンドされた乾燥もの使いますけど。それとバターが適量。

芯をとってつぶしたにんにくをオリーブオイルで熱し、香りを移す。そのオイルで白身魚を皮のほうから焼いて、火が通ったらひっくり返す。いったん魚はとりだして、野菜をいれしんなりするまで炒める。そこに用意しておいたスープストックをいれ、魚ももどして、白ワインを適量くわえ、煮込む。色合いにサフランを入れるのも一興。最後に塩コショウで味を調える。

クスクスは箱に書いてある説明どおりに、袋ごとたっぷりのお湯でゆでる。加える塩は普通のパスタよりは軽めがいいようだ。茹で上がれば袋から取り出し、皿に盛り、バターを少量溶かし込んで蒸らしておく。

そこに先ほどのスープをかけて、魚などを見栄えよく配置して出来上がり。なにせ本物のクスクスを知らぬので、これがどこまで本場の味の雰囲気を再現しているか自信はないけれど。ちゃんと蒸し器をつかうタイプの、もちょっと本格的なクスクスも、同じスーパーには売っていた。前に書いたミネストローネの具にも出来るし、備えておいて損はない食材であろう。(2001/05/06)

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<殊能流シシケバブ>

殊能将之のヨーグルト・クッキング」を読んで、昨夕は殊能流シシケバブに挑戦。ほかのレシピも参考にしたが、ヨーグルトに漬け込むというのはどこにも見当たらなかった。

ヨーロッパの学生街なんかでは、おそらくトルコ系移民がやっているとおもえる、このケバブの店がけっこう繁盛していて、日本でのラーメン屋の生態学的地位を獲得しているらしい、と感じたりする。ネオナチに襲撃されたりしなけりゃいいんだが。アメリカにもあるんだろうか。9・11の後ではやりにくいか。少なくとも、マクドナルドやKFCなんぞは簡単に蹴散らせる、と思うのだが。

近所のスーパーではやはりマトンが手に入らなかったので、イスラム教徒にはいかんなぁと思いつつ、豚ひき肉で作ることにする。香りつけにはクミンを主に使うらしいのだが、切れていたので、イタリアンハーブミックスと称する乾燥ハーブ粉と、前にハンガリー料理のグヤーシュを作る時に買って、その後使い道がないキャラウェイを放り込む。パプリカもいれて色合いにし、ガラムマサラなんかも入れてみる。とにかく何でもいれてみる。カレー粉でもいいかもしれない。最後に適当に塩コショウで味を調え、ヨーグルトとオリーブオイル、少量の小麦粉をいれてかき混ぜ、細長くかたちをととのえ、弱火のフライパンで焼く。串焼きにするにはちょっと柔らかすぎました。殊能流といいつつ、ひき肉になっているし、漬け込みもしてないんだけれど。シシケバブの「シシ」ってのは串という意味らしいから、これは単なるケバブということになりますか。

焼いているとパプリカでほどほどに色づいた、うまそうな肉汁が流れ出てきたので、火がとおった肉を取り出した後、そこにバターとヨーグルトを加えてひと煮立てして、邪道ながらソースを作る。どうも私の料理は成り行き任せでいけません。好みによってはマデラ酒なんかで甘味を加えたらいいかも。

赤ピーマンとかをいためた適当な付けあわせをそえ、先ほどのソースをかけると、けっこうな見栄えのメインディッシュが出来上がる。はじめはタマネギとかニンニクを刻んだものを練りこむつもりだったのに、作業過程では度忘れしていた。適当に入れるほうが普通かもしれない。パン粉などもつなぎとして入れるのもいいだろうが、考えてみればそれでは変わり味ハンバーグである。今回は忘れたけれど、なに、「まあまあおいしかった」ので満足満足。ハーブでくどくしてあるので、ワインはシラー系のスパイシーな奴がいいようで。(2002/05/20)

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<簡易中華風白身魚あんかけ>

近所の魚屋にイシモチがあったので、帰り道に買う。横浜中華街で、唯一ひいきにしている店の名物料理をつくろうと思い立ったから。別にイシモチである理由はなく、淡白な白身魚ならなんでもいいわけだけれど、なにかこの魚のあまり自己主張の少ない、幸薄そうなたたずまいが気に入っているわけ。

イシモチは、ウロコとエラとワタをとって(もちろん魚屋さんでやってもらう)ごく軽く塩をしておく。一人前一匹が理想。

細切りのタケノコ、黄ニラ(ネギでも可)、ショーガの千切り(その他しいたけ、ニンジンなどの、この手のものに入っているのではないか、と想像されるようなものはなんでも)、を軽くいためる。香り付けにごま油も少量。中華スープ(前に紹介した味覇(ウエイパァ)を薄めたもの。味が濃すぎないように、一人前100ccぐらいだとしたら、ティースプーンかるくすりきりというところか)をくわえ、オイスターソースと少量の酢(最近、香酢というのにはまってます)をくわえ、必要におうじて塩、コショウなどで味を調整。軽く片栗粉でトロミをつける。

イシモチに軽く片栗粉をまぶし、やや高めの温度で丹念にあげる。油がはじけるので気をつけて。よくあげておくと、骨まで食べられます。火が充分通ったら皿にとり、先ほどのアンをじゅじゅじゅっとかけ、万能ネギでも刻んで散らせば出来上がり。

味覇なんかで手抜きをしたからか、中華街の店とはかなり違う味になったが、まあこれはこれで程々の味。本当は「汁なしネギソバ」と合わせると絶品なんですが、手元にソーメンがあったので、これも味覇でタレを作って頂く。付け合せはキューリの細切りと錦糸玉子ぐらいでも、イシモチと並べて、安売り980円の辛口スプマンテをキリリとひやして添えれば、そう貧乏くさくない中華ディナーのできあがり。(2002/06/19)

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<サザエのブルゴーニュ風>

近くのスーパーでやっている日曜朝市で、小ぶりのサザエを安売りしていたので買ってくる。一個100円ならまあまあか。

素直につぼ焼きで食べるのは芸がなく、そもそも小さすぎてイマイチの雰囲気。そこそこうまいとは思うが、日本料理や日本酒があまり好きでない私には(もちろん、支払い持ちでご招待の際には、そんなことオクビにも出しませんが)、磯の香り+醤油系味付けというのが、それほど素敵なものでないのです。ここはなにか洋風にしたほうがいいだろうと、いんちきブルゴーニュ風に仕上げることに。

まずは強引にスプーンとかフオークをつかって、らせん状になっている肝臓(?)部分も一緒に、サザエの身を取り出す。かなりコツが必要だが、文章でそれを伝える能力はおまへん。駄目なら、ちょっと加熱してからやったほうがいいかも。取り出した身をを食べやすい大きさにきざみ、ワタもつぶして、一緒に無塩バターでソテーする。その際、白ワイン、刻んだニンニク、ハーブ類(今回は手元にシーフードミックスという名前の、セージとオレガノ、セロリetcが入ったのがあったのでつかったが、もちろん本物を使うほうがうまいでしょうね)を適当にぶち込む。塩味はアンチョビペーストでつけてみたが、このあたりは好みでいいのでは。もちろんコショウも程々に。ワタの部分を入れたほうが私は好きだが、ちょっと苦味が出るので、苦手な方は調整を。

程ほどに火が通ったものを、野趣好みの方はサザエの殻に戻し、そうでない方はココットなどにいれ、パン粉で表面を覆い、刻みパセリを散らして3分ほどオーブンで焼き色をつけ、出来上がり。薄く切ったフランスパンをそえて、かなりリッチな気分の前菜になりました。ワタでくどめの味になっているので、ワインはヌフ・ド・パプで決めてみる。子供達が帰省した時のために買っておいたのだが、3週間しか持ちませなんだ。

あとは一緒に買ってきた、一杯240円のカニで、トマトベースのパスタを作ったのだが、もうこの二品で充分になっている自分を発見するのが、ちょっと悲しい。大食い選手権にだって出られそうな時代はあったんだがなぁ。(2002/09/22)

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<カレー雑煮>

私の敬愛する探偵「石動戯作」を創作した*、ミステリ作家の殊能将之さんのサイトネタ。今日の日記に、作りすぎたカレーで雑煮を食べる記述があるのだけれど、ご飯のかわりにお餅をいれるだけというのは、やはりちょっと安易過ぎると思うのである。

カレー雑煮については、以前日記に書いたのだが、あまりに簡単なので料理の方に転記しなかった。これは大学生のころ、漫画「包丁人味平」で覚えたもので、それ以後ずっと定番である。

まず、カレーを沢山作って残ってしまった、というのが前提。別の鍋でかつお節でだしをとり、醤油、日本酒、好みによっては少量のみりんを使って、あっさり味の澄まし汁をつくる。面倒なら、市販のめんつゆを薄めたものでも充分。お餅を好きな分量焼いて、どんぶりに入れ、先ほどの澄まし汁を六分目まではり、カレー汁をその上からかける。カレー汁とお澄ましの比率はお好みだが、少なくとも半分以上は澄ましのほうがおいしいと思う。

カレーなんか残っちゃいないよ、という場合はレトルトカレーでも充分おいしくいただけます。お餅のかわりにうどん玉や日本そばをいれてもいいし、何より簡単なお澄ましを加えるだけで、まったく別とはいわないまでも、同じものの食いまわしという情けなさが、かなり解消されるのがミソ。 (2003/02/21)

*小説のほうが破綻していようが、いくら手抜きであろうが、この探偵を創り出したという点で殊能将之さんはすごいと思うのである。ふつう作家には敬称をつけないので、殊能さんに使っているのは、そういう別意味での尊敬を表現しているつもり。

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<ハモのソテー白ワインソース>

昨日の帰りに魚屋によったら、このあたりには珍しく、ハモがあった。ちゃんと骨切もしてあって、一匹三百円とえらく安かったので迷わず購入する。名残りハモと呼ぶにもちょっと季節はずれのような気もするが、まあよろしいでしょう。異常気象だったことでもあるし。

子供の頃、母親がハモの骨切をしている音を聞きながら、晩飯を待ち焦がれていた記憶があるのだが、どんな風に食べたかさっぱり覚えていないのだ。下準備が大変な割には、白焼きにするか、たれをつけるか、煮物かお吸い物にするかという程度で、あまりバリエーションがないからかもしれない。

ところが、あっさりとしているようで、かなり濃厚な、その味わいの記憶だけは、料理の形態とは切り離されて、はっきりとあるのだから面白い。関東で暮らすようになって、これが滅多に食べられなくなり、よけいに妄追想系の記憶加工が成立してしまったのかもしれない。というわけで、普通のやり方で昔の味を懐かしむだけでは面白くない。ここは昔とは違う料理法で食べてみて、素材のうまさを再確認しようと、洋風にしたてることに。

一人前に適当な量に切り分け、塩コショウして小麦粉を振り、フライパンでバターソテーに。一通り火が通ったところで取り出し、残った焼き汁に白ワインをそそいで煮詰め、レモン汁を加える。普通の魚ならフュメ・ド・ポワッソンでも加えて味を強化するところだが、そこはハモ、ちゃんとうまみが出ておりました。小麦粉でうまくとろみが付き、なかなかのソースが出来上がる。皿に小奇麗にもりつけ、ミントの葉などを添えると、ほとんど気分はマルセイユ。

適当にサラダとフランスパン、チーズなどを取り揃えると、思わぬウィークディディナーになったので、冷蔵庫の奥からシャンパンなどを取り出してくる(ホントは予算の都合でカヴァだったけど)。梅酢で食べるぐらいだから、酸味系のソースがあうだろうという読みは的中しておりました。うまいうまいとシャンパンがぶ飲みしながら平らげ、そのまま調子に乗って蒸留系に進んでしまったのが運のつきで、今日は半日頭痛に呻吟するハメに。(2003/11/07)

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